心中より饅頭

 あれだけ朝の空は青く澄み渡っていたのに、昼過ぎにはどんよりと灰色の雲が天を覆っていた。


 秋の空は七度半変わると言われるが、この時季の空模様はあっという間に違う顔色を見せてくれる。



 移ろいやすいのは、人の心というものも然りである。


 それは一日の中で生まれる一喜一憂から始まり、五ヶ月という月日を共に過ごして芽生えた女の恋心からも理解することが出来る。


 生涯をかけて構築される性格も、生まれ持つ気質は変わらないことが多く。


 何かの拍子で鳴りを潜めていた部分が現れることもあれば、意識的に別人格を装い、それが本来の性格だと勘違いされることもある。


 今でこそ勝気な性格である更紗も、母がいない夜は誰かに添い寝をして貰わないと寝られない、寂しがり屋で泣き虫な子どもであった。


 どちらの性格も更紗の本質であることには変わりなく、普段隠れている部分もふとした時に表に顔を出すこともあるのだが。


(……愛想が良い、か。全然想像出来ない。)



 笹の葉に包まれた饅頭をぼんやり見つめる女を捉えた沖田は、白い手から素早くそれを奪い取ると、笑みを浮かべた口元に放り込む真似を見せる。



「食が進まないなら、喜んで俺の腹に入れてしまいますよ」


「……あ、食後の楽しみが。私が食べる…!」



 慌てて奪い返した更紗は笹の葉を捲り、饅頭を頬張ると、大きな目を丸くして感嘆の声を出した。



「美味しい…!瑞々しくてほんのり甘いと言うか……この青いのは何だろ…」


「青海苔だよ。これまで食べて来た江戸の麩饅頭とは、天と地の差がありますね。永倉さんもそう思いませんか?」



 更紗の反応に満足げな沖田はニコニコしながら瑞々しい饅頭を頬張るが、それを一瞥した永倉は呆れ顏で一つ、溜め息を吐いた。



「お前、朝から見かけねぇなと思ってたが、朝稽古をすっぽかして、饅頭買いに行ってたのかよ。褒められたもんじゃねぇぞ」


「いえ、朝の務めは皆さんより一刻早く起きて、卒なく済ませています。山南さんと立ち合いましたから、聞いて貰って構いませんよ」


「ほう、山南さんとねぇ。で、腕の具合はどんなもんだ」


「ううんと……そうですね。太刀筋は悪くないです」


「山南さんもお前に言われたかねぇだろうが……良くなってるなら、それでいい。平助、王手だ」



 湿気を含んだ秋風が吹き込んだ大広間に、パチンと小気味良い音が響く。


 将棋盤を見据えていた藤堂が頭を掻きながら立ち上がれば、膳に乗せてあった饅頭入りの笹の葉を一つ手に取った。



「……ああ、甘いもんがねぇと頭が回らねぇ!総司、俺にもう一個分けてくれ」


「それは左之さんの分だったんだけど、いいよ。平助に食べられた方が饅頭も本望だろうし」


「そういやぁ……未だ巡察から帰って来ねぇけど、何かあったかなぁ?」


「戻ってきた足で、壬生寺裏の女郎屋でも冷やかしてると考えるのが妥当だろうな」



 両の手を背後へ放り出した永倉が板廊下へ視線を向けると、表情を崩さないまま小さく呟く。


「噂をすりゃあよ、…勘が外れたか」



 遠くから遠慮のない足音を響かせてきた隊士がいるかと思えば、濡れた髪を無造作に手拭いで拭う原田が、広間を闊歩してきて。



「お天道さんの下で、俺が命を賭したというのにお前らは全くよォ……甘味に娯楽にと、いいご身分じゃねぇか」


「そういうお前も風呂に入って……これから女郎屋にでも行くのか」


