彼女には友人という概念が存在しない 09

 たぶん、すごく、だめ、と言わない気は、するのだが。

 ううん、と困ったように首を右に傾げ、左に傾げ、もう一度右に傾げて、ソキはしょんぼりと肩を落とした。自分で決めていい、というのはもう知っているのだが。

 知識とは別のところで、不安がる心は、どうしてもロゼアに確認を取りたがった。ねえ、と不安げな声が胸の奥で囁く。

 ねえ、ねえ、あのね、ロゼアちゃん。ソキは大丈夫ですか、ソキは、ちゃんと、ロゼアちゃんの育ててくれた通りにできてますですか。ロゼアちゃん、ロゼアちゃん。

 もしソキが『花嫁』じゃない、そういう風じゃないことをしても、怒ったり嫌ったりしませんですか。自由で、普通で、そういう風になっても。そういうふうに、しても。自分で決めても。本当に、それを。

 すとん、となにかが地に落ちる音がしたので、ソキはふと視線を持ち上げた。腰かけから地へ下りた猫が、てし、てし、と歩いてソキの方へやってくる。

 え、と思って動けなくなってしまったソキの足に、白い猫はすり、と体を擦りつけてきた。顔を見上げて、にゃぁん、と一声鳴くさまはどこかソキを心配しているようで、それでいて、会えたことに挨拶をしてくれているようでもあった。

 こしこし、額をソキの脚に擦りつけてくる白い猫を見下ろしながら、ソキは怖々としゃがみこんだ。触ってしまわないように手を胸に押さえ付けて、えっと、えっと、と声を出す。

「こ……こんにちは? です?」

 にゃあ、と今度は嬉しそうに鳴いてくれる。ぱたぱた、振り子のように左右に振れる尾がものすごく可愛くて、ソキはうずうずとそれを見つめ、手を伸ばしかけてひっこめた。

 聞いておけばよかったですぅ、と再度、心底落ち込んだ呟きを落とし、ソキは猫をじぃっと見つめて問いかけた。

「今度は、ちゃんと聞いておくことにするです。にゃんこちゃん、次はいつ会えるですか……?」

 白い猫はぺたんと耳を伏せ、困ったように一声、にゃぁん、と鳴いてみせた。うんうん、とソキは頷いた。

「なんて言ってるのか分からないです!」

 にゃん、とさらに困ったように鳴く白い猫を名残惜しそうにじーっと見つめて、ソキはよいしょ、と立ち上がった。猫の目がじっとソキを追う。また会いに来ますね、と言って立ち去るソキの背を、猫はそのまま注視して。

 やがて一声、にゃぁん、と鳴いた。




 妖精の住まう花園と、森の境界付近へ到着したソキは、花の蕾を前にしゃがみこみ、じーっとそれを見つめていた。どう見ても硬く閉じた蕾は、見ても待っても綻びそうにはない。

 くしゃりと絞られた花びらは純白で、ソキの必要とする色をしていたが、咲いていなければ意味がないのである。えっと、と困りながらあたりを見回すと、なるほど、ウィッシュが言っていたようにこの境界は純白の花の群生地であるらしい。

 ひえた、芳しい香りが蕾が閉じてなお空気を染め上げていたが、ソキにしてみれば大変困ったことに、視認できる範囲の全てがかたく花閉じていた。これはもしかして、と記憶を巡りながらソキは呟く。

「夜行性……なんです……?」

 夜咲きの花であるとしたら、今の時間に咲く筈がなかった。そーっと空を見上げたソキの目には、まだまんなかにも到達していない太陽の、眩い姿が見える。待つには長すぎる時間だった。

 んー、と困って視線を空から地上へふよふよ降ろして行ったソキの目に、花園が映った。妖精の住まう園。小高い丘に咲き乱れる花は色とりどりで、中には白い花もあるだろう。

 たしか本には、妖精の花園で勝手に花を摘んではいけない、と書かれていた。花園は妖精たち共通の持ちもので、そこに魔術師は立ちいることを許されてはいるものの、所有物を摘み取る許可は得ていないのだと。

 本には簡素に、摘むとどうなるか、も書かれていた。呪われるらしい。

 んー、んんんー、と首をこてこて、右へ左へ傾げて考え、ソキはぱちんと手を叩いた。

「妖精ちゃんに許可取ればいいですよ!」

 そうですそれがいいですそうすることに決めたですっ、とにこにこ笑って立ち上がり、ソキは編み籠を手に持って妖精の花園へと歩き出した。幸い、そう距離がある訳ではない。

 夜咲きの白い花の群生地から花園は、目と鼻の先で、ソキは息切れをする間もなくそこへ足を踏み入れた。見渡す限りの平原。小高い丘がどこまでも続き、万華鏡のように輝く花がなないろに風に揺れていた。

 たくさんの花の甘い香り。それを胸に吸い込み、草を鳴らして歩きながら、ソキはきょろきょろとあたりを見回した。どこかその辺で飛んでいる妖精に、白い花ばかり、何本か摘む許可を得なければいけない。

