灯篭に鎖す、星の別称 17

「おはようございますです、ナリアンくん。それと、違いますですよ、ロゼアちゃん。ソキべつに、ご挨拶するのを忘れていた訳ではないんですよ。ソキねえ、ナリアンくんが気が付いてくれるまで待っているつもりだったです」

「そうか? ごめんな、ソキ。でも、ほら、挨拶できたんだから食べような? ナリアン見ててもご飯減らないだろう?」

 ふにゅ、とも、うにゃう、ともつかない呻き声をあげて、ソキがぎこちなく木の匙を口に運んで行く。少女の手の中には乾燥果物を混ぜ込んだヨーグルトの器が握られていて、見た所、半分くらいは減っているようだった。

 気のないようすで口を動かし、ソキがすこしばかり嫌そうに首を傾げる。

「あのねえ、ロゼアちゃん。ソキはもうおなかいっぱいなんですよ」

「んー? ……じゃあ、パン食べような、ソキ」

「……あのねえ、ろぜあちゃん。ソキねえ、もうおなかいっぱいなんですよ……?」

 ロゼアの手がヨーグルトの器をひょいと取りあげ、代わりに半分程にちぎられた白パンを握らせた。むずがるような声でそう言いながら、ソキが白パンをちいさく千切り、口へ運んで行く。

 その様子をじっと見ながら、ロゼアがああ、と気が付いた風にナリアンとメーシャに言う。

「ソキ、半分くらいで一回食べるのに飽きるんだよ。本当に満腹なら分かるから、大丈夫」

「……そういうもんなの?」

「そういうもんなの」

 首を傾げるメーシャに、確信的にロゼアが頷く。その会話が当然聞こえているだろうに、ソキは眉を寄せたままでもぐもぐもぐ、と口を動かしていた。ごくん、となぜか一生懸命さを感じさせる仕草で飲みこみ、ソキの視線が傍らのロゼアを向く。

「ねえねえ、ロゼアちゃん」

「なんだ?」

「あのね、ソキね、そういえばロゼアちゃんに聞こうと思っていたことがあったんですよ」

 それで詳しい内容を今ちゃんと思い出すので待っていてくださいね、と真剣な顔をするソキにうんと頷き、ロゼアはそれが食べ終わったらお話しような、と言い聞かせた。

 ちょっと困ったような、拗ねた顔つきになったソキは、溜息をつきながらロールパンをちいさくちぎり、口に運んで難しそうな顔をした。

「だって、昨日は疲れてて思い出せなかったですよ。今、そういえば聞こうと思ってたことがあるのを思い出したです。……ご飯食べ終わったらつかれて思い出せなくなっちゃうですよ。困りました」

「うん。食べ終わったらゆっくり思い出そうな?」

「……ろぜあちゃんいじわるぅです。でもリボンちゃんよりずっとやさしいです。さすがはロゼアちゃんです!」

 そういえば久しぶりにおしゃべりしても怒鳴られないですよ、と至極嬉しそうにきらきらの笑顔を振りまくソキに、ロゼアは不思議そうに首を傾げている。怒鳴る、と意味が分からない様子で口の中で呟き、ソキに、と言葉を繋げてロゼアはやや狼狽した様子で口元に手を押し当てた。

 え、え、と戸惑うロゼアは出来ることならばソキに詳しく聞きたい様子だったが、少女が打って変って機嫌の良い様子で食事を再開したので、声をかけることが出来ないでいるらしい。

 ううん、と思い悩み、やがて胸にしまいこむことにしたのだろう。ふうと息を吐いて、ロゼアの手がぎこちなく、目の前に置かれた木盆に伸ばされる。指先で拾いあげられたのは乾燥させ、油で炒った木の実だった。

 それをひょいと口の中に放り込み、数度噛んで、水でやはり、どこかぎこちなく飲みくだす。視線は一心に食事を続けるソキを注視したままで、己の木盆には向けられていなかった。

 ナリアンはソキの四倍速で食事を口へ運びながら、なんとなくロゼアの前に置かれた木盆を見た。その上にはナリアンの見たことのない料理が並んでいるが、どれもさほど手が付けられた様子がない。

