朽ちた花でも、何度でも

朽ちた花でも、何度でも 01

 いいよ、と言った。悲鳴染みた朱色の夕焼けが、砂漠に沈んで行くのを眺めていた。他には誰もいなかった。二人きり、どこかへ歩いて行く途中のことだった。

 ふと零れた言葉、後から考えれば弱音か、あるいは罪の告白であっただろうそれを拾い上げて、フィオーレはいいよ、と言った。

 仲が良い方だったとは思う。すくなくとも、会話はしていた。彼が一番多く言葉を交わしたのは、フィオーレである筈だった。学園で生徒として学んでいた時期も、砂漠の王宮魔術師として働くようになってからも。

 彼は言葉を惜しむように、多く話すことをしなかった。一言か、二言。受け答えはそれくらいで、だからこそ、心許す友などはいなかったように思う。

 彼はフィオーレを友とは呼ばなかった。フィオーレも、彼を友と呼ぶことはなかった。

 仲が悪い訳ではなかった。親しくはなかった。けれども、それは、心からの言葉で。フィオーレは彼に、いいよ、と言ったのだ。

 無垢な想いで、それを保障した。そうしていいと思うくらいには、同じ時を過ごしていた。

「いいよ。俺がちゃんと、なおすから」

 安心してくれていいよ、と。言葉にして告げなかったことを悔いる。言葉を、それが持つ力を、なにより知っていた筈の相手に。言葉を、惜しんでしまったことを悔いる。

 何度でも、何度でも。思い出し、繰り返し、後悔する。彼が。幼い宝石の姫君と、その傍付きを破滅へ導いたのは。それから数日あとのことだった。




 他国がどうなっているのかは知らないが、砂漠の王宮魔術師は、帰ってきたら真っ先に国王陛下の元へ行くのが決まりごとである。うがい手洗い身支度その他諸々しなくていいから、自室へ寄るより先に俺のもとへ帰って来い。

 眠ってたら起こせ、というのがその命令を発した本人の言であるから、なににも優先して守らなければいけない規約である、と砂漠の王宮魔術師たちは思っている。

 フィオーレも、もちろんその一人だ。だからこそ、学園から帰った足でそのまま国王の自室を訪れ、帰還の報告をしようと思った訳なのだが。

 その意志が入室と同時にくじかれたのは、寝室で出迎えた国王その人が夜着に身を包み、椅子に座って本を読む目を、ちらりとも上げずにおかえり、と言ったからである。

 フィオーレでなくとも、砂漠の国の王宮魔術師であるならば、それだけで悟っただろう。陛下の機嫌が、ものすごく悪いことを。

 場の空気を電気的に震わせる威圧感はなく、表情が不愉快に歪んでいる訳でもない。声の響きもごく普通そのもので、遠くから見れば機嫌の良し悪しは決して計れないだろう。

 けれど、帰ってきた魔術師に対して目も向けず、笑顔を見せなかった。それは不機嫌であるという遠回しな告白であり、それでいて宥めることも、謝罪も受け止める気はないという意志表示だった。

 つまりは、お前がなにをしてもなにを言っても俺が気がすむまで許さない、ということで、気がすめば許してやるから放っておけ、という王のお達しなのである。

 うぅ、と困った呻きをもらし、フィオーレは悩んだ末に本を読む国王の足元、手元を照らす明りが零れ落ちるその場所に膝を抱えて座り込んだ。

 ふ、とかすかに空気を揺らして笑みがこぼれたのを、話しかけても良い、という許可だと受け止め、フィオーレはそっと主の顔を仰ぎ見る。

「陛下。なに読んでんの?」

「本」

 見て分かれ、と言いたげな、からかいに柔らかく解けた声だった。視線はやんわりと文面に落とされたまま瞬きを繰り返し、紙がめくられて行く。手持無沙汰に文字を眺めているのではなく、本当に身を入れて読んでいるのだろう。

 フィオーレのことを煩がりはしなかったが、気を向けてくれるには、いましばらくの時間と文面の区切りが必要なようだった。そっと息を吐き出して素直な返事に対する期待を諦め、フィオーレは首を伸ばして王の持つ本を伺った。

