灯篭に鎖す、星の別称 25(終わり)

「いや、あれは驚かせたから怒ったんじゃないと思うぞ?」

 一部始終は聞こえていたのだろう。溜息をつきながら現れたストルが、ウィッシュの頭をポン、とてのひらで叩きながら横に腰を下ろす。星降の、水の占星術師。砂漠の国出身でもある彼が、メーシャの担当教員だ。

 ひさしぶり、と嬉しげに笑いかけながら、『宝石』はますます訳が分からなくなったようで、むぅっとくちびるに力を込めた。それに、あ、駄目だ本当に分かっていない、とばかりの視線を向けて呆れたのは女王と下僕だが、ぺちりと額を叩いて行ったのはチェチェリアだった。

 楽音の、氷の黒魔術師である彼女が、ロゼアの担当教官だった。女性はしなやかな仕草でソファに腰かける。その動きですらなぜか優美な印象を与える女性は、俺なんでいま叩かれたの、と拗ねるウィッシュに、幼子に対するような微笑で告げた。

「お前の傍付きにすら知らせていなかったことに、怒ったんだよ」

「……だって。俺、フィアには幸せでいて欲しいんだってば」

「好いた相手が死んだと聞かされて、以後、幸せに過ごせる者は居ないことに気が付け、ウィッシュ」

 眠たげに目を擦りながら言い聞かせてくるストルに、ウィッシュはしばらく沈黙したのち、あどけない仕草で首を傾げた。

「フィアが、俺のこと好きでいてくれたの、知ってるよ。だって傍付きだし……でも、傍付きだから、死んだとかそういうの別に今更じゃないかなーって。……悲しむ、かなぁ。そう?」

「うん。……うん?」

 なんかちょっとおかしい気がする、というか今コイツなんて言った、と混乱する顔つきで相槌を打つストルに、ウィッシュは疲れ切った様子でつらつらと言葉を並べて行く。

 寝坊して遅刻したのでウィッシュは他の担当教員と比べて、僅かであっても眠っているのだが、元々の体力が無いに等しいのである。身に持つ疲労の具合は同じくらいで、頭がまだ半分眠っていた。

 だからこそ、考えなしの本音が零れ落ちて行く。

「傍付きが『宝石』を育てるんだよ、だって。他の誰かの元で幸せになるように、幸せでいてくれるように、長いと十五年。どんなに短くても十年、そうやって俺たちを『宝石』にしてくれる。言ったことあったかな。知ってる? 俺たちが『花嫁』とか『花婿』、傍付きは『宝石の姫』とか『宝石の君』とか、ただ『宝石』とか、そう呼ぶけど。俺たちがね、そういう風に呼ばれるのは条件があるんだよ。俺たちは、絶対にそれを満たしている……」

「……条件?」

 初耳だと言わんばかり、眉を寄せて寮長が問う。学園在籍時代、それなりに交流を重ねていたロリエスも、ストルも、チェチェリアも、なにを言うのだとばかりウィッシュを凝視していた。

 ああ、そうか、言ったことなかったっけ、と『宝石』は息を吐く。それもそうだ。これは『宝石』たちだけが知る秘密。傍付きがそれを知っているのかは、知らない。ウィッシュは春の訪れを喜ぶ花のように、笑う。

「恋をすると『宝石』って呼ばれるようになるんだよ、俺たちは。それまでは、候補。相手は、まあ、時々例外もあるけど……傍付きだよ。自分の傍付きを好きになる。好きになって、恋をしてはじめて、俺たちはそう呼ばれるようになる。それで、そう呼ばれたら、もう絶対……絶対、どこか、遠くへ行くんだよ。幸せになってくださいって、ひたすら、それだけを祈って俺たちを磨き上げ、守ってくれた傍付きから離れて」

 好きでいてくれたのは知ってるよ、と幸せな物語を綴るように、青年は囁く。

「だから、俺、フィアの……フィアに、俺は、幸せになったって思ってて欲しい。フィアがそう願って、送り出した通りに、俺はちゃんと幸せになったんだよって。フィアの……フィアの理想になれなかったんだもん、だって。フィアが、ちゃんと送り出してくれたのに、全然、だめだったんだもん」

「……だから?」

「だから本当は、死んだなんて知らせも届かなければよかったのにさぁ……でも、どうしても、死んだことにしないと駄目だったから、それは仕方がなかったのかも。でも、フィアに……フィアには、死んだことも、知らされなければよかったのに。ロゼアに怒られるくらいならさ。そんな、今更なこと、フィアは知らないでもよかったのに。知らせて、なに思う訳でもないだろうし。だいたい、ちょっとした事故くらいで済ませた筈なのに、まさか砂漠まで噂が行っちゃうとか。当主にだけ届けばよかったんだよ。当主にだけ知らせたかったんだよ、本当は。俺が死んだから、もうお金送るとかしないだろうし、援助も鈍ると思うっていう知らせも兼ねてさ。それだけでよかったんだから、傍付きにまで分かっちゃうなんて予想外だったんだよ……あーあ」

