彼女には友人という概念が存在しない 11

 言うの忘れれたけどアンタ予知魔術師そのもののついての勉強もしなさいよ。分からなかったらリトリアに手紙でもなんでも出して聞きなさい。

 いいこと分かってると思うけどアタシの言うことをないがしろにしたり、ウッカリ忘れたり、めんどくさがって後回しにしたりしてみなさい。

 呪うわよ。ロゼアを、と本気の目で妖精に告げられて、ソキはひとしきりロゼアちゃんは関係ないですリボンちゃんなんでそういうことするですかっ、と訴えたのだが、その主張が認められることはなかった。

 つべこべ言わずに調べればいいだけでしょうが、結果はアタシにも報告しなさいよ、さもなくば呪うわロゼアを、と再度繰り返されて、ソキは諦めることにした。旅の間ずっと一緒だったから、よく分かる。

 妖精はやると言えば、やる。ソキがロゼアちゃんを守ってみせるですよっ、と涙ぐみながら決意した翌日、朝。ソキは朝食後に図書館で、天井まで続く本棚を見上げていた。

 書棚には魔術師について書かれた本が納められているとの説明があり、その項目にはしっかりと予知魔術師の文字がある。

 黒魔術師、白魔術師、占星術師など、もっとも適性が多いとされている魔術師たちの研究所や、予知魔術師、言葉魔術師、召喚術師といった希少な型の本もあり、どれもソキには興味深いものだ。

 出来れば棚の一番上の端から、順番に読んで行きたいのだが、その書棚だけでも納められた冊数はあまりに膨大である。時間と、そしてソキにもたらされた妖精からの課題が、それを許してくれそうにはなかった。

 なんでリボンちゃん、ロゼアちゃんを呪いたがるですか、と首を傾げ傾げ、ソキは本棚の前で、まず背伸びをしてみた。片手を本棚にかけ、かかとを浮かせて体を持ち上げて、手を上へぐーっと伸ばす。

 予知魔術の本は、天井から数えて三段目に収められていた。ソキがあと一人半は必要な高さだ。当然、届かない。

 手をしおしおと下げながら、しまったロゼアちゃんと一緒に来ればよかったんですよ、と後悔しても時すでに遅く。時間的に、ロゼアはもう座学へ行ってしまっている頃だろう。

 朝食後に行われる一番早い時間帯の授業は、ソキも別のものを取っていたのだが、掲示板に張られていたのは休みのお知らせである。

 学園には授業をする為の専任講師と、その為に通ってくる王宮魔術師を本職とした兼任講師がおり、割合はだいたい半々となっている。

 王宮魔術師の最優先は、なににおいても主命であるからこそ仕方がない事態ではあるのだが、ソキは切実にその次の、昼前の授業がお休みにならないことを祈っていた。

 休みの告知は前日に行われるのが常といえ、緊急の告知が無いとも限らないので。

 図書館を管理しているのも、それに向いた能力を持ち、星降国王に選抜された魔術師たちである。八割が卒業生、残りの二割が細々とした雑用を片付ける生徒によってまかなわれているから、早朝の授業中の時間帯であれど、図書館は無人にはならない。

 当然、ソキを見守る視線もいくつかあったのだが、心配そうなそれは声をかけるに至らない。ソキの雰囲気が、ひとりでできるもんっ、と主張していたからだ。

 心配する視線はすなわち、その幼い頑張りを微笑ましく想うものであり、危険がないのかを危惧するものであり、可愛らしいと眺めるものでもあった。ソキの外見は、そもそもが観賞用に適している。

 ほんのすこし遠くから視線をやられることは、ソキにしても慣れた、特におかしいことでもない。見られているという事実は認識していても、気にすることでもなかった。他者に助けを求めることもしない。

 『宝石』がそうするのは『傍付き』のみである。

 ロゼアちゃん、と口の中で呟きかけながら、ソキは天井まで繋がってる移動式の脚立を見上げた。階段状の梯子になっているそれを、本のある箇所まで押して移動させ、登って行けば本が取れることは、分かっている。

 分かっているのだが、登ることもソキには大変なら、降りることも、ものすごく大変だった。ソキが欲しい本だけ、なんか落っこちてきたりしないですか、と名残惜しくその場で手を伸ばしてぴょいぴょい飛び跳ねた。

 そののち、ちらりと視線を上にして溜息をつくソキに、どこか慌てた、小走りの足音が聞こえる。息せき切ってやってくるそれに、ソキが振り向くのと、ハリアスが少女の前で立ち止まるのが同時だった。

 は、はぁっ、と肩を大きく上下させながら立ち止まり、ハリアスはぽかんとするソキに、まなじりをつり上げた。

「図書館で、飛び跳ねたりするのは、いけないわ」

「ハリアスちゃん、おはようございますです。ソキねえ、本が取りたかったんですよ?」

「はい、おはようございます。ソキちゃん。……ね、図書館で、飛び跳ねるのは、いけないわ」

 公共の場だし、いくら崩れないよう魔術がかけられていると言っても本が倒れてきたら危ないでしょう、と叱られて、ソキはふしぎな気持ちでハリアスを見つめ、ちょっと首を傾げて問いかけた。

「いけないですか?」

「いけません。……分かった?」

 図書館で、飛び跳ねるのは、いけない。別に遊んでいた訳ではなくて本を取りたかっただけなのだが、どうもそれも駄目だったらしきことをようやく理解して、ソキはこくん、と素直に頷いた。

