ここではないどこかへ
窓の向こう。
青く澄み切った朝の空に、雲がぽつんと浮かんでいた。
鳥みたいに空をのんびりと飛べたら、どんなに気持ちいいだろう。
高いところからすべてを見渡して、右も左も上も下も自由自在。
誰か、あの空へ連れて行ってくれないかな。
空を見上げるたびに私は思う。
Fly me to the sky……
ふと口ずさん歌に、思わず笑ってしまう。
空を見上げていたせいで、替え歌になってしまった。
そこはskyじゃなくてmoonだ。
Fly me to the moon ――私を月へ連れて行って。
昨日、お父さんの強い薦めで聴いてみた。
お父さんの大のお気に入りのJAZZで、名曲中の名曲なんだそうだ。
歌詞の意味はよくわからなかいけど、結構好きになれそうな曲だった。
「ふわぁ」
朝の教室。
眠気をこらえながら空を見ていたら、うっかりあくびが出てしまう。
あわてて大きく開いた口に手をあてると、前の席に座った男子が、そんな私を見て下品な笑いを浮かべた。
「眠そうだな」
「ここのところ、変な夢ばっかり見るから、寝た気がしないのよ」
「エロい夢でも見たか?」
「ばぁか。違うわよ」
口を開けば、くだらない下ネタばっかり。
高校生にもなって、こいつの頭の中にはそんなもんしか詰まってないのだろうか。
「じゃ、どんな夢だよ?」
「んー、空を飛ぼうとして……飛べない夢」
「やっぱりな」
「なによ」
「空を飛ぶ夢ってのは、欲求不満のあわられなんだぜ」
「ウソ」
「ほんとだって。おまえ、よっぽど欲求不満がたまってんだな」
「口からでまかせ言わないで」
「こないだ、有名な心理学者がテレビで言ってたぜ」
「欲求不満はあんたでしょ」
「そりゃ、否定はしねーけど。ま、おまえもお年頃ってわけだ」
そう言うと、下品な笑いをしながら向こうを向いてしまった。
しばらくして、最初の授業がはじまった。
まだ眠気でぼんやりしているせいで、まったく授業に身が入らない。もうすぐテストもあるっていうのに、こんなんじゃダメだなぁ。
欲求不満かぁ。
そうかもなぁ。
うまくいかないことだらけだし、せめて夢の中でくらい空を飛びたいよね。
なんだか、夢の中でも現実を見せつけられているみたいで嫌だなぁ。
もうすぐ高校3年生。
進学か就職か、決めなくちゃいけない。
だけど、やりたいことが全然わからない。
飛びたい気持ちはあるのに、どこへ飛んでいいのかわからない。
そういう意味では、欲求不満かもしれない。
子どもの頃みたいに、無邪気にケーキ屋さんとか花屋さんなんて言えたらどれだけいいだろう。どんな仕事も、簡単にはなれないんだってことを知ってから、やりたいことがさっぱりわからなくなった。
やりたいことがわからない。
でも、じっとしてもいられない。
どこかへ進んでみたい。
でも、どこへ進んでいいかわからない。
もう。誰か助けてほしいよ。
授業が終わると、待っていたかのように、くされ縁が振り向いた。
「もうひとつあったぜ」
「何?」
「空を飛ぶ夢ってのは、高いところを目指したいってことなんだってよ」
言うだけ言うと、私の反応を待たずに、席を立ってどっかへ行ってしまった。
逃避でも脱出でもいい。
ここではない、どこか違う場所へ飛んでいきたい。
でも、思うばかりで、どうしたらいいかがわからない。
わからないけど、一つだけ、薄々気がついていることもある。
手を貸してくれる人はいても、誰もそこへ連れて行ってはくれないのだ。
Fly me to the moon……じゃだめなんだ。
そこへ、自分を連れていってあげられるのは、自分しかいない。
だから、私が私を、あの空へ連れて行く。
わからなくても、何かやってみよう。
やらなくちゃ、はじまらない。
ダメなら、またやり直せばいい。
待ってろよ、空。
ぽつんと浮かんだ雲に、なんだか手が届きそうな気がした。
青春恋愛短編集【夢編】 あいはらまひろ @mahiro_aihara
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