灯篭に鎖す、星の別称 24

「は?」

 ロゼアちゃんのあんな声ソキははじめてきいたですなんかすごく怒っている気がするです、とチェチェリアの腕の中でソキがぷるぷると涙ぐむ。

 ウィッシュも同じ気持ちのようで、なんでロゼア怒ってんのなんでなんで分かんないなんでっ、と混乱した様子で涙ぐみ、ちょっと今なにを仰ったのか理解できないのでご説明をお願い出来ますでしょうか、と目を細めるロゼアに、だからぁ、と怖々と息を吸い込み、首を傾げながら告げる。

「俺はね、ロゼア。あんまり……幸せに過ごせていた訳じゃなかったんだよ。大事にはされてたのかも知れないけどね。大事に仕舞いこまれてたっていう意味で。大きな、立派なお屋敷だったよ。一度しか全部見て回ったことがないくて、あとは広い……立派な、俺の部屋から、出してもらえたことはないんだ。だから、その……だから……だって。だって……だって、フィア、最後に、俺に、しあわせでいてくださいねって」

 そう言ったんだよ、と『宝石』は告げた。愛を語るとうめいな声で。心の中の一番尊く、もっとも清らかで、ひときわ輝く想いを語る音色で。そっと目を伏せて思い出を零した。

「しあわせじゃなかったよ、なんて、言えない。寂しくて、辛くて、苦しくて……ずっとずっとひとりで、寂しくてしにそうだったよ、なんて、絶対。言えない。……俺を閉じ込めていたものは、全部ぜんぶ、壊して行ったから。なにかあっても、きっと分からないくらいに、して行ったから。だから、もし、俺が死んだことがフィアのところまで届いても。それまで、俺がちゃんと幸せだったって、思っていてくれるかな、って。フィアが願ってくれた通りに、幸せで、大事にされて暮らしていたって想像して、くれて。俺が、フィアが願ってくれた通りになれなかったこと、分からないままで。裏切らないで、いられるかなって、思って。……やだもん、だって。フィアのいう通りにできなかったから。それで、嫌がられたら……生きていけない」

 最後の願いごとだから。叶えてあげたかった。ただ、それだけの理由で。己の生存を、今に至るまで告げていないのだと、ウィッシュは言った。ぐっと押し黙るロゼアを見つめ、ウィッシュに視線を映して、ソキはおにいちゃん、と宝石の名を呼ぶ。

 やんわりと向けられた視線を重ねて、ソキは透き通ったほんわりとした声で、呼ばなかったですか、と問いかけた。その意味は『宝石』だけが知り、けれどもロゼアも知っている。

 ウィッシュは唇にひとさしゆびを押し当て、泣きそうな顔で微笑した。

「呼んだよ」

 そうして、歌うように告げる。

「何度も、何度も、呼んだよ。……でも、俺はお願いしておいたから」

「お願いです?」

「うん」

 にこりと笑みを深めて、それ以上をウィッシュは告げるつもりがないようだった。ソキはそんな同族の姿をじっと見つめ、やがてもの分かりの良い様子でこくりと頷く。

 唇をほどんど動かさず、囁かれた言葉を。聞き届けたのは、恐らく、ロゼアだけだった。

「……フィア」

 慣れた響きで紡がれる、それは。あまりにその存在を切望していながらも、同時に不在であるが故の幸福に満ちあふれていた。会わないでいるからこそ、自由な祈りを、幸福を願ってくれたその意志を、今も邪魔しないでいられるのだと。

 あまりに愚かに、純粋に、まっすぐに、信じ続けていた。

 零れた言葉を拾いあげられたことを知らず、ウィッシュがロゼアを覗きこみ、困ったように笑いかけてくる。

「言わないでいるのは、そういう理由。ごめんな? ロゼア。驚かせて」

「……っ!」

 ロゼアが強く拳を握り、ウィッシュになにか告げようとしたその時だった。服をひっかけるように摘んだソキの指先が、ロゼアの袖口をくいくいと引く。

 はっとして少女を見たロゼアを、ソキは混乱し、やや怯えてもいる様子で見上げている。言葉を告げぬくちびるはきゅうと閉ざされ、泣いてしまう寸前にも見えた。

 ソキの手がおずおずと伸ばされ、かたく握られたロゼアのてのひらに触れる。じーっと目を覗きこまれたままでそうされたので、ロゼアは意識しながら、体から力を抜いて行った。ソキの手を、やわらかく包むように繋いで撫でる。