「ぱっつあん!ちげぇよ!そりゃ行けるなら行きてぇけど!巡察中に不逞浪士に出くわしちまって、お先真っ暗よ!」


「それが、風呂に入るのとどう繋がるんだ?」


「抜刀しやがるから斬り込んだら返り血浴びちまってよ……困ったもんだぜ」



 藤堂の問いに低い声で答えた原田が、膳に乗っていた笹の葉に気づき、手を伸ばして摘み上げる。



「これ饅頭か何かだろ?一個くれ。疲れちまった」


「いいですけど、左之さんが昼餉食べる前に甘味に手を付けるなんて珍しいですね。ざっと大雨が降るかもしれませんね」



 饅頭を頬張りながら邪気のない笑顔を見せる沖田へ、原田は笹の葉を握りしめたまま苦笑いを見せる。



「京はどこも道が狭ぇから、変に気を揉むぜ。何せ後ろ傷でも負っちまえば、コレだからよ」


 そう言い放つと、男は右手の拳を腹前に置いて左から右へと動かす仕草を見せた。



 この一週間、隊士たちの中で切腹の仕草を取ることが密かなブームとなっている。


 局中法度が発表された直後、屯所内は緊迫した雰囲気が漂い、常に殺気だった隊士で溢れて居心地の良いものではなかった。


 しかし、一週間も経てば掟を受け入れ始めた男たちがそれを会話の話題とし、武士になったことを互いにからかい始めたのである。


 流石に幹部たちは法度を定めた局長副長を揶揄する行いは慎んでいるのだが、この男だけは腹の傷にあやかって自分のネタにしようとしていた。



「後ろ傷は士道不覚悟だもんなぁ。でも、切腹は左之さんの十八番だろうよ!」


「おうよ、平助!俺の腹は確かに、士道の先にある金物の味を知ってやがるんだ」


「それを死に損ないっていうんだよ!野暮の極みじゃねぇかい!」


「何とでも言いやがれ!天下の左之助様の死を仏様が許さなかっただけでい!」



 饅頭を頬張りながらカラカラ笑う藤堂に牙を向けた原田は、まるで時代劇役者のように着物の合わせに手を掛けたが。



「死に損ねの腹なんぞ見たかねぇよ。次、詰め腹切る時は俺が介錯してやる」


 楽しそうな二人とは対照的に、永倉は不愉快な気分を露わにし、壁に貼り出してある局中法度を見据えた。



「罰則が切腹っつうのも厳し過ぎるけどよ、あの法度の内容じゃあ、どう見ても八木邸の人間を陥れようとしてるとしか思えねぇ」


「ぱっつあん……勘繰り過ぎじゃねぇの?芹沢の大先生も了承したんだろうが」



 着物を脱ぐのを止めたかと思えば、大口を開けて饅頭を食らう原田をチラリと見やった永倉は物思いに耽るように顔を顰める。



「確かに芹沢先生は何とも思っちゃいねぇ。寧ろ、また相撲興行のような商人紛いの金策をする事があれば、両副長を切腹させると息巻いてたけどよ…」


「……よく言うぜ、佐々木と女が仏になったのも、更紗の髪がこんなになったのだって元はと言えば芹沢の所為だろ。…クソ、何か腹立ってきた!」


「それ以外にも昼から酒に入り浸ってるし……金策に失敗した腹いせに御所近くの大和屋を焼き討ちした罪は重いと思う……だからと言って、切腹して欲しいとは思わねぇけどなぁ…」



 藤堂が苦笑を浮かべながら心持ちを素直に話せば、周囲にいた男たちも更紗も、再度思考を巡らすように押し黙っていく。



 今朝、山南に言われた通り、隊規が発表されその罰則に戸惑っている幹部は、更紗が見た限り藤堂と永倉の二名であった。


 永倉に至っては粗暴な芹沢鴨を嵌める策略でないかと、ここ数日隠すことなく腑に落ちない態度を露わにしているが。


(……嵌めようとしているのは、芹沢先生じゃなくて、新見さんだよね…)



