姫に捧げた愛する者の首

 馬比べに敗れた者達の首が門の前にずらりと並ぶと、婿に名乗り出る者はなくなった。替わりに、馬比べに勝ったまみちがねの噂は瞬く間に城下を駆け巡った。

 まみちがねは姫の前に呼び出され、最後の難題を課された。

「明朝、お前が最も愛する者の首を持って参れ。私の他に愛する者がないという証に」

 姫の前から退がったまみちがねの背中で、母親がつぶやく。

「困ったのう、首くらいやらんでもないが、ワシはもう死んでおるし」

 元より母親の首など念頭にない。本当に困ったのは、まみちがねには愛する人など誰もいないことだった。

 厩に戻って白馬の前に座り込んだ。背を曲げて座り込むと、まるで首を斬られる直前の罪人が頭を押さえつけられているような格好になる。苦しい姿勢で溜息をついていると、ぬちんだからがやってきた。傷ついた身体をひきずるようにして歩くその姿は、散々に打たれたせいで、元から醜いのが目も当てられない姿になっている。ぬちんだからはまみちがねの横にしゃがんで言った。

「ここから逃げよ、まみちがね」

 まみちがねはうずくまったまま言った。

「逃げたら殺されるわい」

 背を曲げたまま、そうそう逃げられるものではない。第一、目立つ。

 ぬちんだからは泣いた。

「私はどうしたらよいのじゃ」

 まみちがねは尋ねた。

「お前がどうしたというのだ」

 ぬちんだからは答えた。

「逃げずともお前は殺される。身寄りのないお前に、どうして愛する者の首が得られようか。逃げてもお前は殺される。私はどうしたらよいのじゃ」

 まみちがねは首をかしげた。

「お前がどうして泣くのだ」

 ぬちんだからはしばらく、大粒の涙をぼろぼろこぼして押し黙っていたが、やがて大きく息を吸って、吐き出すように言った。

「あの路地からお前を連れて来たのは、一目でお前を好いたからじゃ」

 ぬちんだからはまみちがねに覆いかぶさった。しがみつくにはこうするしかないのである。まみちがねはじたばたもがいた。背中の母もぎゅうといったが、ぬちんだからにはまみちがねの声としか聞こえない。ぬちんだからはなおもかき口説く。

「通用口を開けるのは怖かった。だれぞが馬酔木の話をしているのを聞いたときも、天の助けと思うて思い切った。今度が最後じゃろう。私が何とかするゆえ、逃げよ」

 そのとき白馬が高くいなないて、ぬちんだからはハッと身震いした。まみちがねはぬちんだからの体の下からやっとの思いで這い出した。待っておくれ、待っておくれと追いすがる声を背に、ひょこひょこと厩から逃げ出した。母親が背中でぼやいた。

「あの娘よりは姫じゃのう」

 ぬちんだからが怖いので、まみちがねはその晩、厩へ戻らないことにした。城の塀の隅の目立たない暗がりにしゃがみこんで夜を明かすことにした。闇夜だった。もともと人のあまり来ないところなので、背の曲がったまみちがねがうずくってしまえば、たとえ母親がぶつぶつ言っても人目を心配することはなかった。

「困ったのう、ワシの首ではどうにもならんし、かといって他の者の首ではどうもならん」

 まみちがねは笑った。

「そもそも私に人の首など斬れようか。犬も猫もよう殺さんのに」

 母親は頷いた。うなずくと、その顎が背中を撫でさすって気色悪い。

「犬や猫どころか、無視一匹殺せん優しい子じゃ、お前は」

 そう言った母親は、待てよ、とつぶやいた。どうしたかと問うまみちがねに、まず寝よと促して母親は言った。

「マア見ておれ。行く末を案じることがなくなったら、冥土へ行ってやるわい」

 まみちがねが城の塀にうずくまったまま眠りについたその夜半、悲鳴と共に場内が騒がしくなった。何だろうと立ち上がると、背中が軽い。母親が何かをしに行ったのだ。どこへ行ったのか知らないが、この機を逃す手はない。白馬に乗れば、今度こそ逃げられるかもしれない。母親からは逃げられないとしても、城からは離れることができる。母親に追いつかれる前に、できる限り距離を稼げばよいのだ。

 まみちがねは、背のすっくり伸びた身体を思う存分動かして厩へと駆け出した。城の中は広いが、もともと背が高く、手足の長いまみちがねのことである。一生懸命走って走り続けられないことはないはずである。

 だが、まみちがねの目論見は大きく外れた。悲鳴を聞いた城の人々が、一斉に起き出したからである。あらゆる人という人は、まみちがねの走る方角とは逆の方向へと走っている。まみちがねは、まずいと思った。自分だけ反対方向へ走っているのは、怪しまれる。一旦現場へと走って、その人混みの中からこっそり抜け出そう。母親が戻ってきたら、その時はその時だ。

 まみちがねは人の群れと共に走った。たどりついたのは、城中にある霊廟である。代々の王が祀られている、城の中で、つまり国中で最も尊い場所である。その前に血の海ができていた。人が倒れていた。まだ息があるようで、城の医女が介抱している。よく見れば、ぬちんだからである。血は首から流れていた。

 とっさに、まずいと思った。ぬちんだからがなぜこのような行動を取ったかは、すぐ察しがついた。国中で最も神聖な場所で血を流せば、この上ない大騒ぎになるのは子どもでも分かる理屈である。確かにこの機を逃す手はない。二歩三歩後じさりして、人が見ていないのを確かめてから脱兎の如く厩を目指して駆け出した。

 だが、それは徒労に終わった。息せき切って厩に駆け込んだまみちがねの背中が、またずっしりと重くなった。母親の声が聞こえた。 

「あれを見よ。じゃが、泣くな。行く末を案じることがなくなったら、冥土へ行ってやるわい」

 そこで目にしたものに、まみちがねはおいおい泣いた。闇夜にも白い老馬の首が、ぬちんだからがくれた莚の上に噛み切られて転がっていた。

 次の朝、まみちがねは老いた白馬の首を姫に捧げた。籐の椅子に腰掛けた姫の傍には紫の冠に深紅の衣を羽織って鉄の杖を突いた王の姿があった。老馬の首を見て姫は何か言おうとしたが、王は黙ったまま片手でそれを制した。姫は眉一つ動かさず頷いた。

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