実技試験編

彼女には友人という概念が存在しない

彼女には友人という概念が存在しない 01

 予知魔術師としてのソキにはじめての実技授業、担当教官が付きっきりで行う魔術訓練授業が行われたのは、入学してから二週間後のことだった。

 担当教員つきの実技授業というのは、必ずしも毎日行われるものではなく、その義務もない。担当教員は、その魔術師の専属として学園に在ることを『許されている』だけであって、彼らの本業はあくまで所属する王宮の魔術師である。

 仕える王の魔術師、と言ってもいいだろう。

 魔術師たちの主も教員側の都合は重々承知しているのでそう無理難題を言いつけて手元に彼らを縛りつけたり、呼びもどしたりこそしないものの、適性と属性、才能がものをいうのが魔術師の生きる世界であるから、どうしてもその人でなければ出来ない、という物事も時には存在する。

 授業中に、その講師をと指定して伝令が飛ばされてくるのも、珍しいことではない。

 そういう場合、予定されていた授業は自習、あるいは休講となり、魔術師は『扉』を使って学園から王宮へ、戻って行くのが常だった。彼らは基本的に、戻って行く。

 拠点は王宮に与えられた一室、あるいは許可を得て市街に構えた住居であり、学園の講師室ではないのだった。

 中には授業の度に王宮と学園を行き来するのが面倒くさいからと、寮、あるいは講師棟の空き部屋を居室にしてそこへ住んでいる者もあるが、許可を与えられた上でのことである。

 王宮魔術師の自由というものは基本的に仕える王の手の中にあり、彼ら個人のもとへ降りてくることは決してない。そういうものだ。だから別にソキは、ナリアンやロゼア、メーシャが担当教員と顔を合わせた翌日、あるいは数日後からさっそく実技授業を開始して、びしばし扱かれているのを見ても特に不満は覚えなかった。

 どうしても一週間、長くて二週間は授業しに行けませんごめんちょうごめんほんとごめん、と書かれたウィッシュからの手紙を手に、深く息を吐きだしただけである。

 手紙は謝罪だけで行けない間の課題についての記載はなく、他の講師にそれとなく尋ねても、担当教員からの指示がないのであれば、と特に教本を与えられることもなかった。

 これってもしかして放置っていうのではないですか、とひとりだけ実技授業を受けられないで迎えた二週間目の朝、ようやく気がついたソキはぷーっと頬を膨らませて怒ったが、食堂にかけ込んで来たウィッシュが、他ならぬ予知魔術師の担当教員が、両手で顔を覆ってさめざめと泣き、ごめんなどうにか説得してきたから今日から授業しような連絡もできなくてごめんな詳しい事情はソキがもちょっと大人になったら話してあげるからごめんお願い今は聞かないでくださいお願いします、と言ったので許してあげることにした。

 どうにも言いたくないようだったので、事情を聞かず、ソキは溜息の数だけを増やした。幸せ逃げっぱなしである。回収の見込みはない。

 かくして、入学してから実に二週間。ようやくはじめての実技授業を受けるソキは連れてこられたのは、図書館だった。

 生徒用に厳選された書物が納められている図書室ではなく、建物として独立した図書館の方である。四階建てで地下もある。慣れなければ中で迷う程の広々とした作りで、不定期で迷路大会やら肝試しやらが行われているらしい。

 この世界に存在する書物の殆ど全てが納められているという噂が嘘か本当かは分からないが、それを可能とする広大さと莫大な量の書物は話を信じさせる雰囲気を持っていた。

 天井まで続く書棚には横へ移動させることのできる脚立が何本もかけられ、その半ばに座りこんで本を読む者の姿もある。それらを横目に通り過ぎ、ウィッシュがソキを誘ってきたのは四階の、階段の位置から見て一番奥にある部屋だった。

 普段は使わない部屋なのだろう。鍵がかけられており、使用には許可を、との立て札が扉の前に置かれている。立て札の隣をすいと通り抜け、ウィッシュは金色のちいさな鍵を穴へと差し込んだ。鍵を開け、扉を押し開き、中に入る。

 その後に続いて足を踏み入れ、思わぬ眩さに、ソキは強く目を閉じた。傍らで、忍び笑いの声がする。すっと瞼の裏に薄闇を感じたと同時に、ウィッシュの声が耳元で囁いた。

「大丈夫。目を開けてみな、ソキ。……太陽の光だから、怖いことはなんにもないよ」

 砂漠の国で、『花嫁』は大切に保護される。部屋に幾重にもたらされた柔らかな布が強すぎる日光を遮断し、あるいは和らげ、透明に漉された陽光だけがほんのりと目に写し出され、肌に触れた。

