暁闇に星ひとつ 05
夜を降ろしてもらうよ、と流星の夜と呼ぶにはいささか相応しくない、星が遠くにちらほらと見えるだけの暮れたばかりの夜空を背負い、星降の国王はうきうきとした口調で説明した。
魔術師の導となる星へ、はじめましてのご挨拶をする為に。星の新たな友となる者たちに、毎年、天体観測の前にしてもらっている儀式なのだという。
半分以上を音として聞き流していたソキは、説明された内容の殆どを理解していなかったが、それが『やらなければいけないこと』であることはきちんと受け止めていた。
夜を降ろす方法は、様々なのだという。魔術のように決められた言葉はなく、ひとりひとり、思い描くまま、言葉を告げて行けばそれでいいのだ、と星降の国王は教えてくれた。
要するに星々へ、会いに来たことが伝わればそれでいいのだ。準備の為、五分だけ時間を貰った静寂の中で、ソキはようやく意識を表層まで戻し、真剣な気持ちで想いを巡らせていた。
ロゼアも、ナリアンも思いつかない様子で考え込んでいる中、メーシャだけが落ち着いた態度で微笑んでいる。メーシャは占星術師であるから、普段から、星に馴染みが深いのだろう。
親しい友にようやく巡り合えるような、憧憬すら感じさせる眼差しで空を見上げ、うっとりと唇を和ませている。その横顔をきれいなものだ、とソキは感じた。
人の造作をきれいだと思うのはソキにしてみればすこし珍しいことで、すこしだけ、懐かしいことだった。その懐かしさが、ひとつの記憶を呼び起こす。
それは夜のことだった。決まって、人が寝静まった、星のない夜のことだった。
『誰にも内緒にしなくてはいけないよ、ソキ』
もう顔も名前も思い出せない兄が、『花婿』としてどこか遠くへ行ってしまったひとが、幼いソキに向かって柔らかな声で囁いた。
『これは、私たちだけの秘密なの。私たちだけが、伝えて行くこと……』
屋敷へ残るたったひとり。『花嫁』にも『花婿』にもならず、家を継ぎ、ひとり残って新しい『宝石』を育て上げる同胞が伝えてきた、伝えて行くことなのだと。傍付きを遠ざけた静かな夜に、顔だけを思い出せる姉が、眠りにつくソキの耳元でそっと囁いた。
『これは星へ告げる歌。星へ囁く、想いの歌……』
「……じゃぁ、ひとつだけ教えてあげる。……夜を、星を、よろこばせる方法」
記憶をめぐる声に混じって、メーシャの声がソキへと告げた。夜との思い出を語ればいい。どんな気分で星を眺めていたか。どんな風に夜を過ごしていたか。記憶の欠片がソキへと告げた。
『これは夜を呼ぶ歌。星へ告げる歌。どんな気持ちでいたか、どんな風に過ごしていたか。思い出すの。忘れてしまわないように。……これは胸へ星を宿す歌。暗闇の奥、たったひとつの星へ告げる、私たちの……』
『……手を繋いでもらって眠ったしあわせな夜を。胸に宿った輝く星を。忘れないように蘇らせる為の、うた』
暗闇が私たちに味方することはなく、天に輝くそれが救いとなることはない。だから、私たちはその胸に星を呼びこむのだと、そう、ソキの兄姉は旋律と共に囁き告げた。彼らは想像もしていなかったに違いない。
最も末に生まれ育てられることとなった、最優の『花嫁』が、その生の先で星へ手を伸ばす日が来ることなど。星へ。手が届かぬもの、胸にかき抱き輝かせるだけであったその希望を、友とする日が来ることなど。
ソキは、唇にきゅぅと力を込め、座っていた椅子から立ち上がった。あんまり急いで立ち上がったので、当然のことながら、ソキの体は床にびたんと叩きつけられてしまった。
大慌てで駆け寄ったロゼアが、ソキに腕を伸ばして抱きあげてくれようとする。
恐らくは、ほとんど、はじめて。己の意志で、ソキは、その手を押し留めた。名を呼んで来るロゼアに、息を吸い込み、告げる。
「ソキは、ちゃんとできますよ」
星は、魔術師の友であるのだという。天に輝くひかり。
「ひとりでだって、歩けます。ソキ、歩けるんですよ。儀式だって、ちゃんと、できるです……」
胸に宿ったしあわせな思い出こそ、『宝石』の抱く星。記憶に煌くひかり。その二つは恐らく違うものだ。けれど、星はあまりに遠かった。遠すぎて、せつなくて、それ故、胸へ降ろして大切にしまいこむものだった。
いつか傍らに抱く筈だった、親しいと呼ぶには息苦しいものへ。挨拶として捧ぐに相応しい歌かどうかは分からない。けれども、ソキにはそれしか思い浮かばなかった。
