もうすこし、同じ速度で 04


 なにかやりたいことあるか、と親身になって問いかけてくれる寮長に、ソキはいっそ面倒くさそうに眉を寄せた。

「ソキねえ、お勉強したいんですよ?」

「なんだそれつまらん」

 なんでこんなに同じことを何回も言わなければいけないのかと嫌になるソキに、寮長は真顔で引き気味に即答した。とっさに口元を手で覆ったユーニャは、笑いを堪えているらしい。時々、ふるりと肩が震えている。

 はー、と呆れ切った様子でゆるく首を傾げ、寮長はソキの顔を覗きこむ。

「勉強?」

「そうです」

「なんで?」

 火の、熱のように。肌を包み込み焼いていくような怒りを感じて、ソキは息をつめた。なにが寮長を怒らせてしまったのか、ソキには全く分からない。こわい。

 はく、と息を吸い込んで動くだけのくちびるが、怯えてきゅぅと閉ざされた。視線が空を彷徨って、指先はソファの表面をこする。

 ロゼアちゃん、ろぜあちゃんろぜあちゃん。きゅぅ、と目を閉じてしまったソキに、寮長は溜息をついた。勤めて気持ちを落ち着かせてから、ソキ、と少女の名を呼ぶ。

「理由、説明できるか?」

「……りゆうです?」

「勉強すんのが悪いって言ってる訳じゃない、勘違いすんなよ? それ自体は良い、というか……進んで勉強しようとすんのは偉いと思う。けどな、理由がある筈だろ? それを、教えてって言ってんの。俺は。……分かるな? 勉強したい、その理由は?」

 寮長は気をつけて言葉を響かせているようだったが、それでもソキは怒られているように感じた。むずがるように眉を寄せ、くちびるに力を込める。

 話すのが嫌、と全身で物語る態度に寮長は天を仰ぎ、ユーニャは肩を震わせて笑った。

「怒るから」

「……しくじったとは思ってる」

 あーあ、と笑いながら立ち上がるユーニャを見もせず、視線を伏せたまま、ソキはぼそりと呟いた。

「ろぜあちゃん、どこ行ったですか」

「……ん?」

 その存在を求めるのとは違う響きに、寮長とユーニャがそれぞれ、訝しげに問い返す。二人の視線を受け止めて、ソキがゆらりと顔をあげた。にぶく、感情を浮かび上がらせない瞳が、ひたと二人に向けられる。

「ろぜあちゃん、寮長とお話、するって言ってたです。どこ、行った、ですか」

「……もう来ると思うが」

「ソキ、もうやです。おはなし、しないです。ロゼアちゃんじゃないとやです」

 会話しない。断固として。絶対に。寮長ともユーニャとも、しない。盛大にへそを曲げたあげくにそう決意してしまったソキは、言うなりぱたりと瞼を閉じてしまった。

 起こしていた半身をソファに倒れこませ、耳に手をあてて体を丸くする。さわり、遠くで揺れる空気の中に、ロゼア、と途方に暮れた寮長の声が響いても、目を開かずに。

 ソキはかたくなに、ロゼアが戻ってくるのを待っていた。




 ひょい、とソキの体が持ち上げられたのは、瞳を閉じてからいくらもしない頃だった。手さぐりで両腕を伸ばして抱きつき、ソキはもぞもぞと収まりの良い場所を探しながら目を開く。

「ロゼアちゃん」

「眠たい?」

 すわりの良い場所を見つけてソキが落ち着くまで待ち、ロゼアがそう問いかけてくる。手は慣れた仕草でソキの髪を撫で梳き、ゆるゆると乱れを整えていた。

 その手の動きに心地よく目を細めながら、ソキはことんとロゼアの肩に頬を寄せる。

「ソキ、ロゼアちゃん待ってたですよ。おかえりなさい」

「ああ。遅くなってごめんな」

 どうしても離してくれなくて、とやや疲れた様子で呟くロゼアに、ソキはふすんと不満げに鼻を鳴らした。ロゼアがいくらソキの髪を撫でても、抱き方を変えても、『花嫁』の機嫌は一向に回復してこない。

 やや考え込むロゼアの腕の中で、ソキはゆったりとした仕草であたりを見回し、談話室から寮長とユーニャの姿が消えていることを確認した。

「……ろぜあちゃん」

「なに?」

「結局、部活……入るですか」

 問いかけではなく確認になったのは、ロゼアが戻ってくる前に告げられた寮長の言葉があったからだ。目を閉じて耳を手で塞いではいたが、ソキは別に眠っていた訳ではない。

 外側の音を完全に遮断できた訳でもなかったので、聞こえてしまう言葉が、どうしてもあったのだ。寮長は意識を閉ざそうとするソキに呆れたように、怒るようにもしながら言った。

