祝福の子よ、泣くな 02

 日曜日の食堂は、昼下がりの静かな時間でもそれなりのざわめきに揺れていた。真っ白に染め抜かれた空間に虹か、あるいは花壇のように明るい色の椅子が置かれているさまはそれだけでソキの目を楽しませてくれる。

 二階へ続くらせん階段の手すりには、知らぬ間に植物の蔦飾りがからめられていた。蔦からは黄色がかった花が垂れさがり、ひとの動きにゆらゆらと揺れている。

 ふあぁ、とようやく眠たい気分から全部抜け出したあくびをして、ソキはなまぬるく冷まされた香草茶に口をつけた。

 薄荷が多めに入れられた香草茶はすっきりとした飲み心地で、後味に柑橘系の甘い香りが漂い、気持ちを和ませてくれる。

 ロゼアは長年の習いでソキに与える前にそれをひとくち飲んで確かめたあと、自分用の檸檬水を取って来て唇を湿らせていた。やはりまだすこし、ソキと二人きり、なにかを飲み食いする、という状況に慣れないらしい。

 ソキの前に置かれたとろとろのプリンも、一人分しかない。端っこの、表面のカラメルを割って中身をひとくちぶんだけ食べてからソキにそれを渡したロゼアは、同じものを食べる気がないらしい。

 ナリアンくんなら、一緒においしいねって食べてくれるですが、とううんと悩みながら、ソキはとろとろプリンをスプーンですくい、ぱくんと口に含んで笑み崩れた。プリンは学園に来て巡り合ったすてきな食べ物のひとつである。

 昔、どこかの国に呼ばれた時に食べた記憶があるようなないような気がするのだが、その時はこんな風にしあわせな気持ちにはなれなかったので、別物である、とソキは思っていた。

 幸せそうにもぐもぐするソキに、ロゼアがおいしい、と眼差しで問いかけてくる。うん、と頷いて、ソキはその瞬間にひらめいた。

「ロゼアちゃん!」

「なに、ソキ」

「あーんです! あーんすればいいです!」

 そうすればロゼアちゃんも一緒に食べれるですよ、と力説するソキに、ロゼアはにこりと笑みを深めてみせた。

「俺はいいよ、ソキが食べな。プリン、好きだろ?」

「ロゼアちゃん、プリンきらいです? プリンですよ? とろとろですよ。甘くって、とっても幸せですよ?」

「うん、ありがとうな」

 でもソキが食べていいんだよ、と言い聞かせる声の響きで囁き、ロゼアは檸檬水に口をつけた。俺はこれで十分だから、と告げるような仕草に、ソキはちょっと悲しくなって眉を寄せる。

 ナリアンくんなら一緒に食べてくれるんですよ。メーシャくんもひとくちくらいなら貰ってくれたりするですよ。

 でもろぜあちゃんはだめですね、ソキわかりました。じゃあもういいです、と呟いてしゅぅんとするソキに、ロゼアは助けを求めるように食堂の天井を仰ぎ見た。

 己の中の教育されたものとなんらかの折り合いをつけるようにしばらく考えたのち、ロゼアはソキ、と少女の名を呼んで机に身を乗り出した。

 その時点ですでに気持ちを切り替えていたソキは、プリンさんとろとろですね、とうきうきしながらスプーンでひとくちぶんだけを口元に運ぼうとしていた。ぱしん、と至近距離で視線が交わる。

 え、な、えっ、と混乱した呟きを発しながら顔を赤くして動きを止めてしまったソキから、なぜか視線を逸らさないまま。ロゼアはソキの、スプーンを持っている方の手首を指先で包むように引き寄せ、そこへ口元を寄せた。

 はくり、口に含んで、すぐ舌先でスプーンを押しだす。甘さが、溶けるように口に広がった。

「これでいいか? ソキ。……ソキ?」

「は、はい。はいっ」

「えっと……ほら、ひとくち、もらったから。嫌だから、しない、とかじゃなくて……ナリアンや、メーシャとは、よくなにか食べたりするのか?」

 問いかけてくるロゼアに、ソキはちょっと待ってくださいね、と断ってから深呼吸をした。胸の上に指先を押しあてて息を吸い込み、ゆっくりと吐き出すとすこしだけ気持ちが落ち着いて行く。