 ハリアスがほっと胸を撫で下ろし、ソキが視線をやっていたあたりの本棚を仰ぎ見る。

「どの本が読みたかったの?」

「予知魔術師の本なんですよ」

「予知魔術師の、なんの本?」

 あの棚は全部予知魔術師に関連する本が納められていた筈だけど、と指差すハリアスの手の動きを視線でなぞり、ソキはきゅぅっと眉を寄せた。

 それは数メートルに渡る一列の、右端から左端全てを示していて、ソキが考えていたのよりずっと冊数が多いのである。適当に一冊か二冊、読むことができればそれでいいのだが。

 なんの本ですか、と考えながら、ソキは口を開いた。

「予知魔術師、そのものの……どういう魔術師なのか、書いてある、本です? ありますですか?」

「ある、と思うわ。確か、あった筈……ちょっと、ここで待っていてね」

 言うなりハリアスは梯子に手をかけ、慣れた仕草でするすると登って行った。目当てとする棚に手が届く高さで一度腰を下ろし、眉をしかめながら背表紙を睨みつけ、記憶を探っているのがソキから見る。

 ハリアスの、白くほっそりとした指先が本の背表紙に触れ、ゆっくりと一冊、引き出して行く。それを腰かけた膝の上に置き、ハリアスはこれと、と呟きながらもう一冊、ソキの為に追加した。

 膝の上に置いた本を片手で抱え上げ、ハリアスは登った時同様、するすると慣れた動きで下まで戻ってくると、トン、と靴音も軽やかに床を踏みしめた。

「はい、どうぞ。こっちの本は、予知魔術師に関しての研究書。こっちの本は、歴史的にみて、予知魔術師がどういう存在であったかが書かれた本。……これで、いい?」

「ハリアスちゃん、どういう本があるか分かるんですか?」

 ちょうだい、と両手を差し出してくるソキに仕方がなさそうに笑い、ハリアスは持っていた二冊を己の頭より高く掲げてしまった。手が届かないのでオロオロするソキの顔を覗き込み、ハリアスはゆっくり、言い聞かせるように再度問う。

「この本で、いい?」

「ハリアスちゃん。いじわるです。ソキねえ、いじわるいけないと思うですよ?」

「いじわるじゃありません。ソキちゃん、聞かれたことには答えなければいけないわ。できる?」

 ね、ちゃんと教えて、と囁かれ、ソキはきゅうぅ、と眉を寄せて唇を尖らせつつ、こくん、と頷いた。

「ソキねえ、その本でいいと思うですよ。……あ! 取ってきてくれて、ありがとうございましたです」

「はい。どういたしまして」

「ハリアスちゃん、梯子登るの上手です!」

 ようやく本を受け取りながら嬉しげに笑うソキに、ハリアスはすこしばかり照れた風にはにかんだ。

「図書委員だから。本の内容も、全部覚えている訳ではないけれど……ソキちゃんの役にたてて、よかった」

「ハリアスちゃん、委員会部なんです? メーシャくんと一緒?」

 不思議がるソキの手を引いて貸し出し手続きを行う一角へ連れていきながら、ハリアスはちいさく首を振って言葉を否定した。

 メーシャ、と名前が出た瞬間にややもの言いたげな色を灯した瞳は、けれどもすぐにソキが彼の青年と同じ日に入学したことを思い出したのだろう。

 言葉を飲みこんだ唇の動きに気がつかず、ハリアスちゃん、と名を呼ぶソキに、少女はためらいがちに言った。

「その部とは、また違うの……」

「そうなんです? ソキはねえ、茶会部なんですよ。ナリアンくんと一緒なんです。でもねえ、ロゼアちゃんは違う部活なんですよ。ロゼアちゃんはすごいんですよ! 昨日もおべんと作ってくれたんです。とってもおいしかったんですよ!」

 なぜか自慢げに言うソキに微笑ましく頷きながら、ハリアスは慣れた手つきでてきぱきと本の貸し出し手続きを済ませ、大事に読んでくださいね、と囁いた。はぁい、と頷くソキに、ハリアスはひっそりと声を潜めて問いかけた。

「ところで、その……ソキちゃんは、メーシャさん、とは……仲がいいの?」

「仲がいいの?」

 きょとんと目を瞬かせて、ソキはよく分からないです、と言いたげに首を傾げた。仲がいいっていうのは、どういうことなんです、と考えて、ソキはなんとなく背伸びをして、ハリアスの耳元でこっそりと告げた。

「メーシャくんはね」

「はい」

「ロゼアちゃん、とらないんですよ」

 分かりましたですか、と伺ってくるソキをじっと見つめ返し、ハリアスはなにかを考えているようだった。炎の色をした宝石色の瞳が、思考にふけている者特有の冷静さでソキの姿を眺め、やがてはっとしたように目が見張られる。

「……ソキちゃんは、もしかして……砂漠の」

「でもソキはもう結婚しませんよ」

 それを、あまりに嬉しそうに言うものだから、ハリアスは知らず、強張っていた体から力を抜いた。そうなの、と呟くと、そうなんですっ、と頷かれる。その腕には魔術師の本が抱かれていた。

 言葉を探してしばし、迷い、ハリアスはソキの目をじっと見つめて口を開く。頑張ってね、となにかを応援したい気持ちで、でもそれは違う気がして。ハリアスは手を伸ばして、息を吸い込む。

「……一緒に、がんばろうね」

 こくんっ、と嬉しそうに頷いたソキが、ハリアスの指先を、ぎゅっと握ってくる。ちいさな手は、温かく。意志を灯す人の熱を、持っていた。

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