桑楡は野薔薇の冠に 05(終わり)


  予知魔術師のように正確な文言を口に出し、魔術を発動させる魔術師は少ない。

 それはあくまで基礎であり、彼らは己の魔力と性質を学んだのち、世界でたった一つ、己だけの魔術式を組み直し、それによって力を発現させて行くからだ。市販の服に手を入れて、体の形にぴったりと合わせるように。

 組みかえられた白魔法使いの言葉が、ひっそりと空気を震わせて行った。それは子守唄のように優しく、戦歌のようにこころを震わせた。

「……アイツが詠唱するの、久しぶりに聞いたな」

 悪かったのか、と呟く砂漠の王の言葉は、幸いなことに誰の耳にも届かず消えて行く。やがてフィオーレが息を吸い込み口を閉ざした時、ソキの呼吸は深く、ゆっくりと落ち着いたものに変わっていた。

 赤らんだ頬から熱が引いていないことが分かるが、うん、と満足げに笑ってフィオーレは身を起こす。

「よし、これで大丈夫。……ロゼアは、ソキが起きたらすぐ、魔術で回復するのはやめなって言い聞かせること。ソキは多分、自分でやってるんじゃないからそんなの言われても分かりません、とか言うだろうけど、ちゃんと言い聞かせな。ロゼアが言うんなら、ソキは聞くから。恒常魔術が切れるとなると、今まで以上に……屋敷にいた時か、それよりちょっと弱いくらいに、体調を崩しやすくなると思うけど、数ヶ月の我慢な。そういう対処は、ロゼア、慣れてるだろ? よろしくな」

「はい。分かり、ました……」

「上手く行く時もあると思うよ。俺も、だから今まで見て見ぬふりしてた。回復は、ソキの日常生活の助けにもなるからね。……でも、もう、だめ。辞めた方がいい。今は俺が、半ば無理矢理落ち着かせたけど、ソキが魔術師として成長していく以上、必ずこれは起きると思う……しくったなぁ。もうちょっと早く、気がついてあげればよかった」

 ごめんなー、と眠るソキの頭を気が済むまで撫でて、溜息をつきながらフィオーレは立ち上がった。うん、と凝り固まった体を腕を伸ばすことでほぐしながら、もの言いたげなロゼアに視線を重ね、嬉しそうにふにゃりと笑う。

「ロゼアは、相変わらず、ソキのこと大事だね」

「はい。……あの」

 戸惑いながら何事か告げようとしたロゼアに、フィオーレはぱたぱた、手を振って言葉を遮った。

「待って。うーん……うん、たぶん、ロゼアが聞きたいこと、俺はすこしは分かるけど。それは多分、担当教員に聞いた方がいいと思うよ。ウィッシュじゃなくて、チェチェリアね。……リィも一回こんな風に崩れたけど、ここまでじゃなかった筈だけど、なぁ」

 まあ同じ予知魔術師でも形が違うから当たり前か、とひとりごちて、フィオーレはすたすたと砂漠の王の元へ歩いて行った。

 その横に硬直して立っていたナリアンに、もういいよ、と告げ室内へ押しやってから、フィオーレは苦く笑って首を傾げる。

「なに、陛下。不機嫌な顔しちゃって」

「あれはなんだ?」

「自家中毒……。歩きながらでもいい? 陛下」

 ここだと聞こえるから、とロゼアとナリアンを気にしながらのフィオーレに、砂漠の王は戸口に預けていた背をあげた。立ちなおし、何処へと向かいかけて、砂漠の王はくるりと振り返った。

「ロゼア!」

「はい!」

 恐らくは背を正しているであろうまっすぐな声が、すぐ跳ね返ってくる。それに笑みを深めながら、砂漠の王は声に命令の意志を乗せ、告げた。

「親に手紙を書いてやれ。煩くてたまらん」

「ぶふっ」

「笑いごとじゃねぇよ、フィオーレ。仕事にならん。……余裕があったら、ソキにも書かせろ。お前の両親に向けてと、兄に向けてな」

 返事を聞かず、歩き出した王の背をフィオーレが追いかけて行く。階段を降りる所で横へ並び、フィオーレはそっと、潜めた声で囁いた。

「魔力の大きさは『手に持つ器』によって表されます。形は、一人一人、違う。それはあくまで例えではありますが、でも確かに、俺たちの中にそれはあって、常に自覚できるものです。……ソキの器は砕けてる」

「……はぁ?」

「壊されて、砕けて、欠片になってる。消された訳じゃないから、魔術はちゃんと使える。ウィッシュは相当慎重に授業を進めていると聞きました。たぶん、そのせいだ。粉々になった欠片を、どうにか、復元させようとしてるんだと思う。それが可能かどうかは置いておいて……使える魔術が増えて行けば行くほど、そのたび、ソキの魔力は不安定になる。収まるべき器が、どこにも存在していないから。それでも、なんとか安定しているのはね、陛下。ソキのあの指輪がそれを助けてくれているからで、ソキがまだ未熟な魔術師だから」

 とんとん、と階段を降りながら、フィオーレは一度だけ強く、目を閉じた。

「……『ひかりの前では煌き』」

 伝え聞いた言葉を、口に出して繰り返す。

「『闇の中では夜の一色に。風と共にあれば流れ、太陽の元では濃い影を落とす。鏡の反射で、それでいて違う。万華鏡と虹の七色。くるくると色を変え形を変え、決して安定しない。目に見えるのに決して触れさせない。蜃気楼で、水鏡。映し出すだけで、どこにもいない』入学式の祝福で、星降の陛下は、ソキにそう言ったそうです。……『お前は自分のかたちを思い出せるよ。万華鏡。虹の七色。砕けたものが、本当はなんだったのか』とも言ってくれたそうだけど。かなり条件ついていたみたいで……」

