彼女には友人という概念が存在しない 10

「うん」

 へにゃ、と笑み崩れて、ソキは頷いた。

「大丈夫ですよ、リボンちゃん。……あ、あのね、リボンちゃんね、知ってるかも知れないですけどね」

「なに?」

「ロゼアちゃんねぇ……ロゼアちゃんねえ、学園にねえ、いたんですよ。今ね、一緒なんですよ」

 その存在を、どれほど。求めていたか、妖精は知っている。ずっとずっと、それを見てきた。その嘆き、その渇望と共に、旅をしてきた。そう、と静かに頷いて、妖精はソキの指先を引き寄せ、抱きしめた。

「よかったわね、ソキ」

「うん。……うん!」

「ところでそのロゼアだけど」

 うん、と幸せそうに笑うソキに、妖精はにっこり、笑い返した。

「アンタまさか一緒に寝たりとかしてないでしょうね?」

「ソキねえ? 学園に来てから一回も一人で寝てないですよ?」

 きょっとーん、と音がしそうな表情で、ものすごく不思議そうに、ソキが首を傾げた。そうかそうか、とごく冷静によしロゼア呪うと思いながら、妖精は笑みを深め、問いを重ねる。

「で、アンタ自分の部屋で寝てるんでしょうね?」

「ソキね? ロゼアちゃんのお部屋で寝ることにしたんですよ?」

 あ、やめた呪うのやめたやっぱりあれだ、事故に見せかけて殺そう、と決意しながら、妖精はふぅんそうなの、と頷いてやった。そして、ソキの髪の毛に手を伸ばし、がっとばかり掴む。ぴっ、と恐怖に声をあげるソキに、妖精はふわり、花のごとくに笑みながら告げる。

「ソキ」

「は、はい……!」

「旅の間、ひとつ、言い忘れたことがあったからいま言うわ」

 分かりましたです聞きますですあの、あの髪の毛から手を離して欲しいなってソキ思うんですあのね引っ張っちゃ嫌ですよ引っ張るの痛いですよっ、とぷるぷるぷるぷる涙目で訴えてくるソキに、にっこり笑みを深めて。

 がっと力任せに引っ張りながら、妖精は全力で怒鳴った。

「男は狼なのよ気をつけなさい! 射程範囲に入ったら一撃でやるつもりで叩きこみなさい! 容赦はいらないし慈悲なんて抱くなっ!」

「やああぁああん痛いです痛いですううっ!」

「どうしてアンタはそうなの! そう男に対しての警戒心というものがないの……!」

 掴んでいた髪をぺいっとばかり投げ離しながら苛々と叫ぶ妖精に、ソキは涙目で首を傾げた。

「ソキ、男のひとに警戒、ちゃぁんとしますですよ」

「ど、どの口が……! ロゼアと一緒に寝てるとか言ったでしょう! 今!」

「リボンちゃん、なに言ってるです?」

 ソキねえそろそろねえリボンちゃんにひっぱられたところはげちゃいそうな気がするんですよ、とすんすん鼻をすすりながら訴えて、ソキは溜息をつきながら言った。

「ロゼアちゃんは、ロゼアちゃんですよ? 男のひとと、ロゼアちゃんは、違うです。ロゼアちゃんです」

「……あぁん?」

「あのねえ、リボンちゃん。ロゼアちゃんですよ? ロゼアちゃん!」

 ソキは、まるでそれが全ての説明であるかのようにそう言って、自慢げに胸を張った。うん、アンタがなに言ってるのか分からないわ、と頭痛を感じて首を振り、妖精はくたりと編み籠の持ち手に体を伏せ、呻いた。

「……ロゼアって、男じゃ、なかったっけ……?」

「ロゼアちゃんは、男の人ですよ?」

「アンタ自分がなに言ってるか分かってる? 分かってんの? 分かってないでしょ?」

 不穏な空気に、髪を手で押さえてささっと妖精から遠ざかり、ソキは分かってるですよぉ、と頬をふくらませた。それだけで、待てど暮らせど、それ以上の言葉がソキから響く気配は見られない。

 説明終わり、のようだった。はー、と息を吐きだし、妖精はちらりと視線を持ち上げる。

「ねえ、ソキ」

「なぁに?」

「アンタ、友達とか、親しい先輩とか、できた?」

 とてもではないが、そんな気はしなかった。旅の途中、コイツ健全な交友関係を築くことができるのかと危惧した通りになっている。ソキはそれでも即答はせず、ううん、と難しげに眉を寄せて考え込んだ。