 唯一目に見えて減っているものがあるとすれば、先程ロゼアが摘みあげた、数種類の炒った木の実の小皿だろうか。食欲がないのかとも思うが、それにしては木盆には腹にたまりそうな料理ばかり、何皿も選んで置かれている。

 不思議に思うナリアンに、見られていることに気が付いたロゼアがぎこちなく視線を向けてくる。言葉を探して数度、息が吸い込まれ、吐き出され。やがてそろりと、声がかけられた。

「……あのさ、ナリアン」

『う、うん。なあに?』

 不躾に見てしまった自覚はあるので、ナリアンはやや申し訳なさそうに問い返した。どきどき言葉を待つナリアンに、ロゼアはゆるい苦笑を浮かべた。気にしていないから。

 そういう意志を伝えながら、ロゼアは気がかりなことをひとつ、問いかける。

「武器支給、とか言われただろ? その集合時間って、あとどれくらいだっけ……?」

 ここに来る時に寮長に会って聞いた気がするんだけど、うっかり思い出せなくてさ、と告げるロゼアに、ナリアンは無言で麗しい笑みを浮かべた。隣で、メーシャががたりと椅子を鳴らしたが、そちらへ意識を向ける余裕がない。

『ごめんね、ロゼアくん。俺、聞いてないんだ』

 どういうつもりなんだあのひと、という副音声が聞こえたのは、恐らくメーシャの気のせいである。そっか、と困った様子でロゼアが首を傾げるのに、メーシャが記憶を探りながら告げる。

「確か……十時? だった気がする。談話室に集合で」

「あ、そうだった。ありがとうな、メーシャ。……うーん」

 現在時刻は、朝食を取るにはやや遅めの八時半である。集合までにまだ時間はある。けれど、と思い悩むロゼアの意識がそれた隙に、ソキは食べていたロールパンの口をつけていない部分をちぎって、傍付きの木盆に盛られたパンの中へ紛れさせている。

 ナリアンとメーシャに、しーですよ、しーなんですよっ、と必死で頼んでくるソキは、もうそろそろ本当に満腹らしい。水の入った器を両手で持って口をつけているのを眺め、ロゼアが深く息を吐いた。

「分かった。食べる。間に合いそうにない……ソキは、これ、もうちょっとだけ頑張ろうな」

 己のなんらかの葛藤と折り合いをつけた様子で、ロゼアはようやく食事に手をつけた。ソキの手にフルーツヨーグルトを戻し、ぽんぽんと頭を撫でて言い聞かせると、ロゼアの手がソキの紛れ込ませたパンの残りを摘みあげる。

 それをそのまま口に運んで、今日は食べた方かな、とひとりごち、ロゼアはそういえば、とメーシャに気遣わしげな視線を向ける。

「メーシャ」

「うん」

「……すこしでもいいから、食べないとだめだと思う」

 名を呼ばれて、返事をして、その時にはなにを言われるか分かっていたのだろう。苦笑するメーシャの前には、飲み物だけが置かれていた。しぼりたてのオレンジジュース。器の半分も飲まれてはいない。

 食事の八割をすでに胃に収めてしまいながら、ナリアンがぎょっとした様子でメーシャを見た。

『メーシャくん。体調でも、悪いの……?』

「そういう訳じゃ、ないんだけどさ……ルノンがいないな、って思って」

「ルノン?」

 問いかけるロゼアに、メーシャはうん、と力なく頷いた。

「ずっと傍にいてくれたから……今日の朝、起きて、いなくて、おはようとか言えないのが寂しくてさ」

「じゃあ、ソキのアスルを貸してあげるですよ!」

「……ん?」

 いつの間に食べ終わったのか、空の器をいそいそと木盆に置きながら、ソキが期待のこもった目でメーシャを見つめている。傍らのロゼアが驚きに満ちた目でソキを見つめているが、メーシャにはなんのことだか分からない。

「……アスル? って?」

「アスルはねえ、ソキのアスルなんですよー!」

 もっと分からなくなった。え、と首を傾げるメーシャに、ソキはにこにことあとでお部屋に来てくださいね、と言った。

 アスル、というのが、ソキの大好きなあひるのぬいぐるみの名前であり。屋敷から飛び出して来た時に、唯一持って来たソキの私物であると、メーシャが知るのは、それから一時間後のことである。

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