「うんと、ナリアンくんはですね。部活動の時にクッキー焼いてきてくれるです。ナリアンくんのクッキー、とっても美味しいんですよ! ソキ、大好きです。それでね、メーシャくんは、委員会部? で、お菓子をもらうことがあって? それをソキにくれたりするです? おすそわけしてくれたのを、一緒に食べたりするですよ。……メーシャくんはどういう部活動してるのか、ソキは未だによく分かりませんです。でも、メーシャくんに聞いても、メーシャくんもあんまりよく分かってないみたいです。不思議部です」

 メーシャの部活内容について、心底分かっていないのだろう。それを語るソキは首を傾げ傾げ不思議がっていて、説明を聞くロゼアも、だから当然分かる訳がなかった。それでも、別に苦労している訳ではないのだろう。

 そっか、とロゼアは納得して頷いた。

「それでソキ、水曜日の夕食はあんまり食べないことが多いんだな」

「ぴゃっ……! ロゼアちゃん! ロゼアちゃんあのねあのねっ」

 大慌てでなにか言おうとするソキに、ロゼアはうん、とゆっくりした仕草で頷いた。

「あとで、ナリアンとメーシャに聞いておくから。ソキはなにも心配しなくていいよ」

「……ナリアンくんの、くっきー……ソキのクッキー……ソキの」

 この世の終わりのような表情で嘆くソキの手の甲を指先で撫でつつ、ロゼアはプリンを食べちゃおうな、と言い聞かせた。それに、ソキがはぁい、と返事をした、その時だった。

 ぽんっ、となにかが軽く弾けるような音を立てて、ロゼアとソキの間に、柘榴石の蝶が出現した。蝶は先程ロゼアが目撃した時と同じく、ふよんふよんと空気の動きに押し流されているような動きで不安定に漂い、なんとなく、ソキの方向へ流れて行く。

 なんだこれ、と凝視するロゼアと異なり、ソキは慌てず騒がず、柘榴石の蝶に両手を伸ばした。

「もうー、勝手に出て来ちゃだめです」

 柘榴石の蝶を大事そうに手で引き寄せ、ソキはそれを上から覗き込みながら首を傾げた。

「ソキなんにも言ってないですよ?」

「……ソキ?」

「はい、ロゼアちゃんっ」

 なあになあに、とご機嫌の笑みで待たれるのに、ロゼアはソキの手の中を指差しながら言った。

「それ、なんだ?」

「これはねえ、ソキのちょうちょさんなんですよ!」

 えへん、とソキはちょっぴり誇らしげに言い放ち、蝶をいそいそとリボンの傍にくっつけた。蝶はひしっとばかりソキの髪にくっつき、ここが定位置ですもうここから離れないっ、とばかり飾りに徹する心づもりのようだった。

 ふよふよと空気の流れに翅が動くばかりで、ちっとも飛び立とうとはしない。あーん、と幸せそうにプリンを食べ進めて行くソキにロゼアはもうすこし深く問いかけようとしたのだが。

「ソキ」

「やああぁあっ!」

 何処ともなく現れた寮長が、がっとソキの頭を手でわし掴みにしたことで疑問もなにもかもが吹き飛んだ。恐慌の悲鳴をあげるソキの髪で、蝶もぱたたたたっ、とせわしなく翅を動かして驚いている。

「……なにしてんだ、お前は、今日も……!」

「やっやあぁああああ寮長怒ってるですソキ今日はなにもしてないですしてないですよしてないですううううっ!」

「手を離してください、寮長」

 言いながらも素早く動いたロゼアは、片手で机越しにソキを己の元へ引き寄せ、もう片方の手で寮長の腕を強く叩き払った。隣に座っていればよかった、と思いながらもソキを抱き上げ、腕の中へと庇いこむ。

 頭を掴まれる、という人生はじめての経験による衝撃で、ソキは混乱しきった顔つきでふるふると震え、声が出なくなっているようだった。

 い、いまいまなにがおきていたですかいまなにが、と言いたげな視線でロゼアを見上げてくる宝石色の瞳に、ロゼアは強く、頷いた。

「ソキ、もう大丈夫だから」

「いやなにも大丈夫じゃないからな? ……言ってる間にまたか」

 呆れた様子で寮長が言葉を告げる中、ぽんっ、と音がして柘榴石の蝶がもう一羽現れた。ふよふよと漂うように動いた蝶は、震えるソキの髪に、またひしっとひっついて動かなくなった。

 半透明なその姿は、甘い苺の飴のようにも見える。思わず、ロゼアは呟いた。

「なんだこれ……?」

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