もうすこし、同じ速度で 05


「……だれ、に?」

「うん。ソキ、誰に怒られると思うんだ? ……ソキは、もう、いいんだよ。結婚しなくていいんだ。『花嫁』じゃなくて、いいんだよ。……だから、ソキが好きなことをしても、怒るひとは誰もいないよ。俺も、怒ったりしない。勉強しなきゃ駄目だろうなんて、言わないよ」

 もう怖いことなんてないよ、と囁き。怖いことがあったとしても、それから必ず守ってみせるのだと告げるように。ロゼアの手は優しくソキを抱き寄せ、怯える体を宥めていく。

 ソキの硬質な意志を宿した瞳がふにゃりと歪み、あまく、したったらずな声がロゼアを呼ぶ。

「ろぜあちゃん」

「したいこと、なんでもいいよ。難しかったら、俺が手伝う。今はできなくても、やってるうちに、ソキにもちゃんとできるようになるよ。……なにがしたい? ソキ。なんでもいいよ」

 なんでも叶えるよ、とソキには聞こえた。うん、とちいさく頷いて、ソキは息を吸い込む。

「あのね、ロゼアちゃん。あのね」

「うん」

「ソキね。でもね。やっぱりね。お勉強するですよ」

 俺の宝石がちょっとなに言ってるのか分かりません、とばかり一瞬現実逃避めいた笑みを浮かべ、ロゼアがぎこちなく首を傾げる。えっと、と引きつった声が、混乱する意志を物語っていた。

「ソキ、そんなに勉強するの、好きだったか……?」

「だって、したいことって言ったですよ。お勉強は、学校でも、しないといけないことですよね?」

 上手く考えをまとめられないでいるロゼアを不思議そうに眺め、ソキは確認口調で問いかけた。そりゃあそうだけど、と頷くロゼアに、それだったら、とソキは自信ありげに頷いた。

「しないといけないことですから、ソキのしたいことはお勉強だと思うですよ!」

 えへん、と胸を張って告げるソキに、ロゼアがせわしなく瞬きをした。ぐっとソキを抱く腕に力を込めながら、ロゼアは慎重に息を吸い込む。

「それは……しないといけないことで、ソキの、したいこと、じゃないだろ?」

「……ロゼアちゃん、なに言ってるですか?」

 ゆっくり考えていいから、と告げるロゼアに、ソキはなにを言われているのか分からない表情で首を傾げた。

「しないといけないことが、ソキのしたいことです」

 ソキはなにか間違ったこと言ってるですか、と不安がるソキに、ロゼアはなにも言わず。少女をやわく抱きよせ、深々と息を吐いた。




 ロゼアが気を取り直したのは、それから数分後のことだった。

 膝の上に乗っかったまま好き勝手にロゼアの髪を撫でてみたり、頬をてのひらでぺちぺち触ってみたり、肩に機嫌良くすり寄って甘えてみたり自由にしていたソキは、視線が向けられたのにあまく笑みを零す。

「どうしたですか、ロゼアちゃん?」

 なにか考えついたお顔してますですよ、と嬉しそうにしているソキは、すくなくともロゼアが考え事をしている間、暇ではなかったらしい。

 暇なのにロゼアが構ってくれないとすぐに拗ねて髪を引っ張ってきたり、指先で突いてきたりするので、気がつかないということはないのだが。

 よかった、と内心ほっとしながらじっと見つめてくるソキの目を覗きこみ、ロゼアはゆったりとした口調で囁いた。

「……ソキの、やりたいことがやれる部活を探さないとな、と思って。勉強したいんだろ?」

「はい」

 ようやく分かってくれたですね、と満面の笑みで頷くソキは、ロゼアが己の願いを叶えてくれると信じ切っている。疑いはそこにない。

 ソキの、喜びに赤らんだ頬をてのひらで撫でてから、ロゼアはさてどうしようかと部活一覧の小冊子を手に取った。先程ざっと目を通しただけでも、ソキが望む『勉強ができる』部というのは存在していないように思えた。

 空き時間にそれを行うことはできるだろうが、それはソキの本意ではない。

 ソキにできそうな部活、毎月の題を決めてそれにまつわる本を読む部だとか、刺繍やレース糸で手芸品を作る部も存在してはいるのだが、他ならぬ本人が嫌がるだろう。

 ソキは、興味がないことは直球で、しかも声に出して断る。いえ、ソキそういうのはしたくないですよ、とはっきりキッパリ告げられるのが目に見えているので、ロゼアはその存在を知らせようとは思わなかった。