 ロゼアはやりたいことを決めて、戻ってくる。お前はどうするつもりだ。ソキは、それになにも返さなかった。どうする、ということを決めるのは、ソキにはひどく難しい。困ったように笑いながら、ロゼアは素直に頷いた。

「もうなんかなー、色々考えるの面倒になってきて。入部届けも出されてるし……ただ、話を聞いてたら色々身体鍛えて動かすみたいだし、そこまで悪いことはないと思ったから」

 狂宴部の活動内容は、ざっくりとした説明で表すのであれば、過酷な状況の中で全力を尽くして家事をすることである。

 壁を登って窓から窓へ移動する、木の上に登って落下する、屋根の上まで登って駆けまわる、などを行う為に、どうしても身体を鍛えることが必要となってくる。

 登るのと落ちるのが好きで過酷な状況とそれに付随するどきわくそわぁ感が好きで家事が好きかあるいは得意だったら向いている部活です、と部活動一覧小冊子には書かれていた。

 登ったり、落ちたりが好きか得意かはともかくとして、ロゼアに向いた部活である気は、ソキもしていた。なにせ、その部活動を怪我なく安全に行う為に、身体を鍛える、というのも内容のうちだからだ。

 これから勉学に集中するにあたって、体がなまってしまうのはある程度仕方がないことだった。屋敷にいた頃と比べて、身体の鍛練という時間は魔術師には用意されていない。

 だからなまるのを防ぐ為にもいいかな、と思って。告げながら、ロゼアの手は機嫌の悪いソキをあやし続けている。それにあっけなく絆されながらも、ソキはぷーっと頬を膨らませて、言った。

「ロゼアちゃん」

「なに?」

「ロゼアちゃんは、でも、寮長みたいにならないでくださいですよ」

 ありとあらゆる意味で、である。そして、あの部活動に参加していた者たちのようにもなって欲しくはなかった。

 あの手遅れ感をロゼアからも味わう日が来るとしたら、ソキは今この場で、どんな手を使ってでもロゼアに入部を諦めてもらう気持ちでいっぱいだった。

 ロゼアはきっぱりとした声で絶対になにがあってもならないから安心して、と早口で言い、なにか思い出しながらうんざりと首を振った。

「うん……大丈夫だよ、ソキ。俺は絶対に染まったりしないから。染まりたくもないし」

「ほんとです?」

「本当だって。……さて、俺はもう終わったから、ソキの部活を選ばないとな」

 メーシャとナリアンは一緒に見まわってるんだっけ。それと合流してもいいけどな、と悩みながら、ロゼアはソキを抱きあげたままでソファに腰かける。

 ソキはもぞもぞとロゼアの膝の上に乗っかり、体を向かい合わせにして、肩を指先で突っついた。

「ロゼアちゃん、ロゼアちゃん?」

「ん?」

 ソキが投げ出していた小冊子を拾い上げ、ぺらぺらとめくりながらもロゼアは視線を向けてくる。それにすっかり機嫌の良い笑顔でにっこりと笑い、ソキはあのね、と言った。

「ソキ、お勉強、したいですよ」

 ロゼアは寮長のように怒ることなく、ユーニャのように頭を抱えるでもなく、うん、と頷くと小冊子を閉じてしまった。その上でソキの目をそっと覗きこみ、やさしい声で囁いてくる。

「それ以外にしたいことがあったらしていいんだよ、ソキ」

「……ソキね? お勉強したいですよ?」

 きょとん、として。純粋に不思議がって、ソキはもう一度それを呟いた。ロゼアが、ソキの言いたいことを分かってくれない筈がないのに。どうしてだか通じていない気がして、それが不思議で仕方がないのだ。

 それなのにロゼアは、ソキのことをじっと見つめて、その他、が出てくるのを待っている。その他、があるのだと告げるように。ソキは急に不安になって、胸に手を押し当てた。

 きゅぅと眉を寄せ、えっと、と口を開く。

「ソキは……ソキはね、ロゼアちゃん。ソキね」

「うん」

 過度に促すことはなく、あくまでのんびりとロゼアは待ってくれている。それなのに、返せる言葉はひとつきりなのだ。そのことに泣きそうになりながら、ソキはおおきく息を吸い込んだ。

「お勉強したいんですよ」

 うん、とロゼアはもう一度頷いた。本を閉じてそのままそれに触れていた手が持ちあがり、ソキの背に触れて抱き寄せる。くすん、と肩口に額を擦りつけるソキに、ロゼアはただ、どうして、と問うた。

 怒らず、呆れず、やわらかに問う声に導かれたように、ソキはロゼアの耳元にくちびるを寄せた。

「お勉強しないと、怒られちゃうですよ」

 怯えたように体中に力を込めるソキに、ロゼアの手がぽん、と触れる。

「誰に?」

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