彼女には友人という概念が存在しない 06
「うん」
「それでね、それでね。ロゼアちゃんにもね、言われてたんですよ」
ああ、俺もおんなじことで悩んだなぁ、とにがく思いながらも、ウィッシュはうん、とソキの前に両膝をついて座りこんだまま、身じろぎもせずに話を聞いてやった。
恐らく、ロゼアには上手く話せなかったことを、ようやく聞いてもらえる相手に巡り合えたことで、ソキはすこしばかり感情が高ぶっている。
んん、と言葉に迷って、探して手をぎゅっと握り、もどかしそうにしながらも、ソキは泣きだしそうに何度も、何度も目を瞬かせた。落ち着くまで、ウィッシュは言葉をかけずにただ待つことにした。
声をかけるより、その手に触れるより、傍に座りこんだまま、離れないでいる。考え込むのは一人きりでもいい。孤独ではないことだけ、分かってくれればそれでいい。
やがて、あのね、とソキが視線をもちあげた。戸惑いに揺れる、碧玉の瞳。生きた宝石。凍った森のいろ。
「ソキは、もう、結婚しなくていいです……」
「うん」
「『花嫁』じゃないソキは、なにを、すれば、いいんですか……?」
うーん、と気楽な様子でウィッシュは首を傾げ、ぱちぱちと瞬きをする。
「まずは、そういうのを考えることかなぁ……。ロゼアは、なんか言ったりしな……しないか、しないな。うん、傍付きだもんね、ロゼア。無理だな。無理っていうか傍付きだもん」
ロゼアが無理っていうより『傍付き』がまずそういうことを言うのが無理、と頷きながら呟いて、ウィッシュはソキを安心させるように笑いかけた。
「で、なんでそんなこと考えちゃったの?」
「考えるのいけないです?」
「俺は、理由を、聞いてんのね?」
いいとか悪いとか、そういうことは言ってないだろ、とごく軽く叱るように言い添えれば、ソキの眉がきゅうぅっと泣きそうに歪められた。純粋に芸術品を観賞するような気持ちで、その表情をも、ウィッシュはかわいいなぁ、と思う。
かわいくて、綺麗で、あどけなくて、可憐。そういう風に作られ、そういう風に整えられた。これはそういう生き物だ。そして、己も。そう生まれ、そう育てられ、そう形づくられた。
今更、もう、他のものになどなれない。他のものになど。望んでも、望まれても。そのかたちになってしまった。
「……だって」
だから本当は、ウィッシュは、ソキの答えを知っていた。なにを見てそう思ったか。なにを、そう感じたのか。
「だってね」
凍りついた、森の。瞳が、まっすぐ、ウィッシュを見る。
「おにいちゃんは、いまでも、綺麗です……?」
完成された『花婿』。時を経て魔術師となっても、目で感じる印象がまったくぶれていないのだろう。屋敷から姿を消した時と、今と。見た目や、仕草も大きいだろう。
ウィッシュはいまでも同年代の同性と比べれば粗野な動きはしないし、できないし、話口調も派手に荒れたり、崩れたりはしていない。青年の、柘榴石の瞳がわずかばかり伏せられ、ふわり、風を抱く動きで持ち上げられた。
そうだね、と声が響く。『花婿』の。決してひび割れず、強固なまでに完成しきった、歌のように響く声が囁いて行く。
「そういう所は、根本的に、俺は『花婿』のままだよ……。俺が『花婿』じゃないって言ったのはね、ソキ。そういうことじゃなくて……結婚しなくていいとか、それはそうなんだけど。そういうことだけじゃなくて、立場、とか……ううん、なんて言えばいいのかな」
言葉にするのは難しいんだけど、と息を吐き、ウィッシュは抱く白い花に視線を落とした。
「なにかしていいんだよって、皆そういう優しい言い方しかしないけど。自分で、全部、しなきゃいけないんだよ、ソキ。分かる? ……自分で、考えて、自分で、決めて、そうしていかなきゃ、いけない。もちろん、悩んだり相談したりしていいんだけど。全部ひとりでって、そういうことじゃないんだけどさ。俺たちになかった自由で、俺たちが、今もらうことになった自由っていうのは、そういうことなんだよ。考えること……ああ、そっか、うん。こういえば分かるかな。あのね、ソキ、俺たちはもう『花婿』じゃないし、『花嫁』じゃないから、自分で考えた、それを正解にして動いていいんだよ。それを誰も怒ったりしない。悪いとか言われない。なぜなら、それは怒ることでも、悪いことでもないから。ふつう、なんだよ。普通」
