鬼と仏

 文久三年 八月下旬


 土方副長室にて




 残暑が遠のくと季節は露骨なほど、秋らしい顔を覗かせてくる。


 柔らかな朝の光に包まれた空間は、冷たく澄んだ空気で満たされている。


 それは即ち、布団の温もりから離れられない女にとって至難の日々の訪れであり、正に今、煩悩の真っ只中に身を置いていた。



「おい、いい加減起きろ。朝だぞ」



 遠くから何度もくぐもった声が鼓膜を揺らすが、こんなことでは深い眠りから覚める筈がない。


 碧色の双眸を持つ眠り姫は、王子様からの愛のキス…ではなく、鬼からの頬へのペチペチを毎朝懲りずに耐え忍んでいた。



「……ん……もうちょっとだけ…お願い……」


「そんな声出しても駄目だ。起きねぇと口吸っちまうぞ」



 頬に感じていた振動が収まったかと思えば、今度は唇をなぞる感触が脳を刺激する。


 更紗は瞳を閉じたまま、口元に触れていた剣だこのある長い指を掴んだ。


「……分かった……起きる…から…」



 緩々と瞑っていた目蓋を持ち上げると、眩いばかりの視界の中に切れ長の双眸を細めた端正な顔を見つけてしまい。



「……おはよう…ございます」


「遅ぇ。何でおめえより遅く寝た俺の方が早く起きんだよ」



 既に眉間に皺が寄っている土方から舌打ちが落とされたため、慌てて掴んでいた男の指を離して布団を頭まで被る。


「……すみません……」




 相部屋生活を始めてから気づけば十日ほど経っているが、緊張で寝られなかったのは初日のみであった。


 元々、闇夜を独りで過ごすことを極端に苦手としていたため、男性であっても傍に人がいる安心感がいつも以上に深い眠りを誘発してくれるようである。


 例えそれが好きな男であっても変わらず眠り続けられる自分の神経の図太さに、ほとほと嫌気が差してはいるのだが。


(……また、起きれなかった。)



