暁闇に星ひとつ 06
時間を告げるリコリスの言葉に、四人は、ゆっくり、その足を踏み出した。バルコニーに出た魔術師の卵たちを、人々の熱気と歓声が包み込む。魔術師よ、夜を降ろせ。魔術師たちよ、星を落とせ。
嵐のように叫ばれる言葉に、とっさにソキを抱き寄せて庇ったロゼアの腕から、ゆるゆると力が抜けて行く。あまりの大音声に驚くメーシャと、凍りついていたナリアンも、じわじわと理解して行ったのだろう。
びっくりした、と脱力するメーシャにソキを託し、ロゼアがひとり、バルコニーの縁へ歩み寄った。そこへ集った人々に、ロゼアはあっけにとられた様子で瞬きをしている。魔術師と、夜と、星を求める声は一時も鳴りやまない。
バルコニーの手前からひょいと顔を覗かせた星降の国王が、語りかけてごらん、と儀式の開始を促した。
「大丈夫だよ。……言っただろう? 夜も星も……みんな君たちを待っていたって。必ず応えてくれるよ」
ソキだけが、星降の国王を振り返って見る。うん、と頷き、王はソキにしか聞こえない、ちいさな囁きで告げた。
「応えてくれるよ、ソキ。お前の抱くそれは、それも、ちゃんと星なんだから」
内心を呼んだような言葉に、ソキは背を押された気持ちで一歩を踏み出した。場に集った四人の、誰より早く。息を吸い込み、歌を、紡ぎ上げる。
ソキの声量はそう多いものではない。旋律も夜に響かせるものだから自然と穏やかな、ゆったりとしたものになる。激しい歓声にかき消され、群衆の耳には恐らく、なにも聞こえはしないだろう。
それでいい、とソキは思った。ソキが紡いだことを知り、それが星に届きさえすれば、それで。聞こえなくてもいい。ロゼアにすら。
教わった、最後の一音まで丁寧に紡ぎ上げる。すぅ、と息を吸い込んだ、その時だった。四人分の願いによって夜を引き寄せられた空が、たわむ。聞こえたよ、と笑いながら囁き告げるようだった。
夜と、星が。届いたよ、と。まどろむ夢から醒めるように。その祈りが、声が、確かに。祝福を成し、夜を深め、星の輝きが増えて行く。ひとすじ、銀の糸が天を駆け抜け。それを追うように、雨のように星が一面を流れて行く。
わぁっと歓声が上がった。流星の夜のはじまり。魔術師たちは求められるまま、夜を降ろし切ったのだ。
ざわめく胸に指先を押し当て、うつむき、ソキはちいさく息を吸い込んだ。
「ソキ、星、呼べましたですか……?」
「天を見ろ、ソキ」
いつの間にか傍らに、リコリスが立っていた。ソキの声が聞こえた訳でもあるまいに、魔術師の女はまっすぐに空を指差し、悔しげな表情で睨みつけてくる幼い魔術師の卵に、それを告げる。当たり前のようにして。
「あれが、君の呼んだ、星だ」
息を飲み、見つめる先で、ひとつの星が輝いている。ちいさな灯りを祝福するかのように、その周囲には流星が踊っていた。あれが魔術師の友、君の星。淡々と、リコリスは星を見つめるソキに告げた。
あの輝きが暗闇の導。迷う時、恐れる時、惑う時。必ず君を、助けるだろう。
夜を降ろす儀式が終わったのち、新入生は『学園』に戻って天体観測の授業を受けなければならない。城下の屋台を巡るにしても、中間区の出店を見るにしても、遊ぶにしても、全てはそれが終わった後のことである。
授業が終わったら俺のところに顔を出してくれてもいいんだからなっ、と涙目で訴える星降の国王が見送る部屋を後にして、ソキは学園へ戻る『扉』を目指し、ちまちまと廊下を歩いていた。
手を繋ぐ相手もなく、振り返って心配そうに見つめる視線もない。ひとりきりである。別に置いて行かれたのでも、はぐれたのでもない。
ソキねえひとりでちゃぁんと帰れるんですよ、と言い張って、とりあえず『扉』の前で待ちあわせることにして、一足先に部屋を出たのである。
『扉』から夜を降ろした部屋までは、そう距離もない。ただひたすらまっすぐ歩んで来た訳ではなかったが、曲がった廊下も二つ。それも特徴がある角であったから、大丈夫だろうと誰もが、ソキ自身も含めてそう思ったのだが。
