君ありて幸福

君ありて幸福 01

 ナリアンの目の高さに貼られた紙には、『茶会部の部室』と書かれていた。なんの飾りもない単純な白い紙であるが、華やかな印象があるのはそれを扉に留めているのが、布とリボンで形作られた花飾りだからだろう。

 淡い緑の葉に飾られ、柔らかな砂色で作られた花がどこかちんまりとした印象で咲いている。飾りを花束に見立て、くるくると巻かれた細い絹のリボンはうっとりするような赤だった。

 透明な水に落ちた紅玉を思わせる色彩。その色に見覚えがあったのは、恐らくはリボンの幅が違うだけのものが、ソキの髪に常に結ばれているからである。

 一房を単に結んであるだけであったり、細い三つ編みの先端で揺れていたり、編み込みを纏めていたり。日によって様々な使い方をされている。ソキの髪からそのリボンが消えているのを、ナリアンは見たことがなかった。

 他の髪飾りを所有していない、という可能性はまずありえなかった。

 入学式の翌日、ソキあてに届けられた一部屋を埋め尽くす物品を思い出し、ナリアンはやや遠い目で明後日の方向を眺めやった。そういえば、あれはどうしたんだろう。

 それを使ってロゼアがせっせとソキの部屋と、時に少女が一日の半分以上を過ごす己の部屋を整えていたのは知っていたが、それにしてもまだ余るような気がしてならなかった。

 送り返したのだろうか、と考えながらナリアンは息を吐き、視線を再び、己の目の高さに飾られた布の花飾りに戻した。優しい印象で整えられた花飾りは、どれもソキを象徴する色に他ならなかった。

 つまり、ここが今日から活動を開始する、茶会部の部室である。寮と隣り合わせに建てられたあまり使われていない授業棟の、南向きの一部屋。

 元はどこかの国のごく小規模な離宮であったというその建物は、主を失ってなお気品のある佇まいで学園の生徒たちを出迎える。

 時折、錬金術師向けの実技授業が行われる他はほぼ使われていない建物に、午後をすこし過ぎたばかりの、温かなひかりが満ちていた。廊下の端から端をすり抜けて行く風に、瑞々しい花の香りが混じっている。

 胸いっぱいに吸い込んで、約束の時間、ちょうどであることを確認し、ナリアンは扉を叩いた。はい、と声がする。椅子から立ち上がったのであろう気配がして、てってててっ、と急いで慌てて扉へ向かってくる音がした。

 うわああぁあっ、とナリアンが焦って扉を開けようと手を伸ばすのと、それは、ほぼ同時だった。びたんっ、と容赦なく転ぶ音がした。

 勢いよく扉を開け放ったナリアンが見たのは、床の上に座りこみ、鼻を両手で押さえながらすんすんとしゃくりあげる、しょんぼりとしたソキの姿だった。

 痛かったのだろう。ぷるぷると小刻みに震えながら拗ねたような目つきで、ソキはもおっ、と己の足を見下ろした。

 そうしながらも慣れた仕草でふらふらと、ひとりで立ち上がったソキは、助けるべきか見守るべきか迷っている間に解決してしまったことへの後悔めいた顔つきで立ちつくすナリアンの前まで、今度は落ち着いた足取りで歩み寄った。

 立ち止まり、顔を見上げてから、ふわりと微笑んで一礼する。

「こんにちは、ナリアンくん。茶会部へようこそいらっしゃいました。お時間通りです」

『こんにちは、ソキちゃん。……怪我はしていない? 痛いところは?』

「大丈夫ですよ! ソキねえ、丈夫なんです」

 えへん、と胸を張るソキは、見た所、本当にどこも怪我をしていないようだった。鼻もちょっと打ったくらいで、赤くもなっていない。よかった、と胸を撫で下ろすナリアンに、ソキはくすぐったげにはにかんだ。

「ソキね、あんまり怪我はしないんですよ。転んじゃってもすぐ治るです」

『でもよく熱は出るよね?』

「あんまり怪我はしないんですよ!」

 ごり押しのにっこり笑顔でそう言い切り、ソキはナリアンに両手を伸ばし、じゃれつくようにその腕をやわく引っ張った。

「ナリアンくん。お席にどうぞ」

 ソキね、ロゼアちゃんに手伝ってもらってちゃぁんと用意していたんですよ、と甘くふわふわした声で囁かれるのに、ようやく、ナリアンは余裕を持って室内を見回した。

 部屋の奥は一面の硝子戸になっていて、寮やその前に広がる小庭を眺め下ろす作りになっていた。差し込む光が強すぎないように、半透明の繊細なレース生地が硝子戸の半分を覆っている。