 ほっと安堵に笑うソキに、ロゼアはなんとか、冷静さを取り戻した。深く、この上もなく深く息を吐き、ウィッシュに向き直る。浮かべた微笑みと、言葉は、それでも本当のものだった。

「ウィッシュ様」

「うん?」

「生きていてくださって、ほんとうに……ありがとうございます。また、お会いできて、嬉しいです。ほんとうに」

 ようやく、安心しきった笑みを浮かべて、ウィッシュがうん、と頷いた。ひとまず、落ち着いたことが周囲にも知れたのだろう。張り詰めていた談話室の空気がふっと緩んだのを感じて、ロゼアはゆるく苦笑いを浮かべた。

 ウィッシュは大仕事を終えた雰囲気で脱力しながらソファに向かいかけ、あ、と言ってふらつきながら振り返った。

「そうだ、ロゼア。俺のことはちゃんと、ウィッシュって呼んで? それか、先生とか、なんかそんな感じで。様じゃなくて」

「ウィッシュ、せん、せい?」

 ぎこちなく呟き、違和感が拭えない様子で首を傾げているロゼアに、おかしげに肩を震わせて笑って。ウィッシュは静かな声で、もういいんだよ、と告げる。

「俺はもう『花婿』じゃない。……『宝石』じゃないんだから」

 今は白雪の国の王宮魔術師、そしてソキの先生です。誇らしげに胸を張るウィッシュに、ロゼアは目を瞬かせながらこくん、と一度だけ頷いた。ウィッシュがソファに倒れこむように座りに行くのを眺めていると、ソキの手にぎゅっと力がこもった。

 ああ、うん、とほぼ無意識の動作でソキを抱きあげ、ロゼアはそういうことじゃなかったですけどでもこれでもいいです、ともにゃもにゃ呟いている少女の髪を、指先で梳き、慈しんだ。




 だから俺は伝えた方が良いと言ったろう、と席につくなりやさしくたしなめられて、ウィッシュはぷーと頬を膨らませた。

「そんなこと言ったって。何回も言ってるけど、寮長? 俺、フィアに嫌がられたら生きていけない」

「何回も聞いてるが、お前がなに言ってんのか俺には未だもってよく分からないな」

「シルに言われたらおしまいだぞ、ウィッシュ」

 ふかふかのソファに身を沈めながら、女王と下僕のようにしか見えないロリエスとシルに声をかけられ、ウィッシュはますます不満げな顔つきになった。花舞の、風の黒魔術師であるロリエスが、ナリアンの担当教官だ。

 長年、寮長シルの求婚を受け続けている女性は、今日もシルを相手にするつもりがないらしい。愛を囁かれながらブランケットやら枕やらを与えられるのを受け入れながらも、好意を告げられる言葉その一切を半ば無視している。

 相槌と返事だけはしているので、完全な無視ではないのである。うるさい、聞き飽きた、嫌だ、黙れ、などの言葉しか発されていないが、それでもシルは幸せそうに笑っている。女神の声が己に向かって発されている、その事実だけで幸せになれるらしい。

 ウィッシュはもの言いたげな目で二人を見たあと、不満とも諦めともつかない息を吐きだして、久しぶりの空間にぐるりと視線を走らせた。

 談話室には会話を楽しむ為の机や椅子、ソファがそこかしこに置かれている。ウィッシュが座り込み、ロリエスにシルがかしずいているのは、その一角でのことである。

 部屋の、どちらかといえば片隅の方にあるひっそりとした空間に身を置きながら、ウィッシュは顔見知りに挨拶を済ませ、誰が示した訳でもないが集まってくる担当教員たちを手持ちぶさたに眺めていた。

 探してみればソキとロゼアも、ナリアンとメーシャと机を挟み、対面する形で置かれたソファに座ってなにか話をしているようだった。はー、と疲れた息を吐きながらあくびをし、それにしても、とウィッシュはひとりごちる。

「驚かせたのは悪かったけど、ロゼアもあんなに怒んなくたっていいのに……」

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