菜穂香


 重力などなんのその。

 フランジェルカに変身をした菜穂香は、鳥のように軽々と空を飛んでいく。


――手を取り合う響歌と一緒に。


 体が軽くて、気持ちよかった。

 人間の姿は、菜穂香にとって、何十キロもの鉄球のついた鎖を引きずっている囚人のようなものだ。暗闇の牢獄に長年閉じこめられて、久しぶりに太陽の光をあびたかのような開放感があった。

 魔法少女――もう少女という年でもないけど――が本来の自分であり、人間の姿が変身したものという逆転現象が起きているのを実感させられた。

 限界を超えた命がけの戦いを繰り返してきた影響だ。

 悔いはなかった。

 それによって、あたしたちの世界は救われたのだから。

 変身――元の姿に戻ったのが正しいけど、あえてそういいたい――したのは十年ぶりだ。澄佳はよちよち歩きの赤ん坊で、鏡明は生意気で文句を言いながらもそつなく家事をこなし、妹の面倒を見てくれるマセガキでしかなかった。


――懐かしかった。


 あのころの菜穂香は、なにも知らない、ごく普通の少女だった。

 夢はオリンピック金メダルだと陸上の短、中距離に張り切り、赤点スレスレの勉強レベルでテストのたびにひぃひぃ言って、年上の男性――山崎先輩――にほのかな恋心を持つだけの……。


――なにも知らなかった少女。


 平和をエンジョイしていた。

 魔法少女になったばかりの時は、響歌という親友ができたし、変身するのはかっこいいし、自分の力で世界を守れるんだから最高じゃん、と浮かれていた。

 けれど最悪な事件――お父さんとお母さんが殺された日――から、すべてが一変してしまった。


「ねぇ、菜穂香。男の子がいい? 女の子がいい? 私はどっちでもいいかな。私と菜穂香で一人ずつ産むのもいいかもしれないわね。あ、でも私ね、子供は三人ほしいかな。二人、がんばっちゃっていい?」

「あのねぇ」


 こんな時でも浮かれ気分の相棒にずっこけたくなる。頭はものすごくいいんだけど、世間ズレした天然っぷりは、出逢った時から変わっていない。

 なんでこんなことになったんだか。

 それもこれもあの最悪な事件のせいだ。

 でも、あれがなかったとしても、あたしたちは、こんな関係になっていたのかもしれない。


――これで両思いだよ。


 菜穂香と響歌が初めてキス。

 それは地獄のなかの天国。最悪な状況での、菜穂香ができた――ただ一つの希望だった。

 ガディスの刺客――名を出すのも嫌になるあのゲス野郎は――人の心をズタズタにするのが得意な奴だった。幻惑を見せる能力を利用し、卑劣な手を使って、菜穂香たちを精神的に追いつめていった。

 菜穂香と響歌の信頼関係がなければ耐えられなかった。

 けれど、響歌は菜穂香のことを、友情ではなく、それ以上の、恋の感情を持っていた。その気持ちがいけないことだと、隠してきて、菜穂香の恋愛を応援していた。

 あいつは、その恋心を利用した。

 じわじわと響歌の心をむしばんでいき、精神を崩壊させるべく、菜穂香の前で、自分にどんな想いを抱いていて、どんな妄想をしてきたか、幻惑の術によって丸裸にしていったのだ。

 響歌は絶望に呑まれようとしていた。

 だからキスをした。

 片思いじゃなく、両思いになるために。

 響歌を救うためじゃない。思春期突入したばかりで、恋とはどんなものなのか分からず、戸惑ってばかりの