 その前に置かれた二人で使うには広すぎる長方形の作りは、横並びに三人並んで座ってもゆったりとした空間を感じることができるだろう。机には生成りの布が引かれ、端に様々な瓶が置かれていた。

 瓶の中身は薬草や香草、数種類の紅茶の葉と、愛らしい色合いのまるい飴玉、いくつかの焼き菓子だった。机に、向かい合わせになるように置かれた椅子の数は、二つ。

 使われる予定のない椅子は、まとめて部屋の片隅に並べられていた。

 その椅子の上にもソキの私物であろう人形やら、花飾りやら、クッションやらがぽんぽんと並べられている。それを見て、ナリアンはふと気が付いた。扉に、ナリアンの目の高さに合わせて花飾りをつけたのもロゼアだろう。

 ソキには背伸びしても難しい高さだ。二人で午前中から、部屋を整えてくれたに違いない。

 ロゼアは午後から狂宴部に引きずられて行った為に不在であるから、ナリアンは用意された椅子をひき、そこへ腰かけながら、正面に座るソキに視線を合わせて微笑んだ。椅子の高さも、調整されているのだろう。

 食堂や談話室でそうするよりも楽に、ソキの目を覗き込んでナリアンは意志を伝えた。

『ありがとう、ソキちゃん。……お茶は、俺がいれても、いいかな』

 もちろん、ソキちゃんが嫌でなければ。控えめに揺れたその意志は、茶会部の表向きの活動内容が『ソキがその時々の気分で飲みたいお茶を淹れて楽しむ』というものだからである。

 従ってソキが用意するのが本来であって、それをもし楽しみにしていたのであれば、というナリアンの杞憂は、ソキが頷いたことで霧散した。

「はい。お願いしますですよ。ソキね、お勉強できればそれでいいです」

 お茶は飲めればそれで良く、特にこだわりがある訳ではないらしい。ソキは机の上に置いておいた教本とノートを手元に引き寄せ、ゆるく締められていたインク壺の蓋をあけると、あ、と目を瞬かせて硝子瓶を指差した。

「飴と、クッキーと、焼き菓子があるんですよ。ナリアンくん、好きに食べてくださいね」

『いいの……? ソキちゃんのじゃないの?』

 正確に伝えるならば、ソキちゃんの為にロゼアくんが用意してくれたものじゃないの、である。俺はいいからソキちゃんがお食べ、と伝えると少女は先程の飲み物同様、ふるふるふる、と素直な仕草で首を振った。

「この間、家から届いたんですよ。ロゼアちゃんが瓶に入れてくれました。飴はね、桃とね、林檎とね、葡萄とね、薄荷とね、お塩とね、薔薇とね、菫のがありますです。クッキーはバニラの匂いがするのと、あとなんか三種類くらいあるですよ。焼き菓子はおいしかったです」

『……ソキちゃんは、飴が好きなのかな?』

 ものすごく分かりやすい説明に笑いを堪えながらナリアンが問うと、ソキはふわんふわんした幸せそうな笑顔で頷いた。

 のちほど、ありがたくクッキーと焼き菓子を頂く決意をしながら、ナリアンも持って来た教本を机に置き、辞書を置き、机に向かい直した。ソキはすでに黙々と教本を読んでいる。

 時折、読む目を休めるように硝子ペンを持っては、さらさらとノートになにか書き記し、それだけでまた黙読へ戻って行く。三十分、時々様子を観察していて、ナリアンはそれに気が付いた。ソキの手元には辞書がない。

 そして、それを必要としているそぶりも見せなかった。思わず訝しげな顔つきになりながら、ナリアンはそっとソキに意識を向ける。

『ソキちゃんは……なんのお勉強をしているの?』

 同じ新入生であれど、受けている授業は個人によって大分異なる。もちろん、同じ授業もいくつかあるが、基本的には自由設計だ。

 ソキの読む教本の表紙は、ナリアンには見覚えのないものだった。ソキはきょとん、と目を瞬かせながら、んと、と考えながらノートをナリアンへ差し出した。

「予知魔術師の、魔術の、実技授業の、お勉強? なんですよ?」

『それは、俺が見てもいいの……?』

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