灯篭に鎖す、星の別称 13

 ソキ、と名前を呼ぶ。少女の目が、メーシャのことをしっかりと見た。緊張も、警戒も、すでにどこかへ消えてしまっていた。そうしなくていいのだと、安心した眼差しだった。

 なあに、と問うような表情に、メーシャはソキを撫でながら言う。

「……ロゼアの、具合が悪いみたいに見えて。だから、あの時、ちょっとだけ離れてもらったんだよ。ごめんね、ソキ」

「ロゼアちゃん、具合悪いですっ?」

 大慌てでもちゃもちゃと身動きし、ソキはメーシャからロゼアへ意識の全てを移動させた。思い切り苦笑しているロゼアに、ソキは両手を伸ばして頬に触れた。ぺたぺたと触って熱を確かめながら、不安げに問う。

「ロゼアちゃん、どこか苦しいですか……?」

「あの時は、すこしだけ。……でも、いまはもう大丈夫だよ。ごめんな、メーシャ」

「うー、うー……ロゼアちゃん、あのですね。ソキのガッツと根性はもすこしだけいける気がするですよ?」

 でも離れたくないです、と言わんばかり、ソキはひしっとロゼアにくっついたままである。大丈夫だから、と言い聞かせ、ロゼアの手がソキの体を抱きなおした。ソキから降ろして欲しい、と言われない限り、ロゼアにそうするつもりはないのだろう。

 ソキにもそれが分かったのか、くたりと体から力が抜ける。ぽんぽん、とソキの背を撫でて、ロゼアはさて、と呟いた。

「移動しようか。……と言っても」

 どこへ行けばいいのか分からないけど、とロゼアが言うのと、遠くから駆けてくる足音が聞こえたのは同時だった。ロゼア、メーシャ、ナリアンは揃って視線を見交わし、それとなく笑いあうと、その足を教会の出入り口へと向かわせた。

 荘厳なつくりの扉を押し開けば、息を切らして立つ青年の眼差しが、よろこびを宿して四人を出迎える。

「おつかれさまです、魔術師のたまごたち」

 そう微笑んで告げたのは、学園の入り口でソキを待っていた青年。副寮長と名乗った年若き男だった。ソキが目を瞬かせるのと同時、メーシャが、あ、と不思議そうな声をあげたので、もしかすれば彼の案内もこの青年であったのかも知れない。

 副寮長はそれぞれに親しげな笑みを向けると、己の顔の高さまで灯篭を持ち上げ、ひかりに目を和らげてそぅっと言葉をはきだした。

「式は終わったようですね。これで、君たちは晴れてこの学園の生徒。そして、俺たちの後輩です。……眠たくて疲れているだろうけれど、もうすこし、付き合って下さいね。寮まで案内します」

 建物はすぐそこだけれど、この場所は慣れないうちはどうしても怖いだろうから、そう言ってゆったりとした足取りで歩き出す青年の背を己の足で追うことなく、ソキはロゼアの腕の中から、教会の外に広がる景色を見た。

 暗闇の中なのでそうよく分かりはしないが、広い公園か、あるいは林の中のようだった。拓けた森の中へ抜け出してしまったかのような風景だった。広々と夜に染め上げられた空間に木々があり、その中に建物が点在している。

 歩く道を示す為なのか、均された土の上に煉瓦が敷かれ、建物と建物を繋ぐ道となっていた。木々は観賞用に植えられているとするよりも、自然に、まばらに生えた森を連想させた。それでいて、ある程度ひとの意志が関与している。

 自然を生かし、それでいて手を加えた空間の中に、そのまま建物を持って来た。そんな印象のある空間だった。不思議な落ち着きと、温かさを感じさせる。

 今は黒く塗りつぶされ、遠くに星明りを見るだけの夜空も、多い茂る緑の隙間から窺い知るばかりである。建物も、そこへ繋がっていく道も、木によって外部から切り離され、隠されている。

 それでいて閉鎖感がないのは、木の生え方に密度がないからだ。木は自然の生え方を意識して成長させられながら、ごく慎重に間引かれ、整えられているのだろう。目線の高いナリアンの顔や手にぶつかってしまう高さに枝はなく、人に害のある草花がある風には見えなかった。

 もっとも暗闇の中であるし、真剣に確認した訳ではないので見落としもあるだろうが、手の付けられていない自然の中に放り込まれた印象はない。恐れる程の闇に目と意識が慣れてよく見れば、遠くに見える建物と、そこへ繋がっていく道の間には、ほわりと浮かぶ火の灯りが見えた。