 そろっと布団から寝惚けまなこを覗かせる更紗を呆れ顔で見据えていた土方は、徐に立ち上がると背中まである長い黒髪を揺らしながら、文机の前まで歩いて行った。



「……俺が隣で寝てるっつうのに、寝こける女なんざおめえくれぇだよ。たく、色気も何もありもしねぇ」


「…………。」



 今朝は一段と土方の機嫌が悪いようで、更紗は息をすることすらはばかられ、細心の注意を払って音を立てずに身体を起こした。


 土方歳三がここ最近、不機嫌な理由として、思い当たる節は幾つかある。


 政変後の京の町の安定を図るため、倒幕派の取り締まりの一環として市中見廻りの任が命ぜられたのは、新撰組として大変喜ばしいことではあるのだが。



 始まりは監察方の涙ぐましい努力によって桂小五郎が三条木屋町にいるとの一報が入った、去る二十一日の夜。


 即座に捕縛へ向かうも既に危険を察知していた桂は当然の如く見つからず、代わりに従者二名を捕縛するにとどまり、男の機嫌の火種に着火する運びとなる。


 並びに翌日、二十二日の早朝に以前からマークしていた尊攘派の福岡藩士、平野国臣が木屋町御池にある豪商の家に匿われているとの通報を受けるものの。


 無論、直ちに捕縛へ向かうが紀州藩邸へ逃げ込まれ失敗に終わる。


 しかし、二十四日に行方を眩ましていた平野が三条小橋の旅宿豊後屋に潜伏中との情報を得て、隊士六十名を動員しリベンジの大捕物に向かったのである。


 到着後、隈なく探索するも肝心の平野国臣はまたもやおらず、桂、平野捕縛は未だ達成できないまま、土方の不機嫌だけが着々と燃え広がっていたのである。



「……明日こそ…頑張るぞ…」


 定位置に布団を積み重ねた更紗は、文机の前に座る土方へ視線を移して小さく息を吐いた。


 慣れた手つきで髪を一つに結い上げる仏頂面の男の傍には、昨夜したためていた文と共に傷の入った鉢金が一つ。



 二回目の平野捕縛は新撰組の面々も武装して突入しており、平野おらずとも複数の倒幕同志が隠れていたために稀に見る激闘となった。


 ゆえに、新撰組にも幾人か負傷者が出てしまい、捕縛から帰ってきた土方の鉢金にも無数の刀痕が付いていることに気づき。


 怪我なく帰ってきてくれたのも束の間、いつその命が尽きるかも分からない武士の性分を見せつけられ、胸が締め付けられる思いでいっぱいであった。



「さっきから何呆けてんだよ」


 器用に赤の組紐を髪の根元に巻き付ける土方は、ぼんやりと佇んでいた更紗を無表情で一瞥する。


「……いや、無事に帰ってきてくれて良かったなって…そう思っただけです」



 複雑な気持ちに苛まれていた更紗は思案げな表情で、会話に何の脈絡もないまま思ったことを口にしていた。


 土方は訝しげな顔つきを浮かべるも、曖昧な表情を見せる更紗を見据えると僅かに口元を緩めた。


「一体何の事かと思いきや、三条縄手の話しか。これ見て思い出しちまったか」



 その骨ばった指を目先の鉢金に弾かせれば、こつりと重みのある音が響き渡る。


 金属製のそれには何箇所も前額部分に刀を受けた傷があり、相手と対峙した時、逃げずに立ち向かった武士の証でもあった。



「何だ、心配してくれてんのか」


「……当たり前です。怪我してないとか奇跡ですよ。私なんて、竹刀がモロ入っちゃって、面つけてても脳震盪起こしたことあるのに…それが刀だったら…」



 徐々に表情が暗くなって黙り込んでしまった更紗を見つめていた土方は、フッと小さく笑うと眉目良い表情を浮かべた。



「そんな柔じゃねぇよ。結わえてやるからこっち来い」


「…………。」



 完全に子供扱いなのは分かっているのだが、それでも呼ばれたら従順に歩みを進めてしまう自分は、色男の毒に侵され始めたのだと思うしかない。


 土方を背にする形で腰を下ろすと、いつものように丁寧にふわりと少し広がっていた栗毛を指で梳いてから櫛を通してくれる。



 更紗は未だ自分一人で組紐を使って短い髪を結うことが出来ない。


 否、頑張って練習すれば出来るのかもしれないが、暫くは出来ない振りを続けようと、未来から持ってきていたヘアゴムもこっそりと封印していた。



 理由はただ一つ。


 その時だけは、無条件で肌に触れて貰えるからである。


 手を出さないと宣言されて十日、初日こそ抱き締めて貰えたが、二日目以降は朝起こす時だけ少し触れられ、それ以外は本当に何もしてこない。


(……女には見られてない、か。)



 間違いなく以前の方がちょっかいを出されており、同室になってからあからさまに一線を引かれている事に気づいて、一人地味に落ち込んでいた。



「……少し髪伸びたな」


 土方の独り言のような低い呟きが寝起きの女の鼓膜を優しく響かせる。


 更紗はその静かな声に癒されるように、柔らかい表情のまま瞳を閉じた。



 悪いこともあれば、良いこともある。


 この十日、いつ言われるのかとドキドキしながら過ごしていた男の夜間外出だが、未だ一度もその様子は見られない。


 目下、新撰組の活動が急激に活発化したことで、否応なしに仕事が増え、処理に忙殺されているとも言えるのだが。


(……女の人のとこ行かないなら、理由なんて何でもいいや。)