 すん、と鼻をすするウィッシュが入学前に巻き起こした、その『ちょっとした事故で済ませた筈』の一件は、彼の国の王宮魔術師が総出でことの収拾に奔走し、未だ一帯は呪われて立ち入りが制限されている程度のものなのだが。

 噂は、恐らく風で運ばれた筈だ。宝石の死は、通常、傍付きには知らされないものだという。けれどもロゼアも、ソキも、ウィッシュの死を確かなことだとして知っていた。つまり、彼の死は届いてしまったのだ。

 不可解なもの、呪われた事故だとする報は、傍付きの心をどれほど痛めたことだろう。担当教員の誰もが分かるそのことを、しかし未だにウィッシュは理解ができないらしい。

 『宝石』は不可解な視線で沈黙されるのに拗ね切った態度で鼻を鳴らすと、ソキなら俺のいうこと分かるもん、というので、思わず誰もが頭を抱えた。そうか、これと同じ思考回路をしているのか、と全員の呻きが一致する。

 寝不足の上に精神的な疲労が重なってぐったりとする担当教員たちを不思議そうに眺め、ウィッシュはごくごく暢気な様子で、あ、と何事か思い出した呟きを落とす。

 なんだ、と問うてやるストルの涙ぐましい優しさに気が付かず、ウィッシュは忘れてたんだけどさぁ、と目を瞬かせた。

「ソキの、というか、予知魔術師の候補ってどうすんの?」

 どう、と言っても、それは彼らが決めることではなく、最終的に各国の王の総意が許可するものである。王たちに候補を示すことは出来るが、担当教員が勝手にあれこれできるものではない。

 そもそも、それは学園で生徒に教えることではないのだ。王宮魔術師として学園の外に出た場合、予知魔術師の『処置』に呼ばれることがある為、その立場にある者は知っていることではあるのだが。

 学園の生徒で、その存在を知る者は一割にも満たないだろう。魔術師を、同じ仲間を、それを苛むであろう悪意から守るべき者のことを。殺してやらなければいけないことを。

 ウィッシュ、と咎めるように呼んで来るチェチェリアの瞳をまっすぐに見返し、『宝石』はにっこりと笑う。

「ロゼアにしようよ。守る方」

「そうだった。こいつ、わりとひとの話聞かない」

 額に手を押し当てて呻く寮長に、全世界でお前にだけは言われたくなかったと思うぞという視線を向けて呆れながら、ロリエスが問う。

「なぜ? ……傍付きだからか?」

「うん。ソキがいま、世界で唯一こころを開いてるのがロゼアだからだよ」

 俺は同族でおにいちゃんだから、ちょっとは共感してくれたりもするだろうけど、と。それがなんでもないことのように、単なる事実のひとつであるように、ウィッシュは眠たげに告げて行く。

「ロゼアに守れないなら、ソキは他の誰にも守られようとしないと思う。絶対」

「……砂漠の国の黒魔術師。属性は、太陽。選んだ武器は」

 指折り並べたてながら、チェチェリアの視線が離れた場所で談笑するロゼアを射抜く。

「……短剣」

「恐ろしいほど、条件としてはこの上ないな」

「まあ、ソキがそれに同意すれば、だけど……うーん、あとでこっそり聞いてみよう」

 あ、守り手とかそういうのはあんまり言わないから大丈夫だよ、と全然大丈夫に聞こえない台詞をつらつらと並べたて、ウィッシュは眠たげにあくびをした。




 くす、と。笑う、笑う、声がする。

「――が、いいの?」

 何度も、何度も、繰り返し問う。じわじわと意識を染めて行くような、声が。




 耳元で。響いたような気がして、ソキはびくんっと身を震わせて顔をあげた。ソキ、と訝しんで顔を覗きこんでくるロゼアに、少女はぎこちなく首を傾げる。

「……なにか言いましたですか?」

「俺? いま? ううん、なにも。……ソキ、つかれたか?」

 メーシャもナリアンも、一瞬眠っていたらしきソキのことを心配そうに見つめていた。それに、大丈夫ですよ、と首を振って。ソキはすがるように、己の得たばかりの武器、白い帆布の本を両腕で抱き締めた。

 目を閉じれば、その白さが瞼の裏側に焼きついたように見える。星のようだと思った。黒く塗りつぶされるばかりの空に燦然と輝き、暗闇を寄せ付けず、見上げれば心を励まし、落ちつかせ、歩いて行く力をくれる。

 灯篭に燈る火のようなそれを、決して輝き絶やさぬそれを。ほのかに温かいように感じる、それを。ひとは時に、希望とも呼ぶ。


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