 星明りが届かぬとも、あわい輝きが空気を染めているのは、その為だった。

 目をすがめたメーシャが、灯篭が下げられてる、と呟いた。木の枝、高い位置に灯篭がくくりつけられ、道を示してゆらゆらと光を揺らしている。

『……ニーアの』

 通り過ぎがてら、その灯篭のひとつに手を伸ばして。ナリアンが、幸福そうな意志を揺らす。

『案内妖精の、光みたいだ。……きれいだね』

 それは、無垢な悪意から魔術師を守ろうとする愛にも似ていた。教会で受け止めた温かな意志。理由のない行為と感情が、灯篭に燈る火からも感じることができた。夜の闇を遠ざけ、道を示すきよらかな光。

 別れを惜しむようにゆっくりと歩いて、メーシャの足が建物の前で立ち止まる。半開きにした扉に背をつけて、副寮長は三人の歩みを待っていた。おつかれさま、と微笑まれ、促されて、三人は建物の中へと足を踏み入れる。

 まっすぐな廊下を歩いていき、辿りついたのは大きな扉の前だった。中からは楽しげなざわめきが聞こえて来ており、眠たげなソキの意識をすこしだけ揺り起こす。起きてますよ、と言う代わりにロゼアにぎゅぅと抱きつけば、指が慣れた仕草で髪を梳いて行く。

 さあどうぞ、と促される声に導かれ、ソキはロゼアと共に、その部屋の中へ体を滑り込ませる。とたん、わっと歓声が体中を包み込んだ。

 色とりどりの花びらが、目の前にばらまかれたような衝撃だった。思わず目をぎゅぅと閉じてから、恐る恐るまぶたを持ち上げたソキが見たのは、広い談話室に思い想いに佇む少年少女、青年や女性。

 揃いの服に身を包む、学園の生徒たちの姿だった。驚き、扉から入ってすぐのあたりで動けなくなっている新入生を満足げに見つめ、副寮長はぱっと両手を開いて宣言する。

「今年の新入生は四人! 星降の国から、メーシャ! 花舞の国から、ナリアン! 砂漠の国から、ロゼア! 同じく、砂漠の国から、ソキ! それぞれ同じ国出身の者は、最初は積極的に話しかけてあげてください。俺たちが、先輩にそうされたようにね」

 分かってるよ、いらっしゃい、おつかれさま、よく来たね。色とりどりの歓迎の声と意志が、新しく入学してきた仲間を出迎えた。今すぐにでも話しかけたい風な者たちに笑みを向け、副寮長は唇に指を押し当てる。

「でも、今日の所はお披露目だけ。もうそろそろ眠らせてあげなくては、明日の為に。長い一日を、おつかれさまでした、新入生! さ、皆もそろそろ部屋に引きあげなさい。彼らはともかく、明日は俺たちは普通に授業なんですから……と」

 ぐるり、部屋の中を見回した副寮長の視線が、片隅の窓辺でぴたりと止まる。

「寮長!」

『……えっ?』

 戸惑う、ナリアンの意志が鈴の音のようにきよらかに響く。不思議に思って首を伸ばし、そちらの方向を向いたソキは、副寮長が呼びかけていた相手を見つけ、そのまま絶句した。

 こげ茶色の短い髪をした、精悍な横顔の男がそこには居た。ただし、ちいさな書き物机の上に右足を、華奢な椅子の上に左足を置き、体を大きく背後にのけ反らせている。

 そのまま倒れそうな不安な態勢だったが、不自然に安定しているようだ。左腕はなだらかな線を描いて背後へ向けられ、右腕は顔の半ばを隠しながら、てのひらが後頭部を抱いている。

 芸術が爆発した結果、常人には理解できない境地に辿りついてしまったものが時々あるが、それと同じ印象を受けた。在学生は慣れ切った態度で、寮長おやすみなさいー、と『それ』に声をかけては談話室を出て行く。

 半ば理解しながらも、分かりたくなくて、ソキはなんですかあれ、と怯えた声で副寮長に問いかけた。青年は、なぜか誇らしげに言う。

「我らが寮長ですが?」

「……えっと、なにをしてるんですか?」

 そっと手をあげ、問いかけたのはメーシャだった。うるわしい喜びの笑みを唇にきざみ、副寮長は和やかな声で囁く。

「寮長の行動に意味など必要ありますか?」

「意味が……ないんですか?」

「そうですね」

 そういう訳でもないのですが、ふむ、と考え込む仕草で首を傾げ、副寮長は発音しなれた様子で寮長、と呼びかけ。

「世界が! 貴方に!」

「もっと輝けと囁いている……っ!」

「……大丈夫です。本日も、とてもとても輝いておられますよ、寮長」

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