少年は荷物を背負って世に出る

 まみちがねが十六になった年、母親は死んだ。年老いても改まらない怠惰と不摂生が祟ったのである。

 草深い山奥に小さな墓を作って母親を弔ったまみちがねは、そのまま家を捨てて旅に出た。母親がいなくなった以上、どこへ行くにも彼を妨げるものは何もない。実のところ、まみちがねもせいせいしていたのである。思えば、彼の子ども時代は母親の犠牲になったようなものであった。それに比べれば、今の彼が望んでできないことは何一つない。つまり、彼は自由であった。

 山奥の小屋を出て平地に入るのは、その日のうちにできることではなかった。まみちがねと母親が流れ着いたところは、それほど人里を離れたところにあったのである。日中に母親を葬って、その足で旅に出たわけだから、道中で日が暮れたのは当然のことである。

 まみちがねは考える。

「どこで寝るか、寝るまいか。寝れば獣も蛇も出てこようし、寝るまいとしても獣も蛇も出てこよう。寝れば食われようし、寝るまいとしても食われよう。」

 ふと道端を見ると、太い枝を左右に張り出したおあつらえむきの木が一本あるではないか。

「登って寝るか、寝るまいか。寝れば蛇が登ってこようし、寝るまいとすれば獣も蛇も出てこよう。寝れば獣には食われまいが、寝るまいとすれば獣にも蛇にも食われよう」

 そこでまみちがねは、木の上で寝るほうがマシだと判断した。

 さて、木に登って枝の上で横になると、日中の疲れがどっと出て、まみちがねは眠ってしまった。しばらくして、微かな物音にふと眼を覚まして下を見ると、果たして大きな蛇がするすると幹に巻きつきながら登ってきていた。まみちがねは慌てて高いところの枝に手をかけた。急いでその枝まで片足を上げると、蛇は闇の中でチロチロと舌を閃かせながら、もう一方の足に絡み付いてきていた。木の幹にしがみついて蛇の巻きついた足を上下に振る。だが、そんなことで蛇が離れるわけはない。かえって手足を預けた枝は、要らぬ力がかかってぼっきり折れた。まみちがねは蛇もろとも、生い茂った下草の中へと転げ落ちる。強く頭を打って、気を失った。最後に考えたのは、蛇の腹の中はどんな様子だろうということだった。

 やがて、がさがさと草の揺れる音で、まみちがねは目が覚めた。てっきり蛇に呑まれたものと思っていたので怪訝に思って辺りを見渡すと、草葉の陰にうずくまっている者がいる。人のようでもあれば、獣のようでもある。まだ夜の明けぬ暗い中にも分かる長い白髪が草の葉の陰に見え隠れしているから、人であろう。一体何者か、それより蛇はどこかへいってしまったのかと考えていると、その草むらの中から投げ出された大きな塊がまみちがねの頭にごつんと当たって地面に落ちた。暗がりに眼を凝らしてよく見れば、先程までまみちがねを呑もうとしていた大蛇の頭である。ぞっとして草むらを見ると、静まり返っている。白髪頭もどこにも見えない。まみちがねは尋ねた。

「そこには誰かいるか。おらぬなら答える者はあるまい。おれば答えよ。」

 草むらが、ガサリと揺れた。まみちがねはなおも尋ねる。

「そこにいるのは人か、獣か。人なら答えよ。獣なら見逃してくれ」

 草むらがガサリガサリと揺れて、声がした。

「人でも獣でもない」

 その声は、知っている誰かに似ていた。そこでまみちがねは重ねて尋ねた。

「そこにいるのは何者か。私の知っているものなら姿を現せ。知らぬ者なら名を名乗れ」

 草むらの中から声が答えた。

「知っているものじゃが、姿を現すわけにはゆかぬ。お前の知っているものじゃから、名乗ることもない。」

 そこでまみちがねは問うた。

「この世のものか」

 草むらの中から声が答える。

「あの世の者じゃが、この世におる」

 そこでまみちがねはぞっとした。思い当たるのはひとりしかない。慌てて下草から腰を上げ、夜の暗い道へと駆け出した。荷物はどこへいったかと、ちらと考えたが、もはやそんなことはどうでもいい。あの草むらから少しでも遠ざかろうと、まみちがねは星明りを頼りに夜の山道を駆け通した。

 やがて、夜が白々と明け始めた。まみちがねは山道を抜けた。ほっとして道端に腰を下ろすと、背中の荷物もどさりと落ちた。はて、荷物は置いてきたはずだがと背中を見ると、それはきちんとそこにあるようだった。しかし、彼自身が背負っているわけではない。どうやら、何者かが背中にしがみつき、それが荷物を背負っているらしい。

 それに気づいたとき、背中のそれが耳元で囁いた。

「世話の焼ける息子じゃのう」

 逃げようとして立ち上がると、背中がずっしりと重かった。若いまみちがねの腰は、老人のように曲がってしまった。

 その日の昼には、まみちがねはそのまま母親を背負って、王のお膝もとの城下街に入っていた。城下街は城の一部であり、長く高い白壁と堅固な門によって外部と隔てられていた。ここへ入るには、門番の許しを得なければならない。裾の長い藍色の服に、羽飾りのついたノッポの鍔広帽子をかぶって、朱色の房のついた槍を持った門番である。彼らは、怪しいものは絶対に通さない、意志強固で、屈強な男たちとして知られていた。だが、その門番たちにさえも、腰の曲がったまみちがねが見とがめられることはなかった。ましてや、背中の母親に気付いてもらえるはずなどない。まみちがねは大きな荷物と死んだ母親を背負いながら、城下町の人混みの中を歩かなければならなった。母親は背中にしがみついているので、まみちがねが首を捻っても白髪頭しか見えない。その母親を背負った姿が道行く人からどう見えるかと思うと気が気でならなかった。

 さて、店に入って遅い昼飯を食べようとしたまみちがねは、流石に死んだ母親を背負ってはまずかろうと考えた。そこで母親に頼んでみた。

「おれは飯を食いたい。死人を背負うては店に入れぬゆえ、どこぞへ降ろさせてはくれぬか」

 母親は答えた。

「わしはお前の行く末が案じられるゆえ、冥土にも行けずこうしてついてきたのじゃ。降りることはできぬわい」

 まみちがねは困ってせがんだ。

「死人を背負うて、どこで飯を食えばよいのか」

 母親はなんでもないという風に答えた。

「わしを背負うたままでよい。わしが見えるのはお前だけじゃ」

 言われるままに昼飯を食いに入ると、なるほど誰一人として咎める者はない。そこで椅子に座って一番安いソバを頼んだ。

「一杯」

 背中で声が聞こえる。

「二杯じゃ」

 店の者が怪訝な顔をしたので、二杯頼んだ。出されたソバは、母も食おうとする。まみちがねはまず自分が食い、続いて自分が食うふりをして、かわりばんこに箸を背中へと運ばなければならなかった。

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