 表紙を見ると、なぜかなにも書かれていない。文字も、記号もない、ただ丁寧に作られているだけの上製本だった。個人の日記でも読み返しているのかとも思うが、それにしては面差しが真剣で、フィオーレは不思議に訝しむ。

 陛下、と再度呼びかければ、ようやく金の瞳が魔術師を映しだした。なに、と言葉が落とされる。頷いて、息を吸い、魔法使いは問うた。

「なに読んでんの?」

「歴史書」

「……なんの?」

 重ねられたその問いには答えず、男の手がしおりを挟んで本を閉じる。

 投げ出すでもなく、どこか丁寧な仕草で本を置くのを見る分に貴重な書物ではないか、とフィオーレは思うのだが、手掛かりひとつだけでは内容の推測ができる筈もない。

 元より、フィオーレの主君は乱読の気がある。少女が好むような甘い恋愛ものを、意外と楽しいぞありえなくて、と黙々と読んでいたこともあるくらいだ。

 暇さえあれば、とするより書類仕事の合間の休憩時間にさえ本を読みたがるくらいなので、これはもう活字中毒にも等しいのだろう。無言で指先を伸ばし、瞼の上から目に触れる白魔法使いのあたたかな癒しの指先を、主君は微笑ひとつで受け入れてやった。

 そっと指先が離されるのに合わせて瞼を開き、向けられる視線を覗きこむようにして重ねながら、王はようやく言葉を向けてやる。

「フィオーレ」

「はい、陛下」

「お前、どこ所属の魔術師だか言ってみろ」

 瞬間的に、フィオーレは主君の不機嫌の理由を悟った。ゆったり微笑んで待つ主君に、フィオレーはごく申し訳なさそうに告げる。

「砂漠の国の、王宮魔術師です……」

「よし。じゃ、砂漠の国の王宮魔術師が? 誰のもんだか言ってみ?」

「俺の目の前に御座します貴方です」

 うん、と一度だけゆったりと頷かれ、国王の笑みが深くなる。

「じゃ、それを踏まえて。フィオーレ、お前は誰のものだ? 言え」

「砂漠の国の王陛下。我が忠誠と親愛を捧げし君。あなたさまの」

「良し。ああ、言い訳とか弁解とか聞く気ないから、俺が許可するまで黙ってろ。許可してもそれ関連の発言はしなくていい」

 やさしい笑みを深めて、伸ばされる両のてのひらが頬へ触れるのを、フィオーレはむずがゆい気持ちで受け入れた。

 じんわりと顔を温めて行く手はそれ以上動かず、上から降る槍のような視線はひたすら強く、まっすぐ咎めるようにフィオーレの目を覗きこんでいる。言葉はなく、また、許されなかった。

 息を吸い、吐きだして、瞬きだけを繰り返す。思いついて腕を持ち上げ、指先を王の手首辺りに触れさせれば、ふと気配が和んだので正解だったのだろう。心配されていた、とはすこし違う。単に不愉快だったのだろう。

 裏付けるように、きゅ、と結ばれていた口唇が綻び、ぐちめいた独り言が吐きだされて行く。

「ったく。……お前の他にも、白魔術師なんぞ居るだろうに」

 でも、俺が一番なんだよ、と返す声を胸の中だけで響かせたフィオーレの、言いたいことなど分かっているのだろう。笑い飛ばすように表情をゆがめ、王のてのひらが白魔法使いの髪を撫でて行く。

「……様子見に、学園行くくらいなら許すけど。あんまり呼ばれて、出歩くな。返事」

「はい。……はい、陛下。今回は、行かせて下さってありがとうございました。新入生、皆元気で式へ向かいましたよ。ソキと……ロゼアも」

「お前が行ったんだ、心配はしてない。よくやったな。……おかえり」

 ぽんぽん、幼子にするように頭を撫でられ、手が離れて行く。立ってもいいぞ、と言われたのだが、フィオーレは首を横に振って座り込んだまま、忠誠を誓った主君を眺める。

 年齢は、フィオーレよりもひとつ上なだけの王は、年若い表情でどこかくすぐったげに笑う。

「なんだ?」

「……陛下は、もちろん知ってたわけですよね。ロゼアも、ソキも、今年の新入生だって」

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