「ロゼアちゃん……」
伸ばされた手の指を、ぎゅう、と強く、握り締めて告げる。
「ソキは星を……ちゃんとは、うまく、できないかも知れません。でも」
顔をあげて、ロゼアを見る。すこしだけ視線を動かして、リコリスを睨むように見すえながら、ソキはきっぱりと言い切った。
「それは、ソキのひとりですることです。ソキの、ちゃんと、がんばった結果です」
「……ソキ」
「ひとりで、歩けます。ひとりでだって、ソキ、大丈夫です。だいじょうぶ……」
嘘だった。こわい、と心が叫んでいる。こわい、こわい、ロゼアちゃん助けて。ロゼアちゃん、ロゼアちゃん。こわい、たすけて、ひとりにしないで。ひとりきり、ソキが離されて行ってしまうその日が巡ってくるまでは。
弱音を吐きだしてしまいそうな唇に力を込め、ソキは目を閉じて瞼の裏に焼きついた灯篭を、そのひかりを消してしまおうとした。あれは祝い、あれが祝い。ひかりが地に飾られることが、告げるのはひとつ。
必ず来る筈だった別れの日、その時が巡ってきた、先触れ。こわい。怖くて仕方がない。でも。
でも。
「……ソキは星を知ってるんですよ、だから」
大丈夫。
「だからね……」
ひとりきり、ひとつきり。輝くものを呼ぶ準備なら、とうにしていた。
「ソキはひとりでだって、大丈夫なんですよ。ちょっと、まだ、転んじゃうですけど……」
なぜなら今から奏でるは、その為の歌なのだから。ね、と首を傾げて笑うソキの体温と色を失ってしまったつめたい手を、ロゼアは強く握り返した。離される気配などなく。
どこか困惑したように繋いだ手を見つめ、ロゼアはソキに言葉をかける。
「……手を、繋いでいくのは、だめか? ソキ」
「て?」
ソキは、繋いだままの手に視線を落としてごく軽く、眉を寄せて考えた。良い気もするし、だめな気もした。どちらが正しいのか、ソキにはよく分からない。普通なのは、どちらなのだろう。分からない、でも。
今はまだ、もうすこしだけ。放したくないと、思った。どうしてか、それを言葉にはできなかった。ソキがなにかを告げるよりはやく、ロゼアはリコリスに視線を向ける。
「……支えられて歩くのは、いいって、言ってたろ?」
怖々と、どこかぎこちなく。告げるロゼアの背後から、メーシャが顔を覗かせ、やわらかに笑った。
「四人で手を繋いで、バルコニーまで行こうよ」
『入学式も、そうやって行ったね』
「……て、繋いで歩くのは、いいです? 本当に、いいです……?」
先程、『扉』からその部屋までそうして歩いてきたことも、本当はいけなかったのではないかと不安がる表情で。ソキは泣きそうに息を吸い込み、ゆるく首を左右にふった。
「ソキ、ずるは嫌いです。ソキ、ちゃんとひとりで歩けます。ほんとうですよ」
「手を繋いで歩いても、一人で歩くことにはなるよ」
仕方がないなぁ、とばかり笑って。囁きかけたのは星降の国王、そのひとだった。今にも涙が零れ落ちそうな瞳でまっすぐ、睨むように見つめられ、青年は肩を震わせておかしげに笑う。
「学園に来るまでの旅と一緒だよ。同じ。ソキは、案内妖精と一緒に、一人でここまで歩いてきただろ?」
「……はい」
「それと一緒。案内妖精の導きが、手を繋ぐことになってるだけ」
分かったね、と言い聞かせられて、ソキはこくん、と頷いた。それならば、大丈夫だ。ロゼアは怒られない。メーシャも、ナリアンも。ソキのせいで、怒られたりはしないだろう。
ようやく安心して納得しながら、ソキはロゼアと繋いでいた手を離し、ゆっくり、その場で立ち上がる。ひとりきり、誰の力も借りることなく。
ふらり、かしいでは安定しない体勢がようやくおさまりどころを見つけた時、ロゼアの手がソキに伸ばされ、繋がれた。微笑みながら、メーシャがもう片方のソキの手をひく。
その光景に、ふふふ、とうっとりしきった様子で星降の国王が目を細め、笑った。
「今年も、俺の魔術師たち、ちょーかわいい……! 毎年さー、ほんとさー、皆かっわいいよなぁ……! うん、あのさ、一回だけ。一回だけだから、ぎゅってさせて? 一回だけだからっ、すぐ、すぐ離してあげるからお願いだから俺にちょっと抱き締めさせ」
「時間だ、四人はバルコニーへ向かうように。……何かおっしゃいましたか? 陛下」
「……俺の癒し……ぎゅぅって、したかった……」
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