 更紗は静かに息を吐くと文机に置いてある傷のついた鉢金に手を伸ばした。



「…盡忠報國志じんちゅうほうこくし…土方…義豊ぎほう…?」


 裏側の中央に文字が彫られており、それをゆっくりと読み上げると、後方よりクツリと喉を鳴らして笑う低い声が落ちてきた。



「俺の字読めたじゃねぇか」


「……これはまだ楷書に近いからですけど……てか今、私のことバカにしたでしょ」


「おめえは大莫迦だな。こりゃあどっからどう見ても楷書だろうが。ふざけんじゃねぇぞ」



 どこで地雷を踏んだのかまたもや不機嫌な言葉が放たれた刹那、組紐を巻き付けられていた髪を後ろへ引っ張られ、更紗は思わず音にならない声を上げた。



「……ひゃあ」


「何つう声出してんだよ。ほら、しっかり座れ」



 倒れそうになった身体を後ろから強く押し返されて、やはり土方の行動に余所余所しさが拭えず、心がぼんやり霞みそうになるのを気合いで払う。


 言動一つで一喜一憂していると気づいてもいない土方は、綺麗に結い終えた栗髪から手を離し、更紗の持っている鉢金に視線を落として文字を指差した。



「これは俺のいみなで、ギホウじゃなくヨシトヨだ」


「……イミナって…?」


「まぁ、易く言やぁ、俺の死後の名だ」


「……死後の名って…」



 盡忠報国志は、忠義を尽くし国の恩に報いるという意であり、事あるごとに、隊士たちが合言葉のように口にしていた言葉である。


 そんな語句と己の諱を頭を守る鉢金に刻むとは、それだけの覚悟を持って戦いに挑んでいるという決意の表れなのだろう。


 命を賭して戦う男を前にして絶対に死なないでなどの筋違いの言葉は、心の中で強く願っていても口に出して伝えることはそう簡単には出来やしない。


 ぎゅっと握られていた鉢金を取り上げ文机に置き直した土方は、曇る更紗を覗き込むようにして優しい眼差しを向けた。



「喧嘩にも言えるが戦さっつうのは、おっ始める時既に命は無いと思うんだよ。死んでいりゃあ、生身の人間には勝つ。深い意味はねぇよ」


 女の頭をポンポンと撫でた土方は徐に立ち上がると、懐手をしながら部屋の出口へと歩いていく。



 いつからか正確には分からないが、最近、自分の感情が無意識に表情へ表れていることがあるようで。


 感情が表に出にくいことが悩みの種であったのだが、片思い相手には素直に顔に出てしまっているのも存外困りものである。


(……まさか好きな気持ちがバレて一線を引かれたとか、ないよね…)



 脳裏を掠めた最悪の事態を前に、更紗はぐらりと深い眩暈を起こしそうになるが、既の所で手をつき、ゆっくりと立ち上がった。


 振り返り顔を顰めた土方と視線が絡み合った更紗は、また何か気に触ることをしてしまったかと苦笑を零しつつ傍へと近づいていく。



「……また私、何かしちゃいましたかね…?」


「……しょうがねぇ、このままで行かせるか…」


「……え?何のこと…?」



 呟かれた言葉の意味が分からず眉を寄せて首を傾げた次の瞬間、逞しい腕が腰元に伸びてきて強引に身体を寄せられる。



「…えぇっ?!」


「おめえは黙ってろよ」



 耳元に吐息が触れて瞬時に鼓動が跳ね上がるが、襖を開けた時点で色男が取った行動の意味をあらかた理解した。



「てめえら、此処で何してんだ」


 殺気を滲ませた声色と共に凍てつくような冷たい眼差しが、朝日の届かない板廊下を忍び足で歩いていた隊士たちへ向けられる。



「…も、…申し訳ありません。厠に行くつもりが迷子になりまして……偶然、楠殿が通りかかったので助けて貰っていたのです…」


「……御倉さんが迷っていたようなので、私が声を掛けて案内差し上げていたのです。…屯所の広さゆえの御無礼、何卒お許し下さいませ」



 慌てふためきながら丁髷を結わえた男が頭を深々と下げると、その隣にいた色白で綺麗な顔立ちをした少年が丁寧に謝罪の言葉を連ねる。



「此奴の部屋の前を随分と彷徨うろついていただろう。何用か吐いてもらおうか」


「……いえ、決してそのような訳では御座いません!」


「此処は幹部の奴等の部屋しかねぇのは分かってんだよな。下手な動きはあらぬ疑いが掛けられるだけだぞ」


「……大変申し訳ありません。失礼致します」



 副長の鋭い眼光から逃げるように、袴姿の男たちは足早に朝餉の支度が進む広間へと歩みを進めていった。


「……楠も黒ときたなら、他にも潜り込んでると見た方がいいか…」



 漆黒の双眸を細めてギロリと睨んでいた土方が、小さく舌打ちを落とす。


「……丁髷の人…御倉さんでしたっけ?気を付けろって言ってた人ですよね。楠さんが親しいってことは……てか、私たち絶対怪しい仲だと思われましたよ…!今も何かくっついてるし…」



