彼女には友人という概念が存在しない 07
傍付きをとらないひと、というのは、実際のところ『花嫁』から他者に下される評価としては最高に近いものである。
それを理解できるのは同じ『花嫁』か『花婿』、あるいは彼らの内心に精通しきった傍付きだけだろうが、当然のことながら、ナリアンもメーシャもそれに含まれていなかった。
つまり、おともだちじゃない、という評価がその二人を傷つけるかも知れない可能性、というものにウィッシュは気がついていたので、ソキにそれとなく言い含めておいた。
そういうのはあんまり口に出すもんじゃないよ。柔らかな歌のような声は、くどくどと言い聞かせられるよりずっと耳の奥に響き、ソキの意識に刻まれて行く。
俺たちの基準や俺たちの考えは、あくまでその中でだけ通用するものであって、普通の感覚が多い『学園』ではたくさんの誤解を招いてしまうものだからね、と告げられて、ソキは素直にそれを受け入れながらも、首を傾げて問いかけた。
「ロゼアちゃんにいうのも、だめです? ロゼアちゃん、ふつう?」
「……う、うー……ん?」
授業の終わり。瑞々しいままに花びらを散らした白い花の残骸をかき集め、つめたい香りを吸い込みながらウィッシュは難しげに眉を寄せた。
「俺にはまだちょっと判断してあげられない……けど、言わない方がいいかなぁ」
「ロゼアちゃんにも?」
答えが、ソキにはちょっと不満だったらしい。
唇をとがらせ、ロゼアちゃんですよっ、だってロゼアちゃんですよ、としきりに訴えてくるのにそれは分かるんだけどさぁと頷いて、ウィッシュは花びらをぱらぱらと用意しておいた布袋の中へ詰め込んだ。
ちょうど、少女の枕ほどの大きさの袋の口を紐で縛り、ウィッシュは視線を彷徨わせて言葉を探す。
「ええと……ほら、ソキにおともだち居ないって知ったら、ロゼアは心配すると思うし」
「ソキねえ、ロゼアちゃんにないしょないしょすることにしました!」
絶対に言うものか。絶対にだ。
断固としてだ、と宝石色の瞳が瞬間的に決意していた。握りこぶしで力いっぱい宣言するソキに、ウィッシュはうんうん、そうしような、それがいいよな、と適当な頷きとあいづちで対応し、にっこりと笑って花びらをつめた布袋を差し出した。
「心配かけたくないもんなー?」
「ん、んっ。ソキねえ、ソキねえ、おともだちいないの、ロゼアちゃんにないしょなんです」
こくこく、一生懸命頷きながら、だから先生も言っちゃだめなんですよ、と訴えてくるソキに、ウィッシュはふぁ、と気のないあくびを返事の代わりにした。もすん、と布袋をソキの胸に押し付けて、ウィッシュはぱちぱちと瞬きをする。
「んん……講師室で仮眠していこうかな……いやでも今寝たら朝まで起きれないから、寮長に起こしてって頼んでからにしようかな……。そうだ、次の授業は三日後な。それまで、どっか適当にそのへんに咲いてるお花摘んで復習しておいて。白っぽいお花な。妖精の花園と森の境界付近に白いお花いっぱい咲いてるから、それ摘んでくるといいよ。まあ、なければ何色でもいいけど」
「先生は、なんで寮長、好きなんです?」
「ソキは、なんで寮長、苦手なんだろうな? あと、俺のいうこと聞いてた?」
花びらのいっぱい詰まった袋を両手で抱えて受け取って、ソキはほにゃりとした声で、はぁい、と返事をした。茎から落ちた花びらは瑞々しいきれいな香りがして、ソキの気持ちを和ませてくれる。
おふとんに撒いて寝るですよー、とうきうきするソキに、ウィッシュはすこし考えた後、大丈夫だと思うけどさあ、と布袋を眺めた。
「魔力にも相性あるから、おふとんに撒くのはいいけど、ロゼアの気分が悪くなったりしたら回収しなね」
「はーい」
「相性が合えば、疲労回復にも役立つから。手を出してもらって、花びら一枚置いて、熱かったり、痛かったり、気持ち悪かったりしなければ大丈夫。平気そうな相手には、ポプリみたいにして渡してあげるといいよ。しばらく、授業で花びら出るからさ」
はぁい、と話を聞いているのか聞いていないのか、どちらとも取れるほにゃほにゃした返事を響かせて、ソキは図書室の奥まった部屋から外へ出た。本棚の間をすり抜けるようにして歩き、階段を下りた所でウィッシュと別れる。
途中で一回座り込んで休んだのち、ソキはどきどきそわそわしながら図書館の外へ出た。夕刻の、光に暖められたぬるい風が顔に吹きつけて来たので、ソキはぷるぷると頭をふり、もう、と頬を膨らませて一歩を踏み出した。
視線は、自然と道の端、木のベンチへと向かう。
「あ!」