 新見が間者であることを差し置いても、その隊規違反は、士道不覚悟、金策、訴訟と既に三項目に該当していた。


 彼を泳がせて長州藩の動向を探っていたが、隊内に紛れた間者の人数も確定しつつある現在、新見錦を屯所で生かしておくメリットも大分薄れてきていた。


 屯所から消えて欲しいと常々思ってはいるものの、命を奪ってまでと言われればそうとも言い切れない、曖昧な答えしか出すことは出来ない。


 今更、綺麗事を言うつもりはないのだが、尊ぶべき人の命を奪うという行為を全面的に受け入れられる程の覚悟はないのであり。



「まぁ、どんな問題を起こしても新撰組の筆頭局長が大人しく切腹する事はないでしょうね。ときに、更紗ちょっと髪伸びたね」


 優しい沖田の言葉で我に返った更紗は、慌てて笑顔を作ると結わえてある髪にそっと触れてみる。


「……そうですかね?自分では分かんないや。そう言えば、土方さんにも言われたような…」



 今朝の何でもない会話を思い出しつつ、結わえて貰えた癖のある栗髪を何度か丁寧に撫でてみる。


 さわさわと前川邸の前の通りを吹き抜けていく風は、目先に立つ女の髷から一房落ちていた黒髪を心地よく揺らしていて。



「何で暫く会わへんうちに、髪が短くなってんの!?」


「……え、と」


「誰にやられたんや!?今度はうちがお更ちゃんを守ってあげるさかい…!」


「あ、いや……これは、自分で切ったんですよ!誰にやられたとかじゃなくて…」



 鬼気迫る声に後ずさった更紗は、来客だと自分を呼びに来てくれた山南に助けを求めるように、困り気味の視線を投げかけていく。


 それに応えるように、隣にいる山南は柔らかな笑みを貼り付けていた。


「だそうです。御婦人が心配なさるほど、市村君は憂いてはおりませんよ」



 前川邸の玄関ではなく、その先の長屋門に佇んでいたのは、縞柄の着物をさっぱりと着こなす京美人の龍であった。



「……ほんまに?困ってることがあるんやったら、遠慮なく言うてくれてええんよ」


「ううん、本当に何でもないんですよ。それにしても、久しぶりですね。元気でしたか?」


「梅雨時に会った以来やさかいなぁ。この通り、うちはすこぶる元気。今日はお届けもんがあって来たんや。ついでにちょっと茶屋でも行けたらええなぁ思って」



 更紗は涼しげな二重瞼を細めて微笑む龍の傍に寄るが、ふと、死角になっていた場所に人の気配を感じ。


「ぜひぜひ!私もお龍さんに会いたいなぁ、って思ってたとこなんです……」



 訝しげに目を向ければ、長屋門前につけられていた駕籠の横でニコニコと微笑んでいる近藤とむっつりとこちらを睨みつける土方が佇んでいて。



「……近藤先生と土方さん。こんな所で何をして……あ、お出掛けですか?」


「肥後守様に呼ばれてね。私だけ黒谷まで行ってくるんだが、丁度、御婦人が屯所にお越しになられた所だったから、お話しをさせて貰ってたんだよ」


「そうやのよ、局長はんはそこの誰かと違って面白い素敵な御方やから楽しくてつい、話しが弾んでね」


「否、面目ない!お龍さんが聡明で美しい女性ですから、つい好かれたく喋り過ぎてしまっただけですよ」



 さらりと厭味を混ぜ込む龍の発言に気づかない近藤は、頬を紅く染め頭を掻きながらカラカラと笑い出す。


 武骨な外見を裏切る花が咲いたような笑顔を浮かべた近藤の顔は、目尻が下がり切って出張る両頬にはいつも以上に大きな笑窪えくぼが出来ていた。


(……まさかお龍さんにホの字とかないよね。)



