暁闇に星ひとつ 04

 警戒しきった返事だった。必要最低限。それ以上は決して告げぬと言わんばかりの面差しで、ソキはユーニャのことを静かに観察し続けていた。その視線にたじろぐこともなく、ユーニャはそうか、と難しそうに息を吐きだした。

「ナリアンも、メーシャも?」

「しらないです。……もう、いいですか?」

「うん、あともうひとつ。今日がなんの日か、知ってる?」

 こくん、と無言ですぐ、ソキは頷いた。そっか、と苦笑したユーニャは立ち上がりながら、ソキに言い聞かせるように囁き落とす。

「天体観測の日、だよな。魔術師の祝い。流星の夜」

 窓辺に歩み寄り、設営されて行く屋台の進み具合を見つめながら、指差して告げる。あれはその為の準備。魔術師の為の、星を祝う為の。その為の。

『――あれは』

「空に輝く星は、俺たち魔術師の友。導きの光で、祝福の祈り」

『キミの』

 見つめる先。星の形をした灯篭に、火が宿された。

『――嫁ぐ、祝い』

「星に巡り合う為の、お祝いだよ、お姫ちゃん。……わかる?」

 楽しげな笑い声が、風に乗って響いてくる。それに表情をひとつも動かすことなく、ソキはゆっくり、まばたきをした。くちびるが、息を吸い込む。

「わかってます、ですよ。……ソキ、ちゃんと分かっています」

「そう?」

 話しかけてから初めて、はきとした意志を乗せて返された言葉に、ユーニャはやや面白がるように首を傾げた。ソキは祭りの準備から視線を外し、ユーニャを見ることもなく、ただぼんやりと談話室の扉に視線を投げかけた。

 まばたきを、する。

「……分かってます、ですよ」

 そこから来るであろう誰かを、待っているような。そんな仕草と、声だった。




『――ほら、おいで。ボクのかわいい……お人形、さん』




 強い風が吹いた気がして、ソキはロゼアに抱きあげられた腕の中、そのあたたかな体にひしっと抱きついた。

 新入生にはなにかしなければいけないことがあるとのことで、迎えに来た寮長をなかったことにして置き去りにし、寮内に設置された『扉』へと向かう最中のことである。

「……ろぜあちゃん」

「ん? なに、ソキ」

 ソキを抱きあげているとは思えない足取りで、至って普通に歩みを進めながら、ロゼアはそっと腕の中へ視線を降ろしてくる。それに心から安堵しながら、ソキはぎゅうぅ、とロゼアに抱きつく腕に力を込めた。

「リボン、結んで、ください……」

「リボン?」

 朝からロゼアが丹念に櫛梳り、一房を編んでリボンで結んだソキの髪は、幾分の乱れも見られなかった。崩れてないよ、と告げてもソキはロゼアの肩に顔を埋めたまま、いやいや、とむずがるように首を振る。

「ほどけちゃうですよ……」

「……ソキ?」

「だから、ちゃんと、結んでくださいです」

 ソキの顔は、一度もあがらない。ロゼアは先を行くメーシャとナリアンにちょっと待って、と声をかけたのち、廊下の端へ腰を降ろした。

 ソキの体が冷えた廊下に触れないよう、脚の上に腰かけさせ、抱きあげた状態のままで両手を髪に触れさせる。指先で巻くように解いたリボンは、かすかな衣擦れの音を立て、あっけなく解かれた。絹で作られた、赤いリボンだった。

 模様が刺繍されている訳でもなく、飾りが付けられている訳でもない。光沢はあれどややくたびれた風な、使いこまれたそれは、ロゼアが己の給金の中から買い求め、ソキへ贈ったものだった。

 撫でるように髪を指で梳いたのち、手慣れた仕草でもう一度編み、ロゼアはソキがねだるまま、つよく、髪にそれを結び直す。

 もう大丈夫だよ、と告げてやれば、ソキはこくんと言葉もなく頷き、ロゼアの腕の中へ収まってしまう。その体をひょいと抱きあげて足早に歩み、ロゼアは心配そうな顔つきをしたナリアンとメーシャに、お待たせ、とだけ言った。

 待ってないよ、大丈夫、と告げるように首を横に振り、ナリアンは不安げにソキを眺めやった。

『ソキちゃん、どうかしたの?』

「……ソキは、どうもしませんですよ」

 でも、と続けそうな意志を無理に納得させてくれたのだろう。ひとつ、頷いたナリアンはソキちゃんにはリボンが似合うね、と言葉を揺らし、ゆったりとした動きで『扉』へと歩んでいく。

 メーシャはどこか不安げにソキを見つめ、体調が悪くなったら部屋に戻ろうな、とだけ言ってくれた。それにソキが頷いた時、四人は星降の王宮へ続く『扉』の前に到着する。

 夕刻の薄闇が、世界を染め変える寸前の時刻だった。やわらかな黒が染み込む空気を、庭先に飾られた灯篭の火が照らし出している。あざやかに。夜になろうとする世界に、ひかりが、みちている。

 眩しくて、ソキはそっと目を閉じた。『扉』が開かれるまで、ずっと目を閉じていて。出迎えの魔術師に声をかけられるまでずっと、ソキは頭の中で鳴り響くようにめぐる声に、息をひそめていた。




