もうすこし、同じ速度で 03
そんなナリアンも、ロゼアも、今はソキの傍にいなかった。
ナリアンはメーシャと一緒に部活動の見学をしに寮内や学園を巡っている筈だし、ロゼアは本人の許可なく届けられた『狂宴部』の入部許可書の写しについて、寮長と穏便な話し合いをする為に傍を離れているからだ。
ナリアンとメーシャと一緒に部活動見学の旅に出る道もあったのだが、ソキは談話室のソファに座りこんでいた。
ふかふかの座り心地を堪能しながらロゼアの帰りを待ちつつ、『説明部』に貰った学園の部活動一覧小冊子に目を通し、どこに所属するかを考えていく。所属しない、という選択肢は用意されていないらしい。
必ずどこかの部に入らなければならず、希望がなければ作ればいい。ただし、活動内容が重複する部は設立を認められないので注意しなければならない。
気に入る部があるといいね、と小冊子をくれた『説明部』の女性は、ソキに微笑みかけてくれた。
各部に対して詳しい説明が欲しかったら遠慮なく、いつでも呼んでくれていいからね、と言って去った女性は、今もどこかで誰かに説明をしているのだろう。
先程、彼方からやたらと楽しそうな『説明しよう!』の声が聞こえてきたので、恐らくはソキの想像通りである筈だった。
ソキはぱらぱらと気のない様子で小冊子をめくりながら、談話室の出入り口に目をやり、帰って来ないロゼアにしょんぼりとした溜息をつく。ふ、と影がソキにかかった。
「どしたの?」
ソキを覗きこむようにして腰をおり、尋ねているのは落ち着いた雰囲気の男子生徒だった。短く切られた黒髪に、青い湖のような目をしている。どこか勝気な印象を与える面差しに、今は不思議そうな色が浮かんでいた。
その顔になんとなく覚えがあったのは、彼が一度、わざわざ朝食を食べるソキの所まで来て自己紹介をしてくれたからだった。出身国は楽音。名を、確か。
「ゆー……」
「んー?」
楽しげに笑いながら、青年は一生懸命に名を思い出そうとするソキのことを見ている。考え込む少女に指先が伸ばされ、前髪を撫でて額に触れていく。
熱を計る一瞬の行く仕草はあまりに自然すぎ、悩むソキの意識に触れることはなかった。きゅうぅ、と眉を寄せ、ソキは首を傾げる。
「ゆー、ゆー……ゆ、にゃ、せん、ぱい! です!」
「うん。残念」
にゃぁん、と猫の鳴き真似をして肩を震わせて笑い、青年はソファの前にしゃがみこんだ。
「伸ばしてな、お姫ちゃん。ユーニャ。ユーニャ、だよ」
「ソキねえ、ユーニャせんぱいって言ったですよ? 言ったですよ? それで、ソキは、お姫ちゃんじゃなくてソキなんですよ?」
「知ってる。で? どしたの、ひとりで。なんか悩んでたみたいだけど」
にこにこ笑うユーニャに、ソキは手にしていた小冊子をずいと差し出した。説明の言葉なくとも、それでだいたいのことが伝わったのだろう。苦笑いをしながら頷き、ユーニャはお姫ちゃんはさぁ、とからかうように言葉を紡ぐ。
「なんかしたいことないのかな?」
「ソキねえ、お勉強したいんですよ」
残念ながら、勉強部、というようなものは一覧には乗っていなかった。心底残念がるソキに、ユーニャは聞き方を間違えたかな、とひとりごち、もう一度訪ねる。
「部活で、なんかしたいことないのかな?」
「お勉強したいんですよ」
「……部活動で?」
真面目に問いなおしてくるユーニャに、ソキは真剣な顔をしてこくりと頷いた。だいたい、運動をするような部活は端からソキの対象外である。興味もなければ感心もない、さらに体力もないので所属することなど考えられない。
やりたいことも特にない。趣味というものがソキには存在しないからである。その上で、『なにかしたいこと』と尋ねられるなら、答えはひとつ。授業だけではなくて、もっとたくさん勉強したい。
部活動の為と用意された一日があるのなら、その日を全て勉強に費やしたいのである。たどたどしい言葉でそう説明したソキに、ユーニャはそーっと頭を抱え、ふるふると首を振って呟いた。