そこに、ひとりの少女が腰かけ、本を読んでいた。ソキの嬉しそうな声に顔をあげた少女は、はにかむように、そぅっと眼鏡の奥の瞳を和ませ、微笑みを浮かべる。
ソキは、てててっ、と気持ち早足でかけよりながら、ぎゅうぅっと布袋を抱く腕に力を込めた。
「ハリアス先輩、です! ハリアス先輩、こんにちは!」
「こんにちは、ソキちゃん。……授業の、帰り?」
「はい。ロゼアちゃんのお迎えに行くんですよ!」
にこにこご満悦の様子で言うソキに、ハリアスはなぜか、ああきっとこの少女は誰かと出かけてはぐれて、そのことに気がついても相手が迷子になっちゃったと大慌てしてオロオロして、自分が迷子になったのだという事実やら可能性を欠片も考えたりしないんだろうな、という予感めいたものを感じたが、それを口に出しはしなかった。
前向きなのは悪いことではない。うん、とひとつ頷き、ハリアスはうずうず、そわそわした様子で己と、ベンチの空いた空間を見比べているソキに声をかけた。
「……座る?」
ぽんぽん、と隣を手で叩きながら尋ねれば、ソキは満面の笑みでこくこく、何度も頷いた。ちょこっと腰かけたソキは、そのまま期待に輝く目でハリアスを見つめてくる。
「ハリアス先輩。にゃんこちゃん見ましたです?」
「……本を、読んでいたから」
「なんの本ですか?」
問いかけたソキに、ハリアスはややためらうそぶりを見せたのち、手に持っていた本の表紙をみせてくれた。題名だけでそれと決められる訳ではないが、物語ではないようだった。
なんの本です、と再度首を傾げたソキに、ハリアスは溜息に乗せる、ちいさな囁き声で言う。
「白魔術の……勉強の、本よ」
「ハリアス先輩、お勉強好きなんです?」
座学を終えた午後。日当たりと風の気持ちいい場所を選んでそういう本を読んでいる理由が、ソキには他に思い浮かばなかった。唇をきゅっと閉ざし、無言で頷くハリアスに、ソキはそうなんですか、とこころもち弾んだ声で頷く。
「ソキもねえ、お勉強好きなんですよ!」
「……え?」
「いっぱいお勉強したいんです。ソキも、予知魔術の本を探すことにします」
あっ、でもその前にお花の本です、忘れてましたっ、と残念そうに呟き、ソキはせわしなく足をぱたつかせた。
「白いね、お花なんですよ。白いお花が一番なんです……あ、ソキ、ロゼアちゃんを迎えに行かなきゃいけないんでした!」
まとまりのないソキのおしゃべりは、慣れない人間にはいっそ理解不可能の域に突入するものである。
どう声をかけたらいいものか、迷いあぐねる表情で沈黙するハリアスの視線の先で、ソキはよいしょとベンチから立ち上がって、持っていた布袋の中へ手を入れた。
「ハリアス先輩、て、出してくださいです」
「……手? こう?」
「はい。ソキねえ、授業がんばったんですよー」
言いながら、ソキは白いはなびらを一枚、差し出された少女の手の中へ舞い落とした。ふうわり、風を抱く動きで落ちてきたはなびらに、ハリアスの指がぎこちなく曲がり、包み込む。
眩しげに細めた瞳で花びらをじっと見つめながら、思わず、という風にハリアスが呟く。
「あったかい……」
「ふふ。ハリアス先輩、元気になぁれ、なんですよ」
もさっとひとつかみ、さらに花びらを布袋から掴みだして、ソキはそれをハリアスの両てのひらにぱらぱらと落とした。
これはなに、とハリアスが問いかけようとするより早く、ソキはぱっと身を翻し、本人曰くロゼアの迎えへ行こうとしている。立ち去る、その背を呼びとめかけて。
ハリアスは両手を閉じるように花びらをやさしく抱き、きゅ、と眉間に力を込めて息を吸った。
「……ソキちゃん!」
道の先へ。歩いて行こうとしていたソキが、不思議そうに振り返る。その場で立ち止まり、ちょこ、と首を傾げる姿に、さらに息を吸い込んだ。
「せ……先輩、なんて、硬い呼び方、しないで……いいですよ」
しおしおと、力を無くして行った言葉がソキまでちゃんと届いたのか、ハリアスには分からなかった。細かく震える指に力を込めた瞬間、わかりましたっ、となぜかやたらと自信に満ちた、したったらずな甘い声がほわりと響く。
「ハリアスちゃんです!」
「……ソキちゃん」
「ハリアスちゃん、またソキとおはなししてくださいね!」
ばいばいまたね、とばかり手を振って、また一生懸命歩いて行くソキの背を見送ってから、ハリアスはそっと目を伏せて手の花びらを見つめた。きよらかな芳香を、胸一杯に吸い込む。
おはなし、しようね、とゆっくり呟いた言葉は、ハリアスが思うよりずっと、優しく世界へ響いて行った。
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