灯篭に鎖す、星の別称 14
うっとりとした笑みでそう告げる副寮長の言葉に、男はぱしぱしと瞬きをした。世界の何処かへ向けられていた視線と意識が、ようやくソキたちの方を向く。
もういっそ全然こちらを向いてくれたりしなくてよかったですよ、と思いながら警戒するソキの前に、身軽な仕草で男は歩いてきた。どこか野性的で、それでいて洗練された雰囲気を持つ、不思議な印象の男だった。
背はロゼアと同じくらいで、ナリアンよりもやや、低い。ばらばらの長さで短く切られた髪は焼け焦げた土の色をしていたが、瞳は海にまどろむ珊瑚の彩を宿している。
つり目気味の目が、四人、それぞれを順繰りに眺めてから、ナリアンを注視した。ふぅん、とおかしげな呟き。ひょい、と持ち上げられた男の手が、なぜかぽん、とナリアンの頭に乗せられた。
そのまま、ぽんぽん、と一定の動きであやすように撫でながら、男の視線が副寮長を向く。
「ちゃんと名乗ったか? ガレン」
「いいえ。……それでは改めまして、学園寮の副寮長を務めております、ガレンと申します。歳は二十二、入学して七年目です。分からないことがあれば、なんでも聞いてくれて構いません」
「寮長のシルだ。二十六歳。入学して……今年でぴったり二十年だな」
いいながらも、シルの手はナリアンの頭をぽんぽんと撫で続けていた。やや茫然とした様子で成すがままになっているナリアンを、気遣わしげにメーシャが見つめているものの、ほぼ初対面の年上に向かってやめてあげてください、とは言いにくいのだろう。
おろおろと寮長とナリアンを見比べては、口を開いたり、閉じたりしている。それを良いことにナリアンの髪を好き勝手にかきまわして撫でながら、寮長がさて部屋だが、とごく冷静な表情で告げて行く。
「学園に入学したら寮に住んでもらうことになる。設備は明日詳しく説明してやるから、今日はとりあえず寝ろ。部屋は魔術師適性によって階が分かれてて、メーシャは二階。ロゼアは三階。ナリアンも」
『……っと、ちょっと!』
「なんだよ。しゃべれよ」
わっしゃわっしゃ、ナリアンの頭を撫でくり回しながら言う寮長の腕を払いのけ、ナリアンは意志を響かせた。
『い、きなり、俺の頭、撫でないでください。なんなんですか』
「話せ」
その意志を、音高く払いのけるような声だった。冷え冷えとした、怒りとはまた別の、断固たる意志を感じさせる言葉だ。びくりと身を震わせたナリアンに、シルは呆れた様子で首を傾げる。
「声を出して、言葉で、話せ。俺になにか要求したいのなら、まずそこからだ」
「……寮長。お手柔らかに」
「気が付けって言ってやってんだよ。お前が嫌がる真似しても、風がなんも動いてないだろ?」
やや眠たげにあくびをして、シルはナリアンをまっすぐに見据えた。
「口を開け。寮内では魔術暴走を除き、各個人の意思に反した魔術反応、魔力反応が起こることはない。……まあ、すぐできる訳でもないだろうから、それをちゃんと覚えておけっていう話だ。ナリアン、お前は三階」
顔を覗き込み、また頭を撫でて来ようとするシルの手を、ナリアンはこころから嫌そうな顔でぐいと押しのけた。その反応に、くつくつ、こどものような顔をして寮長は笑う。
「男子も女子も建物は同じのを使ってる。全員一人部屋で、鍵はかけられるようになってる。階段を基準にして、おおまかに右半分が女子寮、左半分が男子寮だ。双方の立ち入りは禁じられていないが、節度を持って行動すること。不埒な真似をすると即処罰が下るから、そのつもりでな。二階、三階、四階が寮室。一階に食堂、談話室、入浴施設なんかがある、これは明日、地図と一緒に説明する。……忘れてた。ソキ。お前は四階。四階の空き部屋の位置は、あー……ハリアス!」
寮長が呼びとめたその名に、メーシャがびくりと反応した。矢のような早さで視線を向けた先、一人の少女が椅子に座っているのが見えた。本を読んでいたのだろう。
しおりを閉じながらはいと控えめに返事をするのを示し、寮長は言う。
「あとで彼女に聞くといい」
「はい」
そう返事したのはロゼアだったが、寮長は気に止めた様子もなく頷いた。
「じゃ、各自解散。各階に空き部屋があるから、好きな位置を部屋にしていいぞ。どの部屋も掃除してある」
寝た部屋と違う空き部屋を選んでもいいし、と言う寮長に、なぜだかとても嫌そうな顔でナリアンがそろそろと手をあげた。
『……あの』
「ん? ……なんだよ」
『日当たりの良い部屋がいい、とか。希望がある場合は?』