 てっきり、いないです、ときっぱり告げられるものとばかり思っていた妖精としては、その反応こそが意外である。それだけでも、ほんのすこし、旅の間よりは変わってきている気がした。

「んー……?」

 でも、夢と浪漫部は違うですし、と呟かれたのを聞き咎め、妖精はまだあのろくでもない部存在していたのか、と遠い目になって思う。てっきりストルか、ツフィアが卒業と共に滅ぼして行ったとばかり思っていたのだが。

 あの二人がとある少女に対してみせた、いっそ清々しく、空恐ろしいまでの執着を考えればあの部が存続していることこそが奇跡である。そういえばストルは、学園に担当教員として来ている筈だった。

 あとでストルの話も聞きだそうと思いながら待つ妖精に、ソキはんん、と困ったように眉を寄せ、ぽつん、と呟く。

「ソキね? ハリアスちゃんとね、時々ね、おはなし、するんですよ」

「……仲いいの?」

 ううん、と困ったようにソキが首を傾げる。そこがもう、なんだか、よく分からないらしい。仕方ないので根気よく、妖精は付き合ってやることにした。

 どういう話をするのか。なんで話をするようになったのか。話をしていると楽しいのか。一緒にいると、楽しいのか。

 ソキは妖精の質問に一々困りながら、お勉強のおはなしです、ソキ覚えてないです、ふわふわしてほにゃんっていう気持ちになるです、と答え、視線を草原の上に落っことして、溜息をついた。

「リボンちゃん……」

「なによ」

「ハリアスちゃん、ソキとおはなし、たのしいかなぁ……」

 聞いてみなさいよ、と妖精は言った。もし駄目だったら呪ってやるから、と告げる妖精に、ソキはふるふる首を振って、だめですよ、と言った。

「ソキねえ、白いお花摘みに来たです」

「……え? 今そういう話してた?」

「リボンちゃん、お花、摘んでいいです?」

 会話を続けたくなかったら、もうなかったことにしちゃえばいいですよ、とぴかぴかの笑顔で言い放つソキを思い浮かべ、妖精は、そうだコイツだいたいそういう馬鹿だった、と溜息をついた。

 げっそりしながらも、いいわよ、と頷いてやると、ソキは両手をあげて大喜びする。

「よかったですー! ソキ、これで復習ができるですよ!」

「……なんの勉強してんの?」

「予知魔術の、初歩の初歩って、おにいちゃ……ウィッシュ先生は、言ってたです」

 みていてくださいね、と囁き、ソキの手が白い花を一輪摘みあげる。花園に座りこんだ状態でその花を両手で持ち、ソキは祈るように目を伏せた。瑞々しい果実ように、赤いくちびるが息を吸い込む。

「風は、赤」

 ぶわっ、と音を立て、魔力が立ち上るのを妖精は感じ取った。それはソキの体の中から現れ、解き放たれることなく、その周囲に漂っている。きゅ、となにか堪えるように一度引き絞られたくちびるが、弱々しく開いた。

「風の中で蝶が踊る。……ソキの、風は、あか、赤」

 ぐるり、大きく円を描くように揺れた魔力が、ソキの手元、持つ白い花へ吸い寄せられていく。ソキが、ゆっくり、目を開いた。まどろむように優しく、瞬きがされる。

「……赤い蝶が風」

 白い花が一瞬、夕日のように輝かしい赤を帯びる。その花びらが帯びる魔力に耐えきれず、瑞々しく散るのと。花開いたその上に、赤い翅を持つ蝶が具現し、空気にゆらりと溶け消えるのは、ほぼ同時のことだった。

 ひえた、芳しい匂いで空気を染め上げ、白い花びらは全て散る。宿った赤は透明に明滅し、やがて魔力の名残を宿し、消えてしまった。ふう、とソキは息を吐く。

「これをね、十秒、形にしておくのがソキの、今の課題なんですよ」

「……花じゃなきゃ駄目なの?」

「白いお花じゃなきゃだめなんです」

 他だと色が混じっちゃうんですよ、と呟くソキは、それを経験済みなのだろう。ちょっと大変でした、と報告してくるのに何が起こったのかは詳しく知りたくないと思いつつ、妖精は不思議な気持ちでソキを眺める。

 誰より早く、それを知っていた筈だった。それでも、思い直す。これは予知魔術師。己の言葉で世界の理を書き換える者。魔力を帯びた花は、ソキの膝の上に降り積もり。甘やかな芳香で、ただ、空気を染めた。

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