暁闇に星ひとつ 11(終わり)

 ラティはすでに魔術師である。学園を卒業した、砂漠の国の王宮魔術師だ。

 星降の王の懐剣、護衛騎士であったラティは十五の時に妖精を視認したことで死んだも同然であるのに、慣れ親しんだ母国の空気と、そして未だ、王に対する『切り札』扱いする風潮があっけなく意識を昔へ戻してしまう。

 星降の国王は、ラティの全てだった。昔のことで、今は違う。この男を全てにしてはいけないし、そんなことは決して許されない。魔術師には。許される感情では、ない。

 だから、本当に止めて欲しかった。

 新入生を抱きしめることも可愛がることもできなくて、それを理由に星降の国王が超絶と頭についてしまうくらい不機嫌で拗ね切っているからといって、城下で祭りを楽しんでいたラティを捕まえて、執務室にぽいとばかり放りこむような真似は、絶対に。

 なにが、ほおら陛下の大好きな大好きな魔術師ですよ、だあの馬鹿ども。そんなもんこの王宮の中にもごろごろしてんだろうが全員逃げたとかぬかすつもりか一列に並べ端から順番にぶん殴ってやる、と城下から引きずってきて部屋に投げ込んだ護衛騎士たちの顔を想い浮かべていると、また、名前が呼ばれる。

 執務室に備え付けられたふかふかの長椅子に所在なく身を置きながら、ラティはちいさく、息を吸い込んだ。

「はい。星降の王陛下。……ご機嫌はなおりました?」

「俺の王宮魔術師も、俺をかまってくれないんだけど……どういうことなんだと思う……?」

「……忙しかったのではないでしょうか。そして私も別に暇な訳ではないのですけれど」

 流星の夜の特別休暇として、ラティに与えられたのは六時間。城下で捕まった時点で四時間は経過していたので、もうそろそろ、砂漠の国へ戻る準備くらいはしたいものだった。

 帰ったらまず真っ先に、指差して爆笑しながら助けてもくれず見送ったフィオーレを、心ゆくまで殴り倒し踏みにじるという大事な用事もあることだし。

 むかむかしながら、暗に腕を離してください、と求めるラティに、星降の国王はふすん、と不満そうに鼻を鳴らしてみせた。

「俺をかまう以上に大事な用事がこの世にあんの?」

 腰を抱く腕はぐるりと巻かれているだけで、強く抱き寄せることも、引き寄せることも決してしなかった。そのことに心から安堵しながら、ラティはしとやかな笑みでやんわりと頷く。

「残念ながら、山のように」

「ううぅ……ううううぅー! もっと俺を愛せよお前らさぁ! 俺の魔術師は、なんでこんな俺に対する愛が薄いの……」

 大事な用事を優先して国王を後回しにしているだけで、星降の王宮魔術師たちは、こよなく彼らの王を愛している。時々無視するだけで。かなりの割合でないがしろにもするだけで。

 愛してはいるのだ。その証拠に、ラティは何度も見てきた。

 きっと明日の昼までには、殆ど全ての王宮魔術師が、この王の元へ顔をみせることだろう。どんなに多忙な者であっても、おはようございます、とたったその一言を告げるだけの時間しかなくとも。

 十五になるその時まで、十七で王宮を離れるその時まで。ラティは、つぶさにそれを見てきた。王宮魔術師というものが、どんなに、その国の王を愛しているのか。そしてこの国の王が、どんなにか、魔術師を愛しているのか。

 その愛がどんなに公平で、平等で、下心のないものなのか。理解していた。恐らく、どの魔術師より深く、ラティはそれを知っているだろう。

 だからこそ、拗ねる星降の国王の腕にそっと手を触れさせ、たしなめるように視線を重ねた。

「あなたを想わぬ魔術師など、おりません。知っておいででしょう」

「……俺はどんな魔術師だって、心から、愛しているよ」

 道を踏み外した者ですら、愛さずにはいられないのだと。懺悔のように告げる星降の国王に、ラティはそっと微笑んで。

「はい。……存じております」

 指先で己を抱く腕に触れ、ぽん、ぽん、とあやすように撫でた。

「あなたの愛が、あまねく魔術師すべてに対して平等で、公平であることを。私は、誰より……」

 それならば、いいと。まだ拗ねた顔つきであってもラティを閉じ込めていた腕を解き、星降の国王はソファに座り直した。入れ違いに、ラティは迷いのない仕草で立ち上がる。男の前に立ち、胸に片手を押し当て、一礼をした。

「……それでは、私はこれにて」

 うん、と星降の国王は嬉しげに笑って頷いた。機嫌はすっかり戻ったらしい。それに心を和ませながらラティは身を翻し、振り返らず、王の執務室を出て行った。

 砂漠へ繋がる『扉』に歩きながら、ラティは焦げるような胸の痛みに、一度だけ立ち止まった。振り返りはしない。強く手を握って、息を吸い込み、ラティはなにかを振り切るようにふたたび、歩き出した。




 流星の夜に結局熱を出して寝込んだソキが、ふたたび寝台から起き上がれるようになるまで、二日間かかった。当然、授業には出席することが叶わず、実技授業も今後半月はお休みすることがすでに決まっている。

 けふ、けひゅんっ、とまだ乾いた咳をする喉に眉を寄せながら、ソキは気のない様子で朝食のヨーグルトを口に運び、溜息をついた。

「ソキの……ソキの、ガッツと根性が本気を出すのは、これからなんですよ……! でももうおなかいっぱいなのでヨーグルトはいいです。ロゼアちゃんにあげます」

「……半分も食べてないだろ。気持ち悪いか?」

「気持ち悪くはないです。おなか痛くもないです。ソキ、おなかいっぱいです」

 もうひとくちもいらないです、と差し出された木の器を覗き込み、ロゼアが嘆かわしげな息を吐く。

 メーシャもひょいとソキの手元を覗き込んでしぶい顔つきになり、ナリアンはもぐもぐもぐ、とパンを飲みこんだあと、きらめく笑顔でゆったりと頷いた。

『ソキちゃんは、今日もお休みだね。はやく元気になるといいね』

「えっ……えっ?」

『お昼にお見舞いを持って行くから、ゆっくり眠っているんだよ? ね、お見舞い、なににしようね、メーシャくん』

 お花かな、それとも薬草の方がいいかな、と笑顔を崩さないままで問うナリアンに、メーシャは考えておこうな、と楽しげに頷いた。えっ、えっ、ときょときょと視線を彷徨わせたのち、ソキはえええっ、と半泣きの表情でロゼアをみあげた。

「ロゼアちゃん、ロゼアちゃん! ソキね、ソキねえ、もう元気なんですよ!」

「うん。……うん、ソキ」

 訴えられる間にソキの額にしっとりと手を押し当て、熱をはかり、ロゼアは起き上がらせたことを後悔する表情で頷いた。

「寝よう」

「ええええええっ! やあぁん、やあぁああんっ!」

「そういえばソキ、頭が痛くないとは言ってなかったよな」

 幸せそうにオレンジジュースを飲みながら、メーシャがさらりと追い打ちをかけていく。ばらしちゃいやですうううっ、と涙声で叫ぶソキに、ナリアンはひらひらと手を振って。

 朝食をかきこんで平らげ、一刻も早くソキを部屋に戻そうとするロゼアに、喉に詰まらせないようにね、とその意志を揺らめかせた。


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