 更紗は思案を巡らそうと試みるも、腰に回されている腕の感触のせいで集中出来ず、高鳴る鼓動を抑えるのに必死であった。



「なら思惑通りじゃねぇか。彼奴らがおめえの具合を探るっつうのは、大方、あの優男の命か男の出来心とやら、だろうが。こんな姿晒しときゃあ、無闇に手出しはしねぇだろ」


「…………。」



 仏頂面のまま至って冷静な声色で言葉を紡ぐ土方をチラリと見た更紗は、隊士たちが消えた板廊下の先へ視線を向けると、声なく吐息を零した。




 土方が三条縄手の戦いと称した平野捕縛作戦の翌日、二十五日。


 御倉伊勢武、荒木田左馬之助、越後三郎、松井竜三郎、四名の長州系浪士たちが突然、新撰組の屯所を訪ねて来たのである。



 彼らは長州を脱藩したので新撰組へ加入したいと申し出てくれたのだが、面会した芹沢、近藤は長州藩の間者である可能性も捨てきれないと判断した。


 その上で、彼らを入隊させて『国事探偵方』の任を敢えて与えることで、長州系不逞浪士の動向を探り、隊内の倒幕派の洗い出しにかかったのである。


 その四名を監視する目付役として白羽の矢が立ったのは、新撰組一実直な永倉新八であり───


 最近の彼もまた然り、隊士が専ら機嫌の悪い傾向にあるのは、致し方ない事実であった。



「楠は水無月の入隊だったよな。同時期に入隊した奴の動向も調べるか…」


「……楠さんまで間者だったら、軽く人間不信になりそうです。あんなに爽やかで好感が持てるのに…」



 眉を下げて困惑顏で話す更紗の顔を見やった土方は、俄かに呆れた表情を浮かべる。


「おめえはあの手の面にも弱ぇなァ。佐々木も似たようなもんだったろ」



 楠小十郎という若者は年の頃十七、八の、中世的な匂いのする色白の美男子であった。


 今は亡き佐々木愛次郎と巡察に出れば町娘が遠くから見惚れていたことから、壬生浪士組の美男五人衆として隊内で囃し立てられていたのであり。


「まぁ、確かにカッコいいとは思いますけど……別に好みじゃないし」



 あっさりと言い切る更紗を見据えていた土方はその腰から手を離すと、僅かに片眉を持ち上げ、淡々と言葉を放つ。



「ほう。ならば、おめえ好みの男っつうのはどんな奴だ。新見も面は悪かねぇだろうに」


「……え、そんなこと、聞きますか…」



 予想外に投げられた質問に更紗は面食らうが、目を逸らせないまま視線を絡め取られ、否応なしに心臓が早鐘のように打ち始める。


 もし、自分が可愛いげのある女子だったなら、ここで、あなたみたいな人です……なんて、恥じらいを見せつつ言ってのけるのかもしれないが。


 (……死んでも言えない。けど……ちょっとは私のこと、気にかけてくれてるのかな…?)