話せ、と言われなかったことでやや安心したのだろう。苦笑いで促されてそう問うたナリアンに、寮長はうん、とちいさく頷いた。ナリアンの肩に、ぽん、と手を置く。
「男だろ? ナリアン」
ぽんぽん、と肩が叩かれた。
「男子寮ルールだ。男だったら、奪って来い。手段は問わん」
「平和的に交渉するか、武力交渉するかはお好きにどうぞ、ということです。ナリアン」
『……分かりました』
触ってくる寮長の手をぐいぐい押しのけながら、ナリアンはすこし考えた末、こくりと頷いた。かぁわいくねえの、と笑いながら、寮長は素直にナリアンから手を引いて行く。
それをなんとはなしに見つめながら、ソキはふぁ、とあくびをした。ロゼアの腕の中でもぞりと身動きをして、落ち着く体勢を整え直す。
「眠い? ソキ」
「……そきねえ、ねむぅいです」
「うん、分かった。部屋に行って眠ろうか。……えっと、ソキの部屋は四階だっけ?」
じゃあ、連れて行くから、と足早にロゼアが、部屋を辞そうとした瞬間だった。んーん、とむずがるようにロゼアの肩に額を擦りつけ、ソキは唇を尖らせて主張する。
「やですよ、ロゼアちゃん。ソキ、やです!」
「……なにが?」
「ひとりで眠るの嫌です、ってソキは言ってます」
ぷぷー、と頬を膨らませて言うソキに、ロゼアは困った仕草で首を傾げてみせた。
「……でもな、ソキ。ひとり部屋って言われただろ? ソキには部屋があるし、俺にも部屋があるんだよ」
「お家にも、ソキのお部屋はありましたし、ロゼアちゃん家にもロゼアちゃんのお部屋はありましたです」
「うん、そうだな。そうなんだけど……」
さて、どうしたものか。息を吐きながらその場で立ち止まり、ソキの髪を撫でて梳くロゼアは、与えられた少女の部屋に連れていき寝かしつけてくるつもりだったのだろう。悩むロゼアに、寮長が確認なんだが、と声をかける。
「ソキ、お前が『花嫁』で、ロゼアは……その傍付きだな?」
「はい。そうですよ」
ロゼアに抱きあげられてから、ほぼはじめて、ソキがちゃんと返事をした問いだった。だいたいの言葉にロゼアが代理で応え、ソキも当たり前としてそれを受け入れてしまっているからだ。
そうしなければいけない、という意志が明確にある場合のみ、ソキは声をあげて言葉を告げた。分かった、と寮長は頷き。
「ロゼア」
仕方がないと言いたげに、笑った。
「寝かしつけてやれ。服を離さないようなら、添い寝してやれ。……体調を崩されるよりずっとマシだ」
「……それは」
「入学してから三日間、前にここに居た元『花婿』は、環境の変化で高熱を出し、起き上がれもしなかった。二の舞にするつもりはないし、俺たちより……対処の仕方も、体調を崩すきっかけも前兆も、お前の方がよく知っている筈だ。世話係だと思っておく。お前も入学したばかりでなにも分からない状態で、大変なことは多いだろうが……前の『花婿』の世話係をしてたのは俺だ。寮の規則も踏まえて、分からないこと、不安なこと、やっておきたいことがあれば言いに来い」
分かったら、はやく連れて行って寝かせてやれ。もうそろそろ限界だろうと促され、ロゼアは考えて悩む表情になりながらも、ソキを抱き直して部屋を出て行った。
談話室の片隅で本を読んでいた少女がぱっと立ち上がり、足早にその後を追って行く。空き部屋の位置を案内するつもりなのかも知れない。
「さて」
ぐぅ、と大きく伸びをして、寮長があくびをする。
「俺も寝るか。……メーシャ。部屋まで案内しよう。ガレン、ナリアンを」
『ひとりで行けます』
頼む、という言葉にかぶせ、ナリアンはやや頑なな印象の意志を響かせた。それにはいはいと頷きながら、シルはメーシャの腕を掴んでゆったりと引き、談話室の扉へ向かう。
廊下へ出る寸前に振り返って、シルはナリアン、と青年の名を笑いながら呼んだ。
「あまり駄々をこねるな」
ひゅぅ、と音を立てて不穏に風が揺れ動く。足元をすくって転ばせようとするかのような空気の流れに、シルは笑っただけで体勢を崩しはしなかった。さあおいで、と招かれるのに頷き、メーシャは階段に足を乗せる。
長い一日が、ようやく終わろうとしていた。階段を登りながら、メーシャは瞼の裏に灯篭のひかりを蘇らせた。
『夜の藍の中では、星のように煌き』
言葉が、胸の中で反響する。
『火のように揺らめき、あたたかな、力強い、導きのひかりに』
その言葉と光景が、ちかちかと瞬き。
『お前はなるだろう』
あわく、あわく、響いて、消えた。
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