 繊細な作りの薄い硝子細工が擦れ揺れ動く音に、ソキはふと視線をあげて廊下の先を注視する。それが見えたのは一瞬のことだった。廊下の角を曲がって歩いて行く後ろ姿。

 魔術師の証たるローブを着ていたので、身分は言われずとも知ることが出来た。星降の国か、あるいは、どこかの王宮に属する学園の卒業生に違いなかった。

 ソキの意識をひいたのは、ふわりと風になびいた髪の一筋。その色だった。それは藤の花の色をしていた。咲き零れ、風に揺れる、うす紫の花の色をしていた。一瞬のこと。

 あ、と言う間もなくその姿は声も届かぬ廊下の先へ消え、追って行くにも今のソキでは、そうすることができなかった。

 立ち止まってしまったソキに不安そうな、落ち着かない、心配げな眼差しがいくつも向けられる。それに、ソキは大丈夫なんですよ、と言い放ち、転ばないように気をつけながら足を一歩、踏み出した。

 星降の王宮を、一室を目指して歩いていく途中のことだった。ソキ、メーシャ、ロゼア、ナリアンの四人は、天体観測という特別授業を執り行うにあたって、これから『夜を降ろす』のだという。

 簡単な説明だけが教員から成され、あとは星降の国王から詳しく聞くこと、とのことなので、いまひとつ、誰もなにをするか、がよく分かっていない。

 窓のない細道を歩きながら、ソキは切ないような気持ちでロゼアを見上げ、それから先を行く魔術師の女を睨むようにして見つめた。

 新入生を出迎え、星降の国王が待つ部屋まで案内しているその魔術師の名を、リコリス、と言った。

 抱きあげられていたロゼアの腕の中から離れ、ソキがひとりで歩いているのは、そのリコリスの言葉の為だった。新入生の名前を確認し終えるなり、リコリスはロゼアの腕の中で落ち着いていたソキにこう問うた。

 君は今、歩けるか、と。ソキはよくこけるですよ、と告げたが許されず、繰り返される問いに歩けます、と言った。怖くて、ほんとうはどうしても、ロゼアの腕の中から離れたくはなかった。

 頭の中で痛みを伴うかのように、鳴り響くうるさい鐘のように、いろのない声がする。

 あれは祝い。あれが祝い。キミの。キミが嫁いで行く為の。お人形さん。キミがボクのものになる、その為の、お祝いだよ……。

 囁き、言い聞かせ、意識を書き換えたがるその声が、怖くて仕方無くて離れたくなど、なかった。

 魔術師の女は、ソキに規則だ、と言った。立て、と。補助の手を借りることはかまわない。そのものいいに、ソキが反抗することなど、できはしなかった。規則には従わなければならない。

 決められたことには、逆らってはいけない。それは、ロゼアの立場を悪くすることだ。ソキのせいで、ロゼアが叱られる。悪く言われて、怒られる。ソキのせいなのに。ソキがいけないのに。

 それなのに、怒られるのは、いつもロゼアだった。魔術師の女が、ひとつの扉の前で歩みを止めた。女は振り返らず、扉の先を見つめるようにして、告げる。

「星は――我ら魔術師たちの導となる。星は我らの友人だ。我らが暗闇に惑ったときに、我らの手を引き導くが役割……それでも、だ」

 それはどこか、緊張した声だった。意識を上滑りしていく音として声を捕らえながら、ソキはぼんやりと魔術師の女、その背を眺める。まっすぐに背を伸ばした、理性的な立ち姿だった。息切れひとつしていない様子だった。

 学園から繋がった『扉』からここまで、そう距離はないのに、肩を大きく上下させて立ち止まっているソキとは、なにもかもが違う。そうだ、違うのだった。不意に、痛みを感じるくらいに、ソキはそれを思い出した。

 魔術師の女とソキは、きっとなにもかもが違う。この世に一人として己と同じ存在はいないのだけれど、そうではなくて。きっと、こういう存在が、普通なのだと思った。

 一人で歩かぬ新入生をたしなめ、規則だと告げ、己に課せられた役割を全うしようとする。それはいたって普通のことだった。その普通に、時間をかけなくては、ソキは気がつくこともできない。

 言葉を告げ、リコリスがくるりと振り返る。彼女はソキ、ロゼア、メーシャ、ナリアン、と、順繰りに視線を移動させた。

「星は全ての者にその光を与えるわけではない。自らの足で立ち、歩かんとする者にのみ、その輝きで以て未来さき を示すのだ」

 泣きそうな気持ちで、ソキは体を震わせた。ロゼアの手を強く握り、唇に力を込めて感情を堪えながら、向ける視線の強さだけでその衝動を耐えきる。きらい、とどうしようもなく思った。

 このひとはきらい。このひと、すごく、すごくきらい。リコリスの言わんとすることは分かったからこそ、ソキは爆発するような、きらい、の感情を抑え込めなくなってしまった。

 それ以上は言葉もなく、開かれた扉の向こうへ四人を先導していく背に、ソキは唇の動きだけで告げる。

『……ソキも、そう思いますよ』

 暗闇から抜け出す導などない。閉ざされたあの部屋から、手を引き救い出してくれる、連れ出してくれる者が、誰も、いなかったように。一人で歩けもしなかったソキに、示される未来など存在しなかったように。

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