 龍は知っての通り坂本龍馬の妻となる女性であり、二人の恋路を邪魔するような輩は即刻排除したいところ。


 しかしながら、近藤と龍を二度も引き合わせてしまったのは、他でもない自分の存在である。


 邪魔したいような邪魔してはいけないような、更紗はそんな微妙な気分に苛まれ、心の中で葛藤を繰り返していた刹那。


 長屋門の陰で懐手をしていた鋭い双眸に視線を絡め取られ、反射的に息を潜めた。


 顎をクイッと上げてみせた土方からの無言の圧力に、更紗はへにゃりと愛想笑いを作って躊躇いがちに近づいていく。


 即席の愛嬌など瞬殺してしまう冷たい眼差しに、男がかなり苛立っているのだと、容易に読み取れた。



「……素敵なお顔が台無ししですよ。そんなに嫌がらなくても」


「生憎、この面は生まれつきでな」


「……実は……お龍さんとお茶しに行きたいなぁ、なんて…」


「目立つつらを如何にかしてから言いやがれ」


「そう言うと思って、うちも考えてきたわ。今日はお更ちゃんのための用心棒を連れて来たんやけど……あの阿呆は何処ほっつき歩いてはるんやろか」



 チラリと土方を一瞥した龍は新たに毒を吐くと、前川邸の角から曲がってきた男に向かって手を大きく振り上げる。


「鉄蔵ー!!こっちやて!!勝手にあっちこっち行かんといてよ、もう!」



 ひょろりとした痩身で刀を二本差した袴姿の男は大声を上げる龍を見据え、気怠げに歩みを進めて来る。


 無言のまま顔だけを向けて男をぎろりと睨む土方を再び見やった龍は、素っ気ない態度で言葉を放った。



「あれは土井鉄蔵。才谷はんの昔馴染みや。ちょっと変わりもんの阿呆やねん」


「おめえさんの知り合いは、何奴どいつ此奴こいつも胡散臭ぇもんだ」


「あら、鉄蔵の剣の腕には目を見張るもんがあるんよ。うちは見た事あらへんけど、前は江戸の要人の護衛もしてたらしいし」


「……要人ですか。差し支えなければ、それは一体どなたの護衛だったのか伺っても宜しいでしょうか?」



 柔らかい笑みを崩さないまま問いを口にする山南を見た龍は、改めて思案を巡らすように小首を傾げていく。


「誰やったっけな……うーん、幕臣はんやったと思いますけど……鉄蔵!ほら、あんたが護った幕府のお偉いはんて誰やったっけ?」



 気配を消すように、目立たない空気感を醸す男は知らぬ間に傍に立っており、やや迷惑げな顔つきで全員へ目線を移していく。



「……勝先生じゃ。けんどお龍、勝手に人に申すな」


「ごめん鉄蔵、堪忍え。でも、うちはあんたが怪しまれてるさかい、疑いを晴らしてあげよう言う優しい気持ちでやなぁ…」


「大年増に助けて貰わのうても自分で何らぁ出来るき」


「この阿呆!誰が大年増や!!あんたよりは年下やねんからね!」


「……あの、話しの腰を折って申し訳ないが……勝先生と言うのは…僭越ながら、かつ麟太郎りんたろう先生の事でしょうか?」


「勝ゆうたらそれ以外に誰がおるんだ」



 冷めた目つきで身なりの良い近藤を見据えるその男は、あからさまに鬱陶しそうな表情を浮かべていた。


 相手が誰であっても、顔色を伺おうともしないその頑なな態度は、一見、影が薄く見える男を殊更異質な存在として浮き立たせるものであった。



「こら鉄蔵!あんた、新撰組の局長はんに何て口の聞き方すんの!」


「……いて!おんしゃぁ何をするがだ!」



 即座に龍の鉄拳が痩身の身体に沈められるが、近藤は意に介することなく微笑みを崩さない。


「お龍さん、構いませんよ。いやぁ……まさか貴方が勝麟太郎先生の護衛をしていただなんて…」



 感慨深く息を漏らす近藤の様子を見ながら、更紗は隣にいる土方へ小さく声をかけた。



「……勝麟太郎先生って誰ですか?」


「公方様に仕える幕臣だ」



 眉目を寄せて答える土方の横顔を見つめながら、再び思考を巡らしていく。



「その方は、やっぱり凄い人なんですかね?」


「そうだね。地上にいる我々から見れば、公方様は天にいらっしゃる御方で、その公方様に仕える勝先生は雲の上のような、手に届かない御人だよ」



 山南の柔らかい声を聞きながら、更紗はある一つの推測が脳裏を掠めていく。


「もしかして、それって……勝海舟さんのことですか?」



 この時代の人々は改名したり、本名とは異なる通名を持っている場合が多くある。


 例えば、目の前にいる近藤勇も勝という字は入っていないが、土方からは常日頃、勝っちゃんという名で呼ばれており。


 幕府側にいた武士で勝という字が入った歴史上の偉人は、有名な勝海舟以外、思い浮かばなかった。



「誰だ、其奴そいつは」


 訝しげな顔つきでこちらを見る土方の態度から、いらぬ歴史情報を漏らすのは得策でないと、早々に答えを探るのは諦めることにした。


「……いえ、何でもないです」



 顔を背けて誤魔化してみれば、そんな自分を鉄蔵と呼ばれた男が射抜くように見据えていた。


 更紗は反応に困ってとりあえず微笑んでみるが、感情の見えない双眸は視線を外そうとはしてくれず。



「……どうかされましたか?」


 無言でこちらに歩いてくる痩身の男は、頭のてっぺんから足の爪先まで値踏みするようにじっと凝視してくる。



「……え、何……?」


 思わず土方の背に隠れようとする女の前でピタリと止まると、鉄蔵は乏しい表情のまま口を開いた。



「才谷さんからきれえな女だと聞いちょったが、ふといばあやか」


「……は?」



 方言の意味がよく分からない更紗でも、発せられた言葉が褒められたものではないことは何となく理解出来た。


 と言うよりも、その意味をダイレクトに受け取った場合、何とも失礼極まりない話しである。



「……確かに体格はいいかもしれないけど、太くないつもりですし、婆やでもないですけど」


 初対面ながらキレそうになる気持ちを抑えて相手を睨むと、慌てて龍が鉄蔵に二度目の鉄拳を繰り出した。



「痛ぇ!ほがな強く殴らのうてもかまんろうが!」


「もう!あんたは喋らへんとき!!お更ちゃん堪忍なぁ、土佐弁で太い言うんは、おっきいと言う意味やから気にせんといてな。ほんでも鉄蔵!乙女に向かっておっきいなんて…」


