運命の扉

 町屋が並ぶ石畳をそぞろ歩けば、少女は苦手だった街の風景を少しずつ思い出していた。


 それは夜が来るたびに着飾って仕事へ行く母を見送り、その寂しさに声を押し殺して泣いた幼い頃の記憶。


 夕焼け色に染まる桜の花びらがあちらこちらで舞い、美しい祇園に彩りを添えていく。


 満開まであと僅か、既に八分咲きである京都の桜は、沈み込みそうになる心をほんの少しすくい上げてくれるものである。


「……綺麗」



 ゆるりと見上げた更紗の瞳は日本人特有の濃褐色ではなく、碧色にも茶色にも見えるヘーゼルアイ。


 胸まである髪は少し癖のある柔らかな栗色であり、透き通るような白肌からもわかるように、生粋の日本人ではなかった。



 彼女の母は日本人だが、名も知らぬ父は外国人。


 父との思い出は皆無であったが、何も話さない母の意思を尊重し、敢えて聞こうとはしなかった。



 母一人子一人で暮らす中、二人を支えていたのは、同じ街で生きる人々とかつて母の贔屓客であった少し年の離れた男性。


 幼少期から何かと世話を焼いてくれた優しい人であったが、母を取られたくない一心で、父と呼んだことは一度もなく。


「……そういえば、お母さんと渡辺さんと三人で、この道歩いた気がする」



 観光客でごった返す四条大橋を渡り、そのまま西に歩むこと、およそ30分。


 鞄から本を取り出した更紗は、小さく載る地図を見ると、神社手前の路地へ入る。



 薄れていた記憶の糸を手繰り寄せて思い出したのは、手を引かれて母と散歩した折、自分たちのルーツだと話してくれた一つの昔話。


 それは歴史に名を残した新撰組と市村家には数奇な縁があったと……内容はどうしても思い出せなかったが、何かヒントを得られないかとある場所へと向かっていた。



 亡き母との血の繋がり以外に血筋を辿れなかった更紗にとっては、これからの生きる証を繋げるものであり。


「……確かあの時……お母さんは水色っぽい着物を着てたよね。何色って呼んでたっけ……青じゃなくて……藍でもなくて……」



 白みがかった薄曇りの空に浮かぶ暗雲は、先ほどより絶え間なく流れ、頭上へと集まりを見せていた。


 春特有の、どこか不安定に感じる今日の気候は、いつもの綺麗な青空を隠し、ぼんやりと目に映る世界を霞ませていく。



 低層の和風建築が両端に立ち並ぶ道で、更紗は妙な心地を覚えつつも一軒の和菓子屋の前でゆっくりと足を止め。


「……そうだ、浅葱色だ」



 吹き抜ける春風によって、樹木からひらひらと舞い散る花弁は、吸い込まれるように長屋門のその奥へと消えていく。



 朱色の誠の旗と白と水色の垂れ幕を見据えた少女がその地に足を踏み入れた時、運命の扉は静かに開かれる──

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