 どこかにー、妖精ちゃんー、とんでー、ないですーかー、とふわんふわん響く声でちょっとご機嫌に歌いながら歩むソキの目に、真昼の中でも不思議と浮かびあがって輝く、まるい妖精の光が飛び込んで来た。

 あ、とソキが嬉しげな声をあげる。それにぱたりと羽根を動かして振り返った妖精の姿を、はっきりと視認して、ソキはその場に編み籠を落として走り出した。

「リボンちゃあああああんっ!」

「え……えっ、ソキ? ソキ、ちょっとアンタ走るんじゃないわよ走るな足元を見ろ転ぶ転ぶ転っ」

 ぱっと両手を広げて抱きつくように案内妖精の元へ辿りついたソキは。

「会いたかったですーっ!」

 ぱちーんっ、と。音を立てて、手を閉じた。ぱちぱち、ぱちん、と瞬きをして。

「……あ!」

「……ソキ」

 即座に手を離してごめんなさいごめんなさいソキねえそういうつもりではなかったんですよっ、と大慌てするソキを睨みつけ、間一髪で避けてみせた妖精はひらりと少女の頭の上へ飛ぶ。

 やぁんやぁんごめんなさいですよおぉっ、とすでに半泣きの声でぴいぴいわめくソキの髪を両手で掴み、妖精は遠慮なく力いっぱいソキの髪を引っ張りながら、だからなんでアンタって子はっ、と声を張り上げた。

「なんで! そうなの! なんで潰そうとするのっ! やめなさいって言ったでしょう二度とするなって言ったでしょうちょっと会わない間でもうこれかっ! この低能! 大馬鹿っ! ちょっとアンタなんなのどうしたの元気でやってんのっ? 夜は寝てんでしょうね、朝は起きてんでしょうねっ? ごはんはっ? 食べてんのっ? 授業ちゃんと出てるっ? いいからアタシの質問に答えなさいよ!」

「やあぁんやぁあんっ、リボンちゃん髪の毛ひっぱっちゃやですっ。やです、痛いですっ」

「アタシだったから避けられたのよアンタ分かってんでしょうねぇっ!」

 いい加減にしないと抜くわよっ、と脅す妖精にやあぁああんっ、とぴいぴい鳴き声を響かせ、ソキはひたすら、ごめんなさいもうしませんリボンちゃんだいすき、を繰り返した。

 繰り返すこと十回目でようやく手が離され、呆れと疲労感いっぱいの顔つきで、妖精がソキの目の前まで降りてくる。くすん、すんっ、と両手でひっぱられた辺りの頭を手で押さえながら、ソキはリボンちゃんはぁ、と涙声で言った。

「なにしてたですか? 日光浴です?」

「そんなところよ。で、ソキ? こんな時間に、どうしたの?」

 怒りを落ち着かせた妖精が真剣な声で案じてくるのに首を傾げ、ソキはあれ、ときょときょと足元を見回した。

「あ、あれ、あれ? ソキ、ソキのおべんとう……ソキの……!」

「泣くなー!」

 じわわわわっ、と涙を滲ませるソキに頭が痛そうに怒鳴り、妖精はほらあっち、とソキが走ってきた方を指差してやった。勢いよく振り返ったソキはそちらへ走って行こうとして、ぷぎゅっ、と声をあげてその場で倒れる。

 足がもつれて転んだらしい。いたいです、とすんすん鼻を鳴らして起き上がったソキを、妖精は心底呆れ切った眼差しで見下ろした。

「ねえ……成長が見られないっていうのは……どうなの……?」

「うー、うぅー……ちがうんですよ! ソキねえ、じつは、あんまり転ばなくなったんですよ!」

「悲しい嘘をつくのはやめなさい」

 たった今目の前で転んでおいて、なにを言っているのか。本当なんですよっ、とむくれながら、ソキは落っことした編み籠の元まで歩き、それを大事そうに拾い上げ、ほぅと息を吐きだした。

「……あ! ソキね、白いお花を摘みに来たんですよ!」

「それは、アタシのどの質問に対する答えなの?」

「えっと? ソキがこんな時間に? どうしたの? です?」

 なんで全部疑問形なんだお前は、と半眼で睨みつけたのち、頭を振って、妖精は心の底から息を吐きだした。

「……授業に出にくくて外歩いてたとか、じゃ、ないわね?」

「今日の授業ねえ、全部お休みになっちゃったんですよ」

 ぷぷーっと頬を膨らませて不満いっぱいのソキに、コイツに正しく質問への回答を口にさせる為にはどうすればいいんだったかしら、と笑顔で苛々しながら、妖精は編み籠の持ち手に腰を下ろした。

「ソキ」

「はい。なぁに、リボンちゃん」

 ソキねえリボンちゃんに会えて嬉しいです。とってもですよ、とにこにこ笑うソキに、妖精は静かに問いかけた。

「嫌なことは、ない?」

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