「……気にしてないので大丈夫ですよ」



 説教を始めた龍の手前、平静を装ってみたものの、苛立ちは収まらないばかりか嫌悪が湧き上がってくる。


 町の女よりも頭一つ分大きい自分の身長はこの時代の大半の男性より高いが、好きな男の前で小馬鹿にされる筋合いはない。


(この鉄蔵って人、一体何なの……ほんと失礼すぎる!)


 碧色の双眸を細める更紗を見やった鉄蔵は、同じように目を細めてみせ、挑発するかの如く口の端を上げた。



「そのへごな目は嫌いがやないな」


「それは……どういう意味ですか?」



 更紗の問いには答えずに口先だけで笑った鉄蔵は、踵を翻すと元来た道をゆっくりと歩き出す。



「ちょっと鉄蔵!?どこ行くの!」


「先の茶屋に行くぜよ」


「ほんま自由奔放なんやから…」



 珍しく頭を抱え、深い溜め息を零す龍を一瞥した土方は、遠ざかる男を見据えながら俄かに口を開いた。



「土佐勤王党の残党か脱藩浪士なら捕縛対象だが」


「……しかしだな、歳。真に勝先生の護衛をしていたならば、何方の見込みも薄いと思うぞ。誤って捕縛して話しが下手に大きくなるのも何だからな…」


「勝先生が倒幕派の人間に護衛を頼むような野暮な事はされないだろう……ただ、彼の人となりを見ていると、何故なにゆえ雇われたのか些か疑問を感じてしまうがね…」



 言い淀む近藤に続き山南までもが苦笑を浮かべて鉄蔵のひょろりとした後ろ姿を眺める。



「……不逞浪士なら正面切って屯所には現れねぇ、か」


 ポツリと呟いた土方は、小さく息を吐くと涼しげな眼差しを自身の背にいる更紗へ向けた。



「おめえでも男に袖にされる事もあんだな」


「……そんなの全然ありますよ。万人受けする見た目でもないですし」



 淑やかな大和撫子を好む男性にとっては、外国から混じってしまった異花のような、男顔負けの体格を持つ女など眼中にないのだろう。


 別にモテたいという考えを持ち合わせている訳ではないため、好みでもない男に何を言われても気にもならないのだが。



「そんな事ない、お更ちゃんは別嬪やからね。そうそう、才谷はんが近いうちにとびっきりの男を紹介してくれはる言うてはったから、今のうちに女を磨いといてや」



 意味ありげに微笑む龍を見やった更紗は、言動に即座に表情を強張らせた。



「……え、もしかしてあの話し本気だったんですか?」


「当たり前やんか。十八で色恋から離れるんは勿体ない!……まさか、前言うてた失恋から未だ立ち直ってへんの?」


「いや!立ち直ってますけど…それ、今言わなくても…」



 酒の席でペラペラと話してしまったことを後悔するも時、既に遅し。


 歯切れ悪く返事をするこちらの心情に気づかない龍は、周りの反応そっちのけで、妖艶に笑みを浮かべていた。



「なら、ええやんか。お更ちゃんはええ身体してるんやから燻ってたらあかんよ。女は愛されてなんぼやで」


「いやいや!至って普通ですし……相手くらい自分で…」


「近藤先生、うちが責任を持って、お更ちゃんに良い縁談話を持ってきます」


「それは頼もしいですな。武家とはいかずとも、ノブさんように庄屋に嫁げれば我々にも有り難い良縁となる。なぁ、歳」


「ノブさんというのは、何方様ですやろ?」


「ノブさんは、この土方の姉でしてね。嫁ぎ先である佐藤家は名主で、あらゆる方面から新選組を支援してくださるんですよ」



 隣の男へ視線を泳がせれば、無表情でこちらを見ていたが、暫くすると興味なさげに背を向け、前川邸内へ入っていく。


 龍と楽しげに続けられる近藤と山南の会話は、壬生村を通り抜ける秋風のように、更紗の鼓膜に響いては跡形もなく消えていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る