「……ふつう?」
「そう。普通。俺はそこが普通にな……ろうとして、わりとすごく頑張ったので、たぶんいまちゃんと普通くらいなんだけど、そう思いたいんだけど。えっとそれはともかくとして、えっと……ソキが、『花嫁』じゃなくなるっていうのは、外見的な問題とは全然別のトコにあるので、うん。ソキは、たぶん、よっぽどのことがない限り、見かけと印象はこのまんまだよ。俺が昔から、今まで、今も、こういう感じであるようにね」
並大抵じゃない努力で作りあげられてしまったものだから、今更、俺とかソキの個人の努力でどうにかなるものではないよ、と言ってのけたウイッシュに、はじめて、ソキが安堵の息を吐く。
ふにゃん、と体から力を抜いてもたれかかってくるのを、花束ごしに指先で撫でて、ウィッシュは喉を震わせて笑った。
「焦んなくていいよ、大丈夫。ゆっくり、色々考えて、悩んで、分かんなくなったらこうやって聞かせてな。一緒に考えるのは悪いことじゃないよ。どうしたらいい? って聞いて、どうすればいいよって教えて貰うだけが、相談じゃないよ。どうしたいの? って聞き返されたら、ソキが思ってること、考えてること、言って、一緒に考えてもらってもいいんだよ。答えられたことを全部飲みこまなくて、そこから、また、じゃあどうしようって考えていいんだよ。大丈夫。いっぱい、いっぱい考えな。考えるのは……特に、予知魔術師であるなら、絶対に必要なことなんだから」
「どうしてです?」
「それは、もうちょっと授業が進んだらな。さ、行くよ、ソキ」
図書館行って授業しような、と促され、ソキはこくりと頷いてソファから立ち上がった。床に足をつけ、よいしょと立ち上がっても、すこしふらつくだけでソキはもうすぐに歩き出すことができる。
成長してるなぁ、と雛鳥を見守る親そっくりの眼差しで目を細め、ウィッシュはゆったりとした仕草で立ち上がった。
そうして、てくてく、てちてち、どこか物慣れない仕草で一生懸命歩いて行くソキの後ろを追いかけ、のんびりと問いかける。
「そういえばソキさあ、学園生活どんな感じ? 楽しい? お友達とかできた?」
お友達っていうのはロゼア以外で、とウィッシュは最初から言わなかった。言わなくても、ソキはロゼアのことをそういう風に感じたことはないだろう
。ロゼアは傍付きで、そして今であっても、ソキの中ではそういう認識である筈だった。ウィッシュがロゼアを見てそう思う以上、『同族』であるソキがそれを間違える筈もない。
足元に注意して歩きながら、ソキがウィッシュの問いに、ごく普通に口を開いた。
「ソキねえ、おともだちいないんですよ」
なにも気にしていない、なにも感じていない。それは物の名前を聞かれ、知っているものだから教えてあげた、そんな答え方だった。予想と寸分違わぬ答えであったので、ウィッシュもまたそれを問題視することなく、そっかぁ、としみじみ頷いた。
「ナリアンとメーシャだっけ? あれは? おともだち?」
てく、と一歩踏み出して、立ち止まって。振り返ったソキは、ウィッシュをぱたぱたと手招いた。ん、としゃがみこんでやった耳元に、ソキは手で筒をつくってこっそりと告げる。
「……ナリアンくんと、メーシャくんはねぇ。ロゼアちゃん、とらないひとなんですよ。怖くないです。ソキねえ、ナリアンくんも、メーシャくんも、とっても好きですよ」
おともだちとは、言わなかった。たぶん、それがどういうものであるかすら、ソキには分かっていないのだろう。だからそれが、せいいっぱいの、答えだ。うん、と頷いて、ウィッシュはソキに微笑んでやった。
いつか、きっと、もう遠くない日に。それが分かる日も来るだろう。かつてのウィッシュがそうであったように。だから、今はそれでいい。怖くないのは、よかったな、と言うと、ソキは嬉しそうに笑い、こくん、と一度、頷いた。
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