彼女には友人という概念が存在しない 02


 二人の間に沈黙が流れた。

 お互いに交わした視線で、なにいってるのかすらわかんないです、えっそれともまさか蝉とかそういうのがいいのアイツら怖いじゃん飛ぶし鳴くし、ソキだんだんかえりたくなってきました、でもほら妖精さんって言ったからやっぱりちょうちょさんか小鳥さんだと思うんだよね俺、だからねえソキはねえおにいちゃんがなに言ってるのか分かんないって言ってますもうやだやだやだそきかえる、という意志を相手の受け取りなく投げつけ合い、二人はなぜか、同時にこくりと頷いた。

「もしかしてこれ授業なんです?」

「うん。俺は授業しに学園に来てるからね?」

「……これ、どういう授業なんです?」

 そう問われてはじめて、ウィッシュはソキがなにも分かっていない状態であると認識したらしい。へ、と間の抜けた声をあげてせわしなく瞬きをしたあと、恐る恐る問いかけてくる。

「誰にもなんにも聞いてない?」

「誰に、なにを聞けば、よかったです?」

「……ストルとか、ロリエスさんとか、チェチェリアさんとか、寮長とかに? え、俺が行けない間は、予知魔術師はこういう授業するよっていうのだけでも、誰かに聞いておいてって、手紙に書かなかったっけ……?」

 ものすごく申し訳なさそうに問われたのに、しばし考え。ソキはきっぱりと言い切った。

「書いてないです」

「う、うわあああああぁんっ! ご、ごめんなっ、ごめ、ごめんなああああああっ?」

「おにいちゃん、もしかして忘れんぼさんなんです……?」

 疑わしげな眼差しのソキに、ウィッシュはめそめそしながらこくりと頷き、しょんぼりと息を吸い込んだ。

「ごめん……。でも先生ってちゃんと呼んで」

「せんせいわすれんぼさんです」

「ううぅ……」

 涙ぐんでずびずび鼻をすすりながら、ウィッシュはひどく申し訳なさそうにソキを見た。

「じゃあ、今から説明するから……えっとな、普通の実技授業っていうのは、その本人の適性と属性、あとは才能とか、そういうの。そういうのに合わせて、できるであろうことを、ちゃんとできるようにする為のものなんだけど」

 あ、お詫びに陛下からもらった飴あげるな、と言いながら、ウィッシュが布袋から硝子の小瓶を取り出し、桃色の飴玉をソキの手の中へ落とした。瓶の蓋を閉めて袋へぽいと投げ込みながら、淡々とした声が説明を続けていく。

「予知魔術師には、それ、あんまり関係ないんだよね。俺たちには魔術師として、できることと、できないことがあるけど。予知魔術師はそういうの、ないからさ。全部出来るから、適性ごと、属性ごとの才能を伸ばしてあげるっていうか……できるようになること、っていうのが、そもそも存在しないんだよね。できないことないから。だから、できるであろうことを、ちゃんとできるようにしていく訓練……いわゆる、魔術的な制御を精密なものにしていく方法が使えない。全くできないってことじゃないんだけど、できることがありすぎてそれじゃ追いつかないんだって。魔術発動のそもそもが、予知魔術師はちょっと違うみたいだし……」

 俺たちはね、と眉を寄せて難しそうに考え込みながら、ウィッシュは言った。

「魔術をそれとして世界に解き放つ時、呪文を唱えるのと、そうしたいと考えるの、二つ方法があって」

 もちろん、呪文を唱えるのが正式なやり方ではあるんだけど、と告げながら、広げた色紙をひとまとめにして行く。

「俺たちは、そのどちらでも、一応正確に、ちゃんと魔術を使うことができる。けど、予知魔術師はそれができない。確か、言葉魔術師も。思考……と、感情で、言葉なく魔術を扱えるのは、予知魔術師と言葉魔術師以外。理由は、そのふたつが、言葉なくては正式な発動を可能としない魔術師だから」

 正式じゃないってことは暴走するってことだよ、と柔らかな声で告げられて、ソキはリトリアに告げられた言葉を思い出した。

 思考と感情、心の奥底に封じ込めておいたありとあらゆるものが形を成す。それが予知魔術師の暴走。言葉なき魔術の発動。

「予知魔術師に必要なのは、魔術の制御訓練じゃない。修練でもない。思考と、感情、それと、感覚。それをどこまでも精密に言葉にして表すこと。それによって、なにが起こるかの予想と、知識。概念と、思考と、発想の支配。……予知魔術師の魔術っていうのは、世界を、己の意志感覚に置き換える力。支配で、改変で、想像。で、その初歩っていうか……その為に必要なのがこれね」