歩む足を止め、ソキは難しげな顔をしてあたりを見回した。ええと、と振り返る。考えながらもう一度進行方向を向いて、右を見て、左を見て、もう一度右を見て、さらにはまた振り返って。ソキはぎゅっ、と手を握り締め、重々しく頷いた。
「帰りみちが……迷子に、なっちゃいましたですよ……!」
自分が迷子だと思えないのはお前の故郷の風習かなにかだったりすんの、と呆れ顔で浮かんだ寮長の幻を振り払い、ソキはものすごく困ってううん、と首を傾げた。そもそも、ソキは道を覚える、という行為が不得意である。
地図も読めない。入学式へ向かう旅の途中、ソキが地図を広げて眺めたり考えたりしていたのは、今どこにいて、あとどれくらいの距離なのか、を確認する、ただそれの為だけだ。
進行方向をひかり指し示す矢印があったからこそ、地図はソキの導きたりえたのである。『花嫁』は地図を読む教育をされない。同じ理由で、星の見方を教わることもなかった。星は方角を示す道具となる。
己の位置を正しく知り、望む方向へ行けることは、『花嫁』に必要とされる知識から外されていたのだ。
決して故郷へ帰れないように。辿りつけないように。その方法を知らされることはない。馬や駱駝に一人で乗れないのも、同じ理由があってのこと。方法を教わったとて、脆くつくられた『花嫁』の体が、それに耐えられることはないのだが。
一人で歩くのにも疲れ、ソキはその場にぺたんと座りこんで、背後を振り返った。来た道を戻れば、とりあえず、出てきた部屋まで戻れる筈、である。歩いてきた道を一生懸命思い出しながら、ソキは浅くはやく、もどかしげな呼吸を繰り返した。
すこしだけ頭が痛い。眠くなってきた気持ちを持て余しながら、ソキはふらふら、もう一度立ち上がった。よし、と手を握って息を吐き、右を見て、左を見て、首を傾げる。
ソキが座りこんでしまっていたのは、ちょうど廊下の中ほどだった。
星を輝かせる夜闇が、かすかな記憶の手掛かりを塗りつぶして行く。
「ど……どっち、です? えっ、あれ……あれ、あれ? ソキ、どっちから、来た……」
きょときょと、きょときょと見回して、ソキは今度こそ、その場から動けなくなってしまった。ふえ、と半泣きで声をあげる。その時だった。ソキの腕に、そっと指先が触れる。そのまま、片腕でやんわりと抱き寄せられた。
「……ふえ?」
抱き寄せられた腕の中で不思議がるソキの背を、ぽん、ぽん、と手が叩いて離れて行く。すこしだけ体を離し、額を重ねるようにソキを覗き込んで来たのは、少女だった。あ、とソキは目を見開く。
「リトリアさん! です……!」
楽音の国の予知魔術師の少女。リトリアは、藤花色をした瞳をやんわりと和ませ、うん、と告げるように一度だけ頷いた。わあぁっ、と満面の笑みを浮かべながら、ソキはぴょこぴょこ、飛び跳ねて再会を喜ぶ。
「リトリアさんです! おひさしぶりですっ、こんなところでどうし……どうしたんです?」
不審に思ったのは、リトリアが微笑むばかりで、なにも話そうとはしてくれなかった為だ。訝しげに問うソキに、リトリアは手に持っていたノートを広げ、万年筆の先を紙の上へ置いた。
筆先から、虹色のひかりが一瞬だけ立ち上る。誰の手も触れないのにひとりでに動きだした万年筆が、紙面に文字を書きだした。
『こんばんは、ソキちゃん。おひさしぶりでした。すこし用事があったので、学園に行っていて、今はその帰りなの。……あのね、声を出してはいけないの。私は。能力の制御は出来ているのだけれど、私は、あくまで、王宮預かりの予知魔術師ですから……国の外へ出る時には、言葉を話してはいけないのよ』
「……おしゃべりできないですか?」
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