彼女には友人という概念が存在しない 08

 なんとなく機嫌良さそうな顔でごろごろと甘えてくるソキに、ロゼアはさてなにがあったのだろう、と首を傾げた。実技授業が上手く行ったらしきことは、珍しく進んで食べた夕食の時に聞いたのだが、どうもそれだけではない気がする。

 まだ生乾きの髪を布で拭って乾かしてやりながら、ロゼアはソキ、と少女の名を呼んだ。あざやかに輝く碧の瞳が、喜びをきらきらと灯してロゼアを映しだす。

「ロゼアちゃん」

 うれしい。だいすき。しあわせ。そんな気持ちがとろとろに溶け込んだ声で、ソキはふわふわに笑った。

「なんですか?」

「なんかいいこと、あった?」

 うふふ、と口元に両手をあてて笑うソキの声が、灯りを落とした部屋の中、響いて行く。

「ナリアンくんも、メーシャくんも、ロゼアちゃんも、お花、あったかいって言ってくれたです」

「ああ、ソキの持って来た、白い?」

 二人が座りこむ寝台の上にも、その白い花は撒かれていた。ひやりとした、嗅いだことのない心地良い甘い匂いが、ほわりと包み込むような暖かさと共に漂ってくる。熱とは、違う。触れる魔力の温かみだった。

 幾度となく繰り返した問いを、もう一度、ロゼアは繰り返す。

「ソキ。この花、なんなんだ?」

「白雪の、お庭の、お花なんですよ。これからしばらくねぇ、授業が終わるとこうなるんですよ」

 なるほど。ちっとも分からない。浮かぶ力ない笑みをそのままに頷き、ロゼアはぽんぽん、とソキの頭を手で撫でた。その腕にじゃれつくように手を伸ばし、ぎゅっと抱きしめて、ソキはおおきくあくびをする。

「ふぁ……あのね、あのね、ロゼアちゃん」

「んー?」

 ぽん、ぽん。眠りを促すように背を撫でながら問うロゼアに、ソキはうとうとと瞼を下ろしながら囁いた。言葉にならず、響かず、すぐ寝息になってしまったその声に。

 笑って、ロゼアはソキの髪に手を差し入れ、指先でするり、一房を撫でた。花の温かさがほんの一瞬、胸に焦げ付くような痛みを。意識を書き換えるような眩暈を起こさせたことは、きっと、気のせいなのだと。

 そうひとりごちで、ロゼアもまた眠たげにあくびをしたのち、くゆる灯りを吹き消した。

 ソキの魔力は、ロゼアによく馴染んだ。まるでその為にあつらえたもののように。恐ろしいほどになんの抵抗もなく、染み込んで、溶けた。




 談話室の出入り口付近には柔らかな木で作られた掲示板があり、そこには生徒に関わるありとあらゆる知らせが張り出されている。例えば、部活動の勧誘や、活動内容にまつわるちょっとしたお知らせ。

 例えば、生徒向けのごく簡単な労働のお知らせ。依頼人は同じ学園の生徒であったり、王宮魔術師であったり、はたまた学園の専任講師であったりと様々で、ちょっとした報酬も約束されている。

 ソキのように銀行口座を持つ一級の特例を除き、己の自由になるお金を持たない者が大半である。

 それによって放課後や日曜日に金銭を稼ぐ者が大半で、生徒たちは熱心にその掲示を見つめ、提示された条件、魔術師の適性や己の属性、年齢や特技に一致しているかを確認しては一喜一憂するのが常だった。

 とはいえ、ソキには基本的に関係のないものである。ソキが興味を惹かれるのはそれら勧誘や、労働の張り出された区画の隣。

 雑然としたお知らせごとに紛れてしまわないよう、場所を決めて張り出されている、授業にまつわる告知の方だった。ウィッシュがソキの授業を見られる日の、前日に、そこにソキへ向けての伝言が張り出される。

 だいたいは適当な紙片に走り書きで、明日授業があること、何時から、持ち物はなにとなに、予習と復習でこれをやっておくこと、待ち合わせ場所、以上六点が書き込まれ、簡素なピンで留められている。

 聞けば本人が自ら出向いて掲示しているのではなく、各国王宮と寮を飛びまわって手紙や書類、こうした掲示物をピンで留めるまでしてくれる妖精たちがいるとのことだったが、残念ながらソキは、まだ一度もその姿を見たことがなかった。

 朝、昼、夕と日に三度、掲示板が更新されているにも関わらず、目にする機会がないのは、単純にソキにその為の時間がないからだろう。

 毎日の午前中は全て座学で埋まり、午後も半分くらいは授業を受け、もう半分は予習や復習、読書で日々が過ぎていく。

 ソキの一週間を教えてもらったウィッシュが、俺はそんながんばんなくていいと思うよ、と控えめにたしなめてきたが、今のところ、少女にそれを改善する気持ちはなかった。勉強が好きだからである。

 その為、その日の夜に掲示されたお知らせは、ソキの気持ちをしょんぼりさせるに十分だった。張り出された紙は、全部で四枚。どれも明日の授業をお休みすると伝えるもので、悪いことに、その四つとも、ソキが受けている授業だった。

 つまり明日一日の予定が無くなってしまったのである。お勉強したかったんですよ、とロゼアの膝の上でひとしきり拗ねたソキは、何度か頭を撫でて名前を呼んでもらったことで潔く復活した。思考を切りかえる。

 授業がないのなら、もう仕方がない。それじゃあ自習するですよ、とソキは決意した。

 遊んだり、休んだりしてもいいんだよ、と苦笑混じりに告げてくるロゼアにふるふると首を横に振ったのは、他ならぬロゼアが授業をしているのに、ソキだけ遊んだり休んだりする気がなかったからだ。

 ソキが言い出したら頑ななことは、ロゼアはよく知っている。それ以上は止められず、なにをするのか、を尋ねられた。

 お花を摘んで実技授業の復習するですよ、とソキが言ったところで通りがかったのがナリアンだった。

 ソキちゃんお花摘みに行くの、となにそれ想像するだけで可愛いなぁソキちゃんとお花畑とっても可愛いっ、と全力で思っているに違いないきらんきらんの瞳で問いかけられて、ソキはこくりと頷いた。

 ついでにピクニックしておいでよ、と提案したのは、労働のお知らせを選びに行っていたメーシャだった。条件に合うものがあったのだろう。連絡待ちの紙片を手に、メーシャはにこにことソキの顔を覗き込んでくる。

 おべんとうとか、おやつとか、ロゼアに作ってもらって持って行けばいいだけだからさ、と告げるメーシャに、ナリアンが俄然やる気を出した表情で、目をきらりと輝かせた。

 ぴょこんっ、てでっかいわんこちゃんのお耳がナリアンくんの頭に見えたです、と言ったのはソキ。ふっさふさの尻尾振ってた気がする、としみじみ頷いたのはロゼア。

 ナリアンかわいいな、と満面の笑みで心行くまで級友を愛でるメーシャに見送られ、ぱたぱたと談話室を走り出て行ったナリアンは、待ちつかれたソキが眠くなるより早く、戻ってきた。

 その手に持っていたのは編み籠である。無垢な木の色をした、持ち手がひとつのまあるい籠。

 これにお弁当とか入れて持って行って、花も摘んで帰って来ればいいんじゃないかなっ、と目で必死に訴えるナリアンに、ソキはナリアンくんなんでこんな籠持ってたんです、と首を傾げながらも受け取った。

 その背後で床を手でばんばん叩きながら、ナリアンの女子力まじパネェ、と爆笑する寮長がいた気がするが、気のせいだと思いこむことにしたので特になにを感じることもない。

 かくしてその日の朝、ソキはお弁当とおやつと飲み物の入った編み籠を両手でよいしょと持って、学園のある森の中心部から、妖精たちの住まう花園の境へピクニック、兼授業の復習をしに出かけることとなった。

 花園へ向かうのとは逆方向と知りながら、ソキが図書館へ向かったのは、昨夜が満月だったことを思い出したからだ。

 満月の、次の日にならもしかすれば。そう告げてくれたハリアスの言葉に期待して、そっと木の腰かけを覗き込んだソキの想いは、正しく報われた。

 白い猫が、ややしょんぼりとした風にまぁるくなって、すうすうと穏やかな寝息を響かせている。きゃあぁっ、と声をあげそうになった口をあわてて閉じて、ソキはその場にちょこんとしゃがみこんだ。

「にゃんこちゃん、ですー……!」

 ちいさな声だったが、白い猫の耳がぴくりと動き、ぱちっと開いた目がソキを見る。わーっ、と間近できらきらと眺めるばかりのソキに、白い猫はどこか控えめに、にゃぁん、と鳴いて尻尾をぱたつかせた。

 ソキは、ちょっともうどうしていいか分からない幸福感にひとしきりふにゃふにゃと笑った後、己をじっと見つめてくる猫に、ちょこんと首を傾げてみせた。

「にゃんこちゃん、なにしてたです? お昼寝です? 寝るの好きです? ここあったかくて気持ちいいからソキもお気に入りの場所なんですよ! うふふ……うふふっ、ソキねえ、ソキねえ、これからおでかけなんですよ!」

 ロゼアちゃんがねえおべんとうとおやつと飲み物を用意してくれたんですよさすがはロゼアちゃんですっ、と自慢げに一息に言い放って、ソキは尻尾をぱたりぱたりと揺らしながら、話を聞いてくれているように見える白い猫を、じぃっと見つめた。

 撫でてみたいです、触ってみたいです、とうずうずうずうずしながらも、ソキはちょっと困ったように眉を寄せ、はふ、としょんぼりした息を吐きだした。

「ソキねえ……ロゼアちゃんにねえ……にゃんこちゃん撫でていいか、聞くのを忘れちゃってたんですよ……」

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