七ツ半
不気味な静寂が辺りを支配するように、天から降り注いでいた太陽の光も抗えぬ衰えを見せていく。
「……それって本物ですよね?一体、何の真似ですか」
「ほう、この誂えの良さが分かるか」
「…分かるとか分からないとかじゃなくて。危ないじゃないですか」
首に押し付けられた刀が真剣であるかなど判断できるものでなかったが、相手の否定せぬ態度に目の前の光を遮られた気がしていた。
一体、どんな理由があって、見ず知らずの他人から抜き身の刃を向けられなければならないのか、思考の範疇を超えており。
(このまま警察に駆け込まなきゃ……いや、すぐにでも110番……)
居合道場の模造刀を少しでも疎かに扱えば上段者から叱責が飛んでいたほど、楠木家にある日本刀さえ、簡単に目に触れさせては貰えなかった。
ましてや、本物の刀には登録証が必要不可欠であり、人に向けるトラブルは想定されていないため、常軌を逸した行動を取る目先の男は、犯罪者以外の何者でもなく。
(……この人、見た目良いクセにかなり危ない人なんだ……)
そんな恐ろしくも美しい男は色のない顔つきで自分を見下ろし、目で殺すかの如く冷酷に見据え続けていた。
「何処の藩から送り込まれた。早ぇ内に吐きゃあ命は助けてやる」
まるで血に飢えた猛獣に狙われるような感覚を覚えた更紗は、いつ首を搔っ切られても可笑しくない今の状態でさえ現実であるようには思えなくて。
「…まず、刀を戻して下さい。初対面なのに刃を向けるなんて、人として最低だと思います」
兎にも角にも、一瞬でも隙を見せたら終わりだと心で反芻しながら、這わされた刀越しに相手を強く睨みつける。
全てを飲み込むような漆黒の双眸に捕らえられ、先の読めぬ恐怖から悔しいかな、全身を駆け巡る震えを抑えることができなかったが。
「土方さん押されてますよ。天下のバラガキに言い返す婦人、初めて見たかも」
「うるせぇ、邪魔するならあっちへ行ってろ」
「そんなの、こんな面白い尋問見逃すわけにはいきませんよ」
さも他人事のように、クツクツと笑う若き青年が軽やかに動けば、一つに結わえられた髪が生を受けたように波打つ。
その姿を呆れ顔で一瞥した男はふぅ、と溜息を吐くと、僅かに落ちた長い前髪を怠そうに掻き上げていき。
「…刀は仕舞えん。てめえが間者でねぇと分かるまではな」
「…だからそのカンジャって……何のことを言ってるんですか…」
「へぇ、
少年が濃褐色の瞳を丸くし驚き顔を覗かせたので、更紗も負けじと眉根を寄せて困惑した表情を浮かべる。
「……不届き者って…私が……?」
全く身に覚えのない罪を着せられそうになっている事態に焦りが募るが、目先の男たちは思いの外、落ち着き払った様子を見せてくる。
「お、土方さん。不届き者の意味は分かるようですよ」
一人の女の命がかかる絶体絶命の状況を見ても止めるでもなく、寧ろ楽しんでいる稽古着の青年も十分に異常であると理解し。
「……別に、私は八木邸の見学に来ただけで…敵とか意味分からないし…」
「ならば、さっき口にした、しんせんぐみっつうのは何だ」
「……そんなの私に聞かなくても分かりますよね。京都で反幕勢力を取り締まった集団というか…。浅葱色のダンダラ羽織で有名な人たちです」
八木邸にいた男たちは和服に結髪であり、日本刀や木の棒で身の危険を与えてくるのだから、新撰組を知らないわけがない。
更紗は無意識に嫌味を含んだ言い回しで答えてしまっていたが、冷たく見下していた端正な顔が徐々に歪んでいくのが分かり。
「…どうやって羽織の事を知った?件は局長しか知らんはずだ」
「えっ、土方さん、羽織って何ですか?近藤先生が関わる事には俺も入れてって…」
「他に何を知り得た」
「……他にですか?……新撰組のメンバーなら少し…」
「め…んばぁ…?…何の事を言ってんだ」
不可解そうに切れ長の瞳を細めた男は、見る見るうちに眉間に深い皺を刻んでいくため、更紗はその予想外な反応を前に、一人面食らっていた。
仮にこの男がそれなりに実力を備えた俳優だったとしても、役になりきった迫真の演技を見せられると、どう相手へ立ち向かっていいのか分からない。
「……近藤勇、…土方歳三、…沖田総司とか……後は……山南…なんだっけ…」
「…てめえは一体、何者なんだ」
「……何者って…普通の女子高生です……卒業したばかりですけど…」
「ふつうのじょしこうせい…?聞いたことねぇな。名を名乗れ。生まれは何処だ」
「……市村更紗です、けど…。あの、…人に名前を聞くなら先ず自分が名乗るべき…ですよね」
微かに狼狽を匂わせる男を攻め落とすならこのタイミングしかないと、女は弱る気持ちを奮い立たせ、あえて強気な姿勢を取ってみる。
触れる寸前の刃が少し肌から遠ざけられれば、傍でカラカラと笑い出す青年の声に驚き、慌ててそちらに顔を向けるが。
「土方さん、また一本取られましたね。確かにお嬢さんの言う通りだ」
姿勢を正した少年の大きな瞳がニヤリと細められると、健康的で眩しい笑顔が更紗を捉えていき。
「申し遅れました。俺は貴女の知っていた沖田総司です。でも、誠忠浪士組のね」
かろうじて射していた陽光が、満を持して別世界へと消えていく。
宵闇迫る空の下、ニコリと微笑を浮かべる
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