首斬り姫に屋敷を捧げる
竈と釜の一件が姫の耳に入り、まみちがねはちゅらひめへの目通りを許された。
籐の椅子に脚を組んで座る姫は美しかった。豊かな胸が透けて見えそうなほど薄い白絹の衣はまるで天女を思わせた。瞳は明るく唇は海棠の如く艶を含み、流れるような黒髪は結うのももったいないのか、何の手も加えず長く垂らされていた。姫はこの、真っ黒に汚れて背を曲げた若者を面白そうに眺めていた。
ちゅらひめは言う。
「灰坊主というのはそなたか」
まみちがねは答えた。
「私ではありません」
姫は尋ねる。
「そなたでなければ誰か」
まみちがねはなおも答える。
「誰でもありません」
姫は重ねて尋ねる。
「誰でもないそなたは何者か」
母親が囁いた。
「答えるな」
姫がなおも問う。
「何故答えぬか」
まみちがねは、母親の言うとおり答えた。
「私の望みを叶えてくだされば、お答えしましょう」
姫は笑った。
「望みとは何じゃ」
まみちがねは、母親に教わったとおりに答えた。
「婿にしてくださいませ」
姫は手を叩いて笑い、その場で難題を出した。
「よし、明日の朝までに私を迎える屋敷を誂えよ」
姫の前から下げられたまみちがねは、再び釜の後ろに戻ってきた。母親に尋ねる。
「ああは答えたが、どうすればよいのか」
母親は背中でケタケタ笑った。
「マア見ておれ。行く末を案じることがなくなったら、冥土へ行ってやるわい」
夕飯を炊いたらそのまま寝ておれ、朝になって目が覚めたら、お前は大きな屋敷の主じゃ、と母親は言った。
だが、まみちがねが眼を覚ましたのは夜中だった。体を起こすと、背中がすっくりと伸びた。今だと思って城の門まで出ると、通用口が開いている。城を離れたまみちがねの足取りは軽かった。背中が軽かったからである。闇夜に紛れて城から遥か遠くの夜道をしばらく歩いて、もうこの辺りでよいかと立ち止まり、城のほうを振り向くと、背中がずしりと重くなった。
首を捻ると、白髪頭が見えた。母親が言った。
「行く末を案じることがなくなったら、冥土へ行ってやると言うたろうが」
ついてこいという母親に従って野を越え山を越え歩くと、世が白々と明けはじめる頃、どこかで見たような土地にやってきた。あれを見よ、という母親の声に、腰を曲げたまま首を起こすと、薄明の中にぼんやりと見えるのは懐かしい生家である。逃げるなよ、という声が聞こえたかと思うと再び背中が軽くなり、屋敷の門がひとりでに開いた。足を踏み入れると、幼い頃と変わらぬ池や木々や四阿が幻のように霞んで見えた。母親が死んでも泣くことのなかったまみちがねは、涙ぐんでいたのである。その足が自然に向ったのは、あの厩であった。あの駿馬たちは元気か。もう老いているか。ふらふらとあるけばそこには懐かしい馬たち。老馬も成長した駿馬も、それぞれにいなないてまみちがねを迎えた。一頭一頭を撫でながらふと厩の奥を見れば、あの白馬がいるではないか。駆け寄ってその首にしがみつき、大きな頭に頬ずりすれば、白馬も熱い鼻息を噴いた。
しばらく涙を流していたまみちがねだったが、突如として響き渡った悲鳴に我に返った。何があったのか。声のした屋敷のほうを振り返ると、白馬が首筋に噛み付いてきた。あっと思ったとき、襟首を持ち上げられて背中へと放り出される。白馬はまみちがねを乗せるなり、自らを柱にくくりつけている綱を引きちぎって跳びあがった。ひらりと舞い降りると地面を蹴り、厩から外へ走り出す。庭の池や木々が明け方の光の中で飛びすぎていくのを眼にしながら、まみちがねはつづけざまに上がる断末魔の悲鳴に怯えて白馬の首にしがみついた。
屋敷の門を抜けて、白馬はどこまでも走り続けた。日が昇って屋敷から遥か遠くの道をしばらく駆け、もうこの辺りでよいかと屋敷のほうを振り向くと、背中がずしりと重くなった。
母親が背中でケタケタ笑った。
「行く末を案じることがなくなったら、冥土へ行ってやると言うたろうが」
まみちがねはなにがあったのか尋ねた。母親は答えず、ただ、こう言った。
「城へ行って姫に告げるがいい。屋敷はもうお前のものじゃ」
城へ戻ると、裸同然に衣服を引き裂かれたぬちんだからが散々に打たれて釜のそばに転がっていた。助け起こして事情を聞くと、なぜ戻ってきたと言う。城の通用口を勝手に開けたのがこの娘であることは察しがついた。介抱してやりたかったが、姫を屋敷に招かなければ、首を斬られてしまう。ぬちんだからは棄てていくしかなかった。
やがて姫は、まみちがねを伴って屋敷の門をくぐった。姫は庭の池を見ても木々を見ても面白くなさそうな顔をして言った。
「金貸しの家とそう変わらぬのう」
しかし姫は、邸内に足を踏み入れるなり高らかに笑った。一方でまみちがねはおいおい泣いた。
まみちがねの父と継母と腹違いの弟が、喉を喰い破られて死んでいた。
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