「……お姫ちゃんや」
「ソキねえ、ソキですよ? ソキなんですよ」
「知ってる。……お、おおお、どうしてやればいいのかわかんねぇ……」
その内容は部活動として申請しても通らないと思うんだよな、と呻くユーニャに、ソキがぷーっと頬を膨らませた。その時だった。音高く談話室の扉が開き、勝ち誇った声が響きわたる。
「お困りのようだな!」
そこで勝ち誇る意味が分かりません、という困惑の視線と、さすがです今日もあなたはとびきり輝いているっ、という賞賛の視線を受けて立つ寮長に、ソキはにこーと笑みを浮かべて。
困ってないですお引き取り下さいですよ、と言ったのだが、不思議なことになぜか黙殺された。本日二度目のことである。
つかつかと迷いない足取りで歩いてくる寮長の背を、ソキはソファに座ったまま、体をちょっとずらして一生懸命覗きこんだ。ロゼアが一緒に戻ってきているかと期待した為だ。
なにせ寮長と話し合いをしてくる、と言って出て行ったのだから、一緒に戻ってきてもおかしくはない。けれども寮長の背後に人影はなく、待てど暮らせど、談話室の扉が開かれることはなかった。
心底がっかりしてしゅぅんとしたソキに、ユーニャが苦笑を浮かべる。ちょうど二人の元まで到着した寮長をしゃがんだ姿で見上げながら、ユーニャがそっと声を響かせる。それはどこか音楽的な声だった。
なんの楽器にも例えられない、それでいてなにか響く旋律めいた、きれいな印象の声。
「おひとりですか? 寮長」
「ああ。今は。……元気ないな? どうした」
おなかでも空いたのか、と不思議そうにしながら腰を屈めて顔を覗きこんでくる寮長に、ソキはまだがっかりした気持ちのまま、ぷるぷると首を横に振った。そのままくちびるを拗ねて尖らせるだけで、言葉を返さない。
じっとりと、睨むように見つめ返される輝きに、声なくとも察するものがあったのだろう。面白がるような笑みを浮かべ、寮長の手がソキの髪をくしゃくしゃに撫でる。
「言わないと教えてやらないぞ?」
「んー……んむぅー!」
やぁだやぁだ撫でないで触らないでいやいやいやっ、と首を振りながらてのひらで寮長の腕を押しやり、ソキは意地悪な手から逃れようとした。かたくなにくちびるを閉ざしたままなので、むずがる響きがやわりと空気を震わせていく。
はー、と感心したような呆れたような息を吐きながらソキの髪をくしゃくしゃに撫でまわし、ぱっと手を離してから、寮長は言った。
「……ナリアンとは別方向で、お前も相当問題児だな」
「お姫ちゃんですからね」
「手遅れじゃなくてこれかと思うとなぁ……」
しみじみとなにかを分かち合う寮長とユーニャをものすごく嫌そうに眺めながら、ソキは頬をぷーっと膨らませ、髪に手をやった。寮長、お兄さまみたいですいじわるです、と思いつつ、声には出さない。
そういえば屋敷の者たちは今はどうしているのだろう。
お兄さまがまたワガママを言って困らせていたりしなければいいのですが、と思いつつ髪を手で整えていると、ユーニャと寮長が無言でソキを見つめているのに気が付き、少女はきょとんとして首を傾げた。
すこしばかり考えたのち、全く心当たりがなかったので、仕方なくくちびるを開く。
「ソキにまだなにかご用事です?」
「……お姫ちゃんや……もっとこう、さぁ……周囲に興味持とうぜ?」
「なんのご用事です?」
頭を抱えて呻くユーニャから視線を移動させて、ソキはもう一度、今度は寮長に問いかけた。寮長は苦笑しきった表情で、お前は手遅れじゃないけど限りなくそれに近いな、と呟くと、溜息をついて首を振った。
とりあえずその問題は、後回しにしておくと決めたらしい。寮長はユーニャの頭に手を置き、ぽん、ぽん、と宥めてやりながら、ソキの目を覗きこむようにして告げた。
「部活。決まってないんだろ?」
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