 これこれ、とウィッシュの指先が、先程ソキが選びだした色紙を突っついて示す。

「風と、火と、水と、大地。炎、氷、自然。祝福と、呪い。月と、太陽と、夢。時間と、空間。代表的な魔術師の属性と、適性がここに集まってる。この色彩で、世界を描いていくのが予知魔術師の、魔術だよ」

「……ソキのいろ?」

「そう。これがソキの色、ソキの魔術。この色彩が、ソキの中にある魔力。予知魔術師は色で魔術を捕らえる……ってリトリアが言ってた。まずはその色を覚えることが実技授業の第一歩。で、それだけだと覚えにくいから、なにかと組み合わせてやると良いんだって」

 お前の風の色彩は赤。なめらかに、歌うように呟きながら、ウィッシュの手が色紙を持ち上げる。

「赤い風の中で舞うのは、ちょうちょさんと小鳥さんならどっち? って、聞いたの」

「……あかい」

 まばたきの為の閉じる瞼の裏側に、それは浮かんで見えた。ぞわぞわと湧きあがる奇妙な感覚にくちびるを動かされ、ソキは泣きそうになりながら意志に言葉を乗せた。

「赤い、ちょうちょが……ソキの風です」

「ん。分かった」

 よかったー、俺が作れそうなもので、と言いながら鋏を動かして紙を切り、ウィッシュは机の上にそっと一羽の蝶を舞いおりさせた。

 質問は単に、ウィッシュが作れそうなものの中から告げられただけで、ソキが明確な形を持っているのならばなんでもいいらしい。

 でもできるなら俺が嫌いじゃないものにしてくれると嬉しい、蜘蛛とかやめてね、あしがいっぱいあって怖いし糸がでるとか本当怖いから、とお願いされて、ソキはこくりと頷いた。

「それじゃあ、次な。黒い火は、なに?」

 目を、閉じて。考えて。ソキはちいさな声で、灯篭、と言った。夜を照らすひかり。それを閉じ込めるもの。黒色の灯篭こそ、ソキの持つ火の魔術。




 森の彼方へ落ちる太陽の光が空を茜色に染め上げた頃、ウィッシュはざっと顔を青ざめさせて立ち上がり、あああああそうだった思い出した俺今日夕食を陛下と一緒にするって約束してたんだったごめん俺もう帰らなきゃごめんなソキごめんなごめんな続きはまた明日しような明日も来るからそういう感じでよろしくそれじゃ気をつけて寮まで帰るんだぞ、と一息に言い放ち、部屋を走って出て行った。

 のち、二秒ですぐ派手に転んだ音がしたので、ソキはぽかんと口を開けて目をぱちぱちと瞬きした後、しみじみ、心の底から、おにいちゃん落ち着きないです、と言った。

 よほど慌てているのか、走っては転び、立ち上がって走ってはまた転び、を繰り返した後、ウィッシュは己が実際問題走ることができない、というのを思い出したのだろう。

 ソキが窓から見下ろした担当教員の後ろ姿は、せかせかとした早歩きで寮の方角へと向かっていた。

 ソキはその正確な位置を知らないのだが、寮と授業棟、講師室のある区画にはそれぞれの国へ直結する『扉』があるので、それを使って帰るのだろう。

 その背が見えなくなるまでしっかりと見送り、ソキはふうと息を吐いて立ちなおし、部屋の中をぐるりと見回した。四人がけの机と、椅子があるばかりの部屋。

 机に広げられていた色とりどりの紙も、様々な形を成した紙細工も、今はひとつとして残されていない。

 その色と、思い浮かんだ形を口にした時のことを思い出す。ぞわり、なにかが身の内でうごめく感覚があった。

 肺から喉を抜けていく空気のように。心臓から全身を巡って行く血液のように。頭から背筋を貫いて走る痛みのように。

 それは確かにソキの中に生まれ、それでいてずっと在ったのだと存在を主張するように現れては消え、染み、やがては落ち着いて行った。

 それが、魔力。

 それが、魔術なのだと、ウィッシュは言った。世界を書き換える為の。己の意志感覚で支配する為の。意志を表す為の。それが、力なのだと魔術師は言った。

 気がつけば左の人差し指、そこにある指輪を見つめていたソキは、ふるふると首を振ってから顔をあげる。


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