1.グラナートの卵
①
イニーツィオの王都「ポルティエーレ」を守るように囲う山岳の中にぽつりと一軒の家が建っていた。そこには人が住んでいるようで家の傍の湖には桟橋がかけられていた。さらには家の後ろには畑があり、色とりどりの野菜や果物が実っている。ただ、その家と湖の周りには人の侵入を邪魔するかのように背の高い草が茂っていた。
空が白んでくると、家から一人の青年が出てきた。東の国の衣装のような服を上着として纏い、下は動きやすそうなボンバチャを履いている。髪は短く刈り上げとはいかないまでも襟足の髪もそれなりに短い。少しの風でもふわりと揺れる髪は触ると柔らかいだろう。そして、彼の特徴として一番に上げたいのは宝石のように綺麗な水色の瞳だろうか。ただ、表情が殆ど見られないため、どこか冷たい印象を受ける。
家から出た青年はまっすぐ家傍にある井戸に向かい、水を汲み上げる。ただ、その日だけは井戸に桶が落ちたときコツンとものにあたる音が彼の耳に届いた。普段は気にすることがないのかもしれないが、そっと井戸の中を覗き込む。通常の人ならば、暗くて見えないだろう井戸の底。だが、青年の目はぷかぷかと浮く何かを見つける。
「……石、は浮くはずないですね」
うまく循環するとはいえ、異物が入ったままの水はあまり好ましいものじゃないと判断した青年は紐で巧みに桶を操り上手にそれを引き上げた。そして、不愉快そうに眉を顰める。引き上げる時にも感じたが、結構な重さのそれは触れるとほんのり温かく、生きていることを感じさせる。
「デリットに持っていきましょう」
青年はそれを片手で抱え、再度水を汲む。そして、家の家主にそれを報告するため、家へと入っていった。
家の中は外からは想像できないほど高く広いものだった。ただ、部屋の区切りはないらしく、家の真ん中に本が置いてあったり、窪みの中には本が収納されている木が存在した。その木の周りにはぐるりと螺旋スロープがあり、入り口とは別の所に繋がっていた。不思議なものがあり、目を引くものの、一番驚かされるのはその家の中を占める本の数々である。入り口の上もそうだが、壁には天井までびっしりと本が詰められており、何冊かは床に転がされていた。そんな壁と一体になった本棚には食器棚や棚も組み込まれており、青年は汲んできた水をそこに置く。そして、木の傍にある家主のベッドに近づいた。
「デリット、朝ですよ」
頭まですっぽりと布団をかぶった家主であるデリットに声をかけるともぞもぞと動く。青年は布団を引っぺがすこともせず、井戸で拾ったものを撫でつつ、デリットが出てくるのを待つ。そして、出てきたのは幼い顔立ちの少女。そんなデリットは布団を押しのけ、ぺたんとベッドの上に座る。その容姿は不思議な雰囲気を纏っていた。漆黒を思わせる髪はフェイスライン以外短く切りそろえられ、ベビーフェイスというべきか、瞳は大きく、口は小さい。ただ、その瞳は何を映しているのか黒い。そして、シュミューズは寝相のためがずれ、髪とは打って変わって白い肩を露出させていた。
「肩が出ていますよ」
「ん」
ぼーっとするデリットのシュミューズを青年は整えれば、こくりと頷く。そして、だんだんと意識がはっきりしてきたのか、指を鳴らすとデリットは黒を基調とした服に変わった。とはいえ、ベッドに座ったままであるが。だが、服を着替えたこともあり、デリットはしっかりと青年を見、青年の腕の中にあるものに気づいた。
「セラータ、それは?」
「井戸の中にありました。多少、冷えてしまってるため、危ういかもしれませんが」
「……井戸は確か、デジデーリョの山脈から地下水道を使って水を引いていなかった?」
「えぇ、デリットの魔法で引いてあります。おそらく、あちらから流れてきたのでしょう」
青年――セラータはデリットと話している間にも拾ったものを摩擦熱で温めていた。デリットはそれを一瞥し、手を挙げるとバサバサと何かが飛んでくる音が家に響く。そして、デリットの手に止まったのは先ほどまで、木の上にあった本だった。デリットはその本を捲り、水道が通るところが記されたページを開いた。
「確か、この水道が通るあたりにグラナートの巣が合ったはず」
「とすると、これはグラナートの卵ですか」
「きっとそう。グラナートたちが水道に卵を落とすようなミスはしないだろうから、人の手がどこかで加わったかもしれない」
「例の如く、密猟ですか」
「おそらくは」
何故、彼女が宝玉龍の現在地まで詳しく知っているかは謎であったが、デリットは本を閉じると宙へと放り投げた。本はデリットのもとに飛んできたようにバサバサと羽ばたき、宙を舞う。その本につられてか、他の本たちも宙を飛び始めた。
「それにしても、その卵、どうしようか」
「とりあえず、温めてあげる必要はあります。ただ、温めるとしても、暖炉くらいしか」
「うん、焼き卵になっちゃうから、やめてあげて。せめて、僕の布団で包んであげるとかそういうことから始めよう」
「デリットの布団が汚れるから駄目です」
冷たい地下水道を通ってきてますからという優しいことを言いつつも、視線や言葉から暖炉という言葉を吐き出す。勿論、デリットが暖炉の上で温めたらいいというはずもなく、自分の布団を案に出した。ただ、それに関して、セラータは即答するわけだが。
「僕が触れてしまうと、生まれてしまいそうだし」
「何事もなく、母親のもとに返したいものですね」
「それはそうだ。きっと、心配している」