「ああ。……ああ、それ、そういうことだったのか」

「たぶん……。ともあれ、安定しないことは確かです。決して安定しないから、こそ、不意の魔術発動が上手く行かなくなって、今日みたいになる。……成長していくにつれ、どんどん、不安定になっていく」

 そして容易く、暴走は引き起こされるだろう。魔術師としての禁忌に近いそれは、予知魔術師としては致命傷となる。どうにかしてやらないと、と拳を握るフィオーレに、砂漠の王は拒否を許さぬ冷徹な声で、問う。

「あと、どれくらい保つんだ?」

「……講じる手がなければ、一年」

「手を尽くせ、白魔法使い」

 その期間を四年に引きのばせば、俺たちが守ってやれるだろう。告げる王に、フィオーレは無言で頷き、トン、と音を立てて階段を降り切った。そうしてから改めて気が付き、周囲に視線を巡らせてから、首を傾げる。

「ラティ、どこ行ったんだっけ」

「……遠目にメーシャを確認して喜びに崩れ落ちて動かなくなったから、来る道に捨ててきた所までは覚えてるんだが」

「あー、じゃあ寮長が回収してくれたかなぁ……陛下、俺ちょっと寮長のトコ行ってきますね」

 回収してきたら帰りましょう、と告げるフィオーレに頷いて、砂漠の王は一人、寮の中を歩いて行く。迷う風もなく足を進めたのは、砂漠の王宮へ続く『扉』の前だった。人気もなく、静まり返ったその場所で、男は『扉』に手をかけ、開く。

 なんの引っかかりもなく開いた扉は、向こう側に見慣れた景色を映しだし、正常に働いているようだった。遠回りをして帰らなくてもよさそうだ、と息を吐き、王はふと窓ごし、広がる空を仰ぎ見る。

 灰色の雲が一面に広がっていた。晴れ間は、終ぞ見えないままだった。




 せいやぁっ、と謎の掛け声をかけて『扉』を開け放ち、覗き込んで、ラティは沈黙した。傍らに立っていたフィオーレは顔をそむけ、口元に手を押し当ててぶふぅっ、と笑いに吹きだしている。

 おやまあ、と申し訳なさそうに副寮長が息を吐き、寮長は潔く、砂漠の国王に頭を下げた。

「申し訳ありません。まだ……使えないようです」

「……五分前までは大丈夫だったんだが」

 向こう側に広がる景色はなく。白く濁った空間が、開け離れた『扉』の先に揺れるばかりだった。無言で『扉』を閉めたラティが、いっせーの、せっ、と声をかけ直してもう一度開く。

 結果はなにも変わっていなかった。ちょっと私たちがなにをしたというの、と悲嘆にくれて場にしゃがみ込むラティの肩を、フィオーレがぽんぽん、と手で叩いた。

「諦めて、星降経由で帰ろうな? あっちは繋がってるんだし……」

「な、なんで砂漠ばっかり。砂漠ばっかりー!」

「つーか」

 呆れかえった表情で首を傾げ、砂漠の王は溜息をついた。

「お前らなんかやってる訳じゃないんだよな?」

「なんかって、なんですか?」

 無実を訴えながら涙目で問うラティに、砂漠の王は気まずそうに視線を彷徨わせた。沈黙の後、よし、と頷かれる。

「察しろ」

「無茶ぶりは止めてください」

「もう良いから帰ろうぜ……? 遠回りでもいいじゃん。な?」

 ほら立って、帰るぞー、とラティを引っ張って歩きながら、フィオーレは先に行ってしまった王を追いかけて行く。

 迷う場所でもないが案内に先導する寮長を遠く眺めながら、ガレンはなんとなくその場に残り、中途半端に開いていた『扉』に手をかけた。そして、目を見開く。

 そこは、砂漠の王宮へ繋がっていた。嵐の前兆のように、梢が揺れ動く音が響く。砂を焼く、強い日差しに火の熱を宿した風が吹きつけ、ガレンは思わず目を閉じた。

 なにかを嘲笑うかのよう、ローブの裾がばたばたと激しく揺れ動く。ぐっと腕を引っ張られる感覚があった。踏ん張った足が床から離れ、開け放たれた扉の向こうへ体が倒れ込みかける。その時だった。

『――っ!』

 神経を貫いて行くかのような声にならぬ叫び。悲鳴のような、血を吐くようなそれに、ガレンは強く引かれる感覚から解放された。浅い息を繰り返しながらその場へ座りこむガレンのほんの目の前で、『扉』はひとりでに、音もなく、閉じた。

 酷く混乱する意識に息を乱しながら、ガレンは震える手を口元へ押し当てる。吐き気がした。眩暈がする。己の身を一瞬にして貫いて行った強い魔力が、ほどなく、この身から意識を奪い去っていくだろう。

 覚えていられるだろうか。否、忘れてしまってもいい。いつか必要な時が来る。その時に、必ず、それを思い出すことができれば。口唇を強く噛みながら、ガレンは廊下に背を預け、崩れて行く意識をかき集めて息を吸う。

 ガレンは、吐息に乗せて名を囁いた。腕を引くその魔力を断ち切り、彼を救った悲鳴の主。学園に入ったばかりの予知魔術師の名を、囁き、青年は意識を失った。

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