 表情を崩さないままこちらを眺める土方を見つめ返し、喉から響きそうな鼓動の音を誤魔化すように、言葉を紡いでいく。


「……そんなの、ないです。てか、私の好みの男性とか……土方さんでも気になるものですか?」



 素っ気ない態度になってしまったものの、自分の中では踏み込んだ質問であり、その回答次第では、窒息するほどの重症は覚悟しなければならないが。


「……そうだな、少しは気になるか」



 更紗をじっと見据えていた土方は、口元を緩めると徐にその頬を撫で始める。



「……え、と……。」


 瞬時に心臓が飛び出しそうなほどのドキドキが全身を網羅し、女は慌てて視線を伏せるが、終始眺めていた男は見透かしたような意地悪な笑みを浮かべた。



「とでも言って欲しそうな面はやめた方がいい。俺に駆け引きを挑むなんざ、百年早ぇよ」


「…ちょ、ちょっと待った!そんなつもりないですから…!」



 撫でられた頬は瞬く間に火照りだし、更紗は図星で今すぐにでも全速力で逃げ出したい衝動に駆られていく。


「……もういいです!着替えてきます…!」


 頭上に湯気が立ち上るのを見られる前にと、踵を翻して二つ隣の自分の部屋へ駆け出した刹那。


「衿元直せよ。そんなナリで彷徨くんじゃねぇぞ」



 後方から落ちてきた言葉に振り返るが、男は自分に流し目を寄越すと、厠のある方角へ颯爽と歩みを進めていった。



「……別に、ちょっと開いてるだけで胸も殆ど見えてないじゃん」


 朝起こして貰った上に髪を結い上げ、肌の露出まで注意を受けるとは、完全に保護者の域である。


(……前よりも子ども扱いされてる気がする。)



 着物の合わせを整えながら大きく溜め息を吐くと、目の前の襖が静かに開いて苦笑いの山南が顔を覗かせた。



「お早う、市村君。盗み聞きするつもりでは無かったんだが…つい土方君との楽しそうなやり取りが聞こえてきてね」


「……お早うございます!何か、大した話しもしてないのに朝から煩くてすみません!」



 薄暗い板廊下に響き渡るのは、空元気な女のはつらつとした声であった。


 昔の町屋の構造上、殆どの部屋と部屋は続き間であるため、声などは襖越しに筒抜けになってしまうという事実は、存外女に羞恥を与えてくれ。


(……は、恥ずかしすぎる…)



 内容が内容だけにその場から消え去りたい衝動に駆られるが、朝から仏の笑みを浮かべる山南から容易には離れられなかった。



「……局中法度を貼り出してから、隊士たちが土方君をあからさまに避け出したからね。昔のよしみでも切腹という処罰に納得していない者もいるから、彼の心情を少しばかり憂いているんだよ」



 土方が考案した局中法度をもとに芹沢、新見を含む局長、副長五名によって規律発足のための話し合いの場が持たれたのが一週間ほど前の話しで。


 隊規として制定されたその日から、発案した土方歳三は血も涙もない新撰組の鬼だと陰で囁かれ、誰も近づこうとしなくなったのだ。



「…土方君ばかり風当たりが強くなるのは申し訳なく感じてしまってね。目下、むっつり黙っていることが多いからどうしたものかと思っていたが……市村君と話す時はあんなにも楽しそうにしているとは知らなかったよ」



 鬼の土方に仏の山南と隊内でも揶揄されているように、同じ副長職に就いているにも拘らず、二人の立ち位置は対照的であった。


 山南が皆に慕われている状況下、同格の職務に善人役は二人も要らないと、土方が憎まれ役を買って出たことは二人のやり取りから察していた。


 それを目先の男は気に揉んでいるようだが、土方は自ら納得して行動に起こしており、寧ろ悪役を楽しんでいるのではないかと思う様子もあり。



「土方さんて元がドライだし、気にしてないと思いますよ?それに私のことは、完全にからかって面白がってますし」


「それならいいんだがね。昔の彼は、行商をしていたからか愛想が良くてね。冗談を言う明るい青年だったんだよ。ゆえに、そんな土方君が垣間見れた気がして嬉しくなったんだ。市村君は土方君のことは怖くないのかい?」


「……え、怖いかですか…?」



 更紗はその質問よりも、昔は愛想が良かったという言動に驚きが隠せず、いらぬ気を取られそうになるのを懸命に振り払った。


(……聞かれてるのは、怖いか怖くないか、だよね。)



 最初は土方に対して苦手意識を持っていたのは明白で、怒らせると極端に怖い男であることも、過去の経験より理解している。


 けれども、漠然と存在が怖いかと聞かれれば、答えはNOである。


「……怖くないです。ほんとは優しい人なんだと思う」



 偽りのない本音をつい口から落としてみれば、山南はクスリと小さく笑って肯定するように頷いてくれる。


 天井高くから差し込む朝の光は、名残惜しげに居座ろうとする不穏な影をみるみる渡り廊下の隅へと追いやっていた。

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