捕縛

 瞬く間に夜の帳が下りた京の町は、墨汁に浸した筆を空一面に走らせたような濃い黒に侵食されていた。


 

 女が辺りを見渡したところで、月明かりさえ届かない室内は物の輪郭がぼんやりと把握できる程度。


 是が非でも何かに近づこうと身体を前のめりに傾ければ、たちまち強大な力で阻止されるのであり。


「おっとォ、姉ちゃんよ。そんな易々と逃がしゃしねぇぜ」



 ブレザーに食い込む縄を後ろへ引っ張られた更紗は、幾重にも巻かれたそれのせいで腕を動かすこともできず、必然に背後へ倒れそうになる。


「おいおい、そんな姿で転けちまったら大事なとこおっ広げる事になるぜ」



 途端に後ろ手にされた手首を縛る麻縄をぐっと持ち上げられれば、紺地の靴下を履くつま先がふわり、と浮き上がりそうになっていて。



「……きゃ……危な…っ…」


「まぁ、見せてくれるっつうなら、こちとら願ったり叶ったりだけどよ…」



 背後にそびえる大きな人影が身を屈めると、足下に置かれていた行灯の明かりが柔らかく周囲を照らし出していく。


 傍で話すには耳が痛くなる音量を放つのは先ほどまで槍を携えていた男であり、優に180センチは超えるであろうモデル並みの長身を持ち合わせていて。



「……で、ひらひらしたこいつの中はどうなってんだ?さっきから気になって仕方なくてよ…」


「…!!きゃあっ!!」



 不意に伸びてきた大きな手が、ぺらりと制服のスカートを捲り上げれば、人前で晒すことのない太腿の奥が容赦なく露出されていく。


 咄嗟に身体をひねった更紗は、張り切って覗き込もうとする男の顔面へ反射的に膝を振り上げてしまっていた。



「…痛ってぇ…!」


「ちょっと!何するんですか!変態!!」


「何…だよ!少しくれぇ見えちまってもいいからそんな妙な格好してんじゃねぇのかよ…!」



 よろけるようにその場で尻餅をついた男は、長い指先を歪めた顔に這わせ、寄せた眉間を撫でるとその高い鼻筋を恐る恐るなぞっていく。


「危ねぇ、鼻が折れちまうとこだったぜ……」



 その顔立ちは日に焼けた肌に切れ長の眼差しが映える、目が醒めるほどに美形なものであったが、纏う着物が小汚く微妙な勿体無さを感じてしまうのであり。



「こんな良い蹴りを打ち込めるたァ、やっぱ姉ちゃんは間者なんだよな!悪い事は言わねぇ、早く言っちまった方がいいぞ」


「だから違いますって!何で私が誰かの様子を探らなきゃいけないんですか……もう…マジで意味分かんない」


「…それじゃあ何だ……さっき言ってた別の世から来たっつうのは……素面しらふで言ってんのか?」



 無理やり男達に腕を押さえ付けられ、胸から背中へと縄を張り巡らされた女は皮肉にも、見学に訪れた八木邸へ拉致されたのち、ひたすらに尋問を受けていた。


「……そうです。信じられないと思いますけど、本当のことなんです…」



 押し込まれた部屋には予想通り電気はなく、目の前で大袈裟に顔をさする伊達男が慣れた手つきで二つの古びた行灯へ火を灯していた。


 横書きの掛け軸が壁に掛かってはいるものの、これといった装飾のない殺風景な続き間には、男物の着物や袴が無造作に脱ぎ捨てられている。



 女は横から受ける無言の圧力をね付けるかの如く睨むが、そこには自分を真っ先に縛り上げた着流し姿の男が、柱に背を預けて白けた顔つきで佇んでいた。


「……これからどうするか考えたいので……いい加減縄をほどいて貰えませんか」



 今だに受け入られない現実を前に取り乱さずにいる事が精一杯であった更紗は、事実から目を背けるように目蓋を下ろしていく。


 夢なら今すぐ目覚めたいのに肌に触れる麻縄のざらざらした感触がやけにリアルなもので、沸々と闇に溶け込むような落胆を感じていて。



「……なぁ、土方さんよ。俺ァこの別嬪が嘘を吐いてるようにはどうにも思えねぇんだ。悪いことをした訳でねぇならいてやってもいいんじゃねぇか…?」


「左之助、おめえは莫迦ばかか。こんなくだらねぇ絵空事は聞くだけ無駄だ。この手の女はちょいと痛めつけりゃ直ぐ吐くだろうよ」


「……歳さんが言うと何かアレだな……いや、俺も信じた訳じゃねぇんだけどよ……庭に倒れてたなら、どっかで頭打っちまったんじゃねぇかと思ってよ…」


 

 自分を挟んで飛び交う男たちの低い声は行灯で揺らめく灯火のように宙を舞い、その姿を闇へ隠すかの如く露と消えていく。


 静まり返った部屋で押し黙る二人からも分かるように、例え表情が見えなくとも得体の知れぬ女を持て余していることくらい嫌でも感じ取ってしまう。


「……私だって、まだ信じられないし……どうしていいか……」 



 それは当事者である自分も同じ、今だかつて空想の世界でしか聞いた事のないタイムスリップという事象にどう向き合えばいいのか答えが出るわけもなく。


「………別に無理に信じて欲しいなんて言いません。もうここには近づきませんから……解放して下さい…お願いします…」



 仮に運良く解放して貰えたなら、速攻でこの場所から離れるのが先決だが、昔の京都の街がどのようになっているか分からない上に行く当てすら思い付かない。


 どう思案しても一時間後の自分の未来さえ全く想像つかない現状に更紗は只々、絶望の淵を彷徨うような失墜感に襲われていた。



「───土方さん、言われた通り連れて来たよ。山南さん早くこっちへ……」



 静寂を破るようにカツカツと下駄の鳴る音が部屋の外から響けば、先ほどまでこちらの話しを熱心に聞いていた青年が続き間へひょこりと顔を出す。



「一緒にいた源さんにも声掛けたんだけど良かった?」


「源さんなら構わねぇ。但し総司、おめえはどっか行ってろ」


「最初に見つけたのは俺なんだから嫌ですよ。あの世から来たなんて面白い御伽草子、聞き逃す訳にはいかないでしょう」



 殺伐とした空気感の中、畳の縁を踏まないように歩む総司と呼ばれた男は、更紗の目の前でピタリと止まると慣れた手つきで袴の裾をさばき腰を下ろしていく。


 並んでみると意外と長身であった少年は部屋の真ん中に堂々と座り込み、醸す幼気な雰囲気とは裏腹に木刀を片時も離さず手の届く位置に置いていた。

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