セラータはデリットの布団は使えないと自分の上着で卵を包みながら、そう呟けば、こくりとデリット頷いた。デリットはセラータが包んだ隙間に燃えるように発光する石を差し込んだ。
「少しでも温かくなるように」
「デリット、あまり宝石を生み出さないでください。いくら、貴女でも疲れるでしょう」
「大丈夫。少しでも、この子のためになればいい」
「……しょうがないですね。とりあえず、食事にしましょう」
「ありがとう」
布の上から触れることは大丈夫なのか卵を抱えたデリットが礼を告げれば、当然のことですとセラータは告げる。調理場のない部屋の中でセラータが聞き取れない言葉を吐き出せば、机の上には豪華な食事が並んでいた。デリットがその机に近づけば、セラータが椅子を引き、座るように促す。デリットが座れば、セラータは正面の席に腰を掛けた。
「いただきます」
「デリット、卵は私が預かります」
「……もう少し持っていたい」
「だめです。何かの拍子に触れてしまっても困るでしょう」
「わかった」
セラータの言葉に溜息を吐いたデリットは大人しく、布の塊をセラータに渡した。セラータはデリットが食事している間、それを擦っていた。
「無事に生まれてくれるといいけど」
「グラナートは、木々とか平気でなぎ倒しますし、軟弱ではないでしょう。まぁ、猪突猛進型の馬鹿ですけど」
「……僕は君のこと、どこで育て間違えたかな」
「私、変なことでもいいました?」
いや、そういうわけじゃないのだけどと言葉を濁すデリットに意味が分からないらしいセラータは首をかしげていた。明らかに年齢の違う二人だが、話の筋からセラータよりもデリットの方が年上であり、デリットにより育てられたことが分かる。ただ、一見してみただけではその様なことわかるはずもなく、どちらかといえば、セラータの方が年上に見える。
「とりあえず、今日は街に行って、情報を少しでも集めよう。グラナートがどうなってるかとかわかると尚いいけど。そこは難しいだろうから、隣国のことが分かればいいよ」
「そうですね。でも、これはどうします?」
「置いていくのも不安だが、持っていくのも不安だね」
食事をしながら、うーんと考えるデリット。ふと、机の上にあった蓋付きのエッグスタンドが目に入る。ジッとそれを眺めたかと思うとうんと一人頷いた。
そして、デリットが手を叩くと急激に卵が縮んだ。急にそんなことをするものだから、少し卵を落としてしまいそうになるのも仕方ない。上着からころりと転がった卵はセラータの手のひらに綺麗に収まっていた。
「そのくらいになったら持ち運びやすいでしょ」
「デリット、急にはやめてください。危うく落としてしまうところでした」
「それは悪かったね。とりあえず、このエッグペンダントに入れておけば、大丈夫」
同時に黒を基調とし、赤で模様が描かれている卵が入れられるペンダントを作っていた。その中に卵を入れてもらい、閉じれば、デリットが触っても生まれる兆しは見られなかった。
「中には
「ところで、それ、デリットがつけるんですか」
「うん、だめ?」
「……いえ、そんなことありませんよ。それより、つける前に食事を済ませてしまってください」
「ん」
デリットは残った食事を小さな口にかきこむ。その間にセラータは簡単に落ちたりしないかどうかを確認していた。蓋を開けたりなどし、細かなところまで見ていく。宝玉龍の保護に力を入れてるからといって、その宝玉龍が突然姿を現してしまったら、目を引くのは当たり前である。王都であっても、あまり人と触れないように生活をしてきたこの二人にとって、人の目を引くというのは決していいものではなかった。
「流石、デリットですね。落ちることとかなさそうで何よりです」
「そう」
セラータの感想に返事をしたデリットは手を合わせ、食事を終えた。そして、指を鳴らせば、汚れた食器たちは綺麗になり、浮きあがった汚れはダストボックスへと入った。食器は食器棚へと綺麗に収納される。
「デリットがしなくても私がしますのに」
「いいよ。どうせ、食事するのは僕ぐらいだし。それにセラータはいろいろやってくれるし、このぐらいでもやらないと僕の腕が鈍ってしまうよ」
このぐらいはさせてというデリットにセラータがそれ以上言えることなどなかった。それから、デリットはガンドゥーラという衣装に着替える。紺色の衣に同じ色の布を頭と首に巻くという姿は殆ど顔を見せないようなものだった。
「よし、行こうか」
「デリット、卵を忘れてます」
「あぁ、そうだった。ありがとう」
「いえ」
デリットはセラータから卵を受け取ると首にかけ、服の中へとしまった。そして、必要なものなのだろう、デリットは書籍の木に立てかけていた杖を手に取る。その杖の先端には青い球が付いており、その中には何やらぐるぐると黒いものが回っていた。ただ、それは生きているのか一定な動きをするのではなく、時にはぐにゃりと線を歪ませたりしていた。とはいえ、デリットの持ち物ということもあり、とうの本人は気にした様子もなく、言葉を紡ぎながら、その杖で床に円を描き、何かを書き込んでいく。描き終えれば、二人はその円に入る。
「ボルティエーレへ」
デリットがその言葉を紡いだ瞬間、円は輝きを増し、二人を包み込んだ。柔らかなその光が引くころには家の中からデリットとセラータの姿はなく、バサバサと本たちが飛びまわるだけ。
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