 そもそもこの小冊子は、ソキが見ていたものである。いくら興味なさそうにめくっていたとしても、ロゼアが出て戻ってくるまでの時間で何往復かしただろうし、見落としていることもないだろう。

 つまり、本当に勉強以外はする気がないのだ。

「って言ってもなぁ……」

 談話室に戻ってきてからソキを抱き上げる僅かの間に、寮長と交わしたいくつかの言葉を思い出す。説明部の言葉もあって、新しい部をつくる為にはその寮長と、星降の国王の許可が必要なことが分かっていた。

 分かっているからこそ。

「素直に許可くれる気が、しない……」

 寮長は去り際、なにも聞こえてないごっこをするソキに向かって、良い部活がなかったら相談しろよ、俺が華麗に新部設立の許可を出してやるからな、と言ってはいたのだが。

 ロゼアの膝の上でちまちまひとり遊びをしていたソキの説明をまとめると、部活で勉強をしたいと言ったら寮長が怒った、という事実が見えてきたので、恐らく『勉強部』の存在は音速で却下されるに違いない。

 うーん、と悩むロゼアの膝の上で、ソキがけほん、と乾いた咳をした。口元に両手を押し当て、けほ、けほんと何度も咳き込むものだから、ロゼアは慌てて少女を抱き寄せ、背を撫でてやりながら喉に良いお茶を入れてこよう、と瞬間的に思って。

 ぱちり、目の覚めた思いで瞬きをした。とりあえずの処置としてのど飴をソキの口に放り込みつつ、ロゼアはひょい、と少女の顔を覗きこんだ。

「ソキ。お茶飲むのは好きだよな?」

「はい。好きですよ」

 淹れるのが好きか得意かなどということは、聞かなくても分かっていた。『花嫁』の教育の中に含まれているからだ。よし、と頷きながらソキを抱えて立ち上がろうとするロゼアの腕を、ぺち、とちいさな手が叩く。

「ロゼアちゃん? ソキ、大丈夫ですよ」

「でも咳き込んでたろ? 乾燥してるし、なにか飲もうな?」

「ソキ、もう今日は待ってるのやです。やーです」

 お茶を入れに行く間、離されるのを察したのだろう。いやいや絶対いや、という顔でひっついてくるのに苦笑し、ロゼアはすぐだから、と根気よくソキを説得した。

 結局、二つ目ののど飴をソキに与えるのと引き換えにわずかばかり傍を離れ、ロゼアは二人分の香草茶を持ちかえった。寮の一角には自炊室もあり、いつでも使用可能で開放されている為、ロゼアにしてみればとてもありがたい。

 ひとくち飲んで温度にも異常がないことを確かめ、ロゼアは陶杯をソキの手に握らせた。ゆっくり喉に通して行くのを眺めながら、ロゼアは離れている間にまとめた考えを口にした。

「お茶を淹れて飲む部っていうのは、どうかな」

「……お茶部? です?」

「それだと似た部があったから、なんていうか……茶会部、かな」

 ちなみに既存の部は、そのまま『お茶部』という、茶にまつわる歴史や作法を学んだり、様々な茶葉を収集して味の違いなどを楽しむそうだ。

 それはあくまで『お茶』というものを楽しむ部であって、ロゼアが思いついたのとはすこし違っている。

「ソキは、その時飲みたいお茶を、自分で自由に淹れていいんだ。で、それをその時々、好きな場所でやる」

 不思議そうに香草茶を飲みながら、ソキは静かに聞いていた。それで、と目の輝きが言葉を促している。疑うことはなく。望みが叶えられると信じていた。

「飲みながら、ソキは好きなことをすればいいよ。本を読むんでも、日記を書くのでも。勉強するんでもさ」

「でも、お茶会部なんです?」

「ソキが、飲みたいお茶を、好きに淹れる部だから」

 これなら寮長も許可くれると思うんだ、と告げるロゼアに、ソキは満面の笑みを浮かべた。

「さすがロゼアちゃんです! ソキ、そうするですよ!」

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