 だから真昼の強すぎる光は、それが砂漠でなくとも、ソキは苦手だ。ウィッシュが確保した一室は、特に日当たりの良い場所であったらしい。

 そろそろと目を開いたソキの視界には、太陽の光が燦々と降り注ぐ、眩しいくらいの室内があった。部屋は広くなく、四人がけの長机と椅子があるばかりで、本棚もなにもない。

 ただ、清潔なにおいのする部屋だった。淡い砂色をした床や壁は塵ひとつなく保たれていて、部屋の奥にあるひとつきりの窓は半分開かれ、よく風を通していた。そこから、学園の校舎と、寮と、森が見える。

 学園の建物は全てが森に囲まれ、木々の中に建っている。隠れるように、紛れるように。守られるように。抱かれるように。

 息を吸い込めば、みどりの匂いがした。

「じゃあ、準備が終わるまでソキは座って待っててな。……そういえば、なんか部活作ったんだって?」

「誰に聞いたです?」

「ん? エノーラ」

 アイツ、なんでか知らないけど学園内の些末事まで詳しいんだよな、と不思議にも不安にも思っている表情で呟き、ウィッシュはソキが座った、その正面の椅子を引いて腰かけた。

 国から出てない筈なんだけどなぁ、と呟きながらウィッシュが肩から下げていた布袋の中から取り出したのは、色紙と色鉛筆、鋏と糊と筆記用具だった。ソキは今日は手ぶらでいいよ、と言われていたので、なにも持っていない。

 つまりそれが、ソキの実技授業を行うにあたって、担当教官が用意したものであるらしかった。髪を撫でていく風が心地いい一室で、ソキは思い切り首を傾げた。

「ウィッシュせんせ?」

「んー?」

 色紙を手にしてしげしげと眺めていた視線が、ふんわり動いてソキを見る。

「なに?」

「ソキ、実技授業をしに来た……です?」

「うん。授業、授業。ただ、用意しなきゃいけないからさ。ちょぉっと待って……ソキ、風は何色?」

 かぜ、とソキは繰り返し呟き、きゅうぅと眉を寄せて唇を尖らせた。

「ちょっとよくわかんないです」

「だから、風。吹いてる風のことを考えて、色をつけるとしたらそれは何色? この中なら、どれだと思う?」

 色紙を扇状に机に広げられたので、ソキはその中から花のような赤を選んだ。牡丹の花色をしたそれを差し出すと、ウィッシュは不思議そうに目を瞬かせながら受け取り、少女とよく似た仕草で首を傾げる。

「赤? なんで?」

「リボンちゃんのねえ、目の色なんですよ!」

 風は何色、と問われてソキが思い浮かべたのは、旅を共にした案内妖精のことだった。風と踊るように飛んでいた、その姿。地平の果てまでを挑むように見通した、赤い瞳。

 そっか、と呟いてその色紙を避けて置き、ウィッシュは同じような質問をソキに繰り返した。火の印象はなにいろ、水は、大地は。その理由はなに、どうしてそう思ったの。

 それにソキは時に考えながら、素直な印象で色を選び、言葉にして理由を告げた。火の色は黒、夜の中であざやかに燃えるから。

 水の色は緑、森の中に湧水があるから。大地の色はうすい薄い黄、岩が砕けた砂漠のいろだから。

 幸せなのは小麦色、撫でてくれるロゼアちゃんの手のいろ。悲しいのは白、なにもわからなくなるから。ソキが答えるたびにウィッシュは帳面にそれを書きとめ、指定された色紙を束の中から抜き取って行った。

 しばらくして、こんなもんかな、というウィッシュの呟きで質問が終わったことを理解し、ソキはぐったりと机に身を伏せた。

 へしょり、と音がしそうな突っ伏し具合に、ウィッシュが手を伸ばして妹の頭を撫でてくる。もうちょっと準備あるから頑張ろうなー、と告げられて、ソキはだからあぁっ、と泣きそうな声をあげた。

「ソキ、実技授業をしに来たですよ……!」

「うん。それで俺は、今その準備をしてるんだよ?」

 しょうがないじゃん、魔術の種類いっぱいあるんだからさー、とソキの不満を軽く受け流しながら、ウィッシュは風と指定された牡丹色の紙と鋏を手に取り、考え込みながら口を開いた。

「で、ちょうちょでいい? 小鳥さんのがいい?」

「なに聞かれてるのか分かんないです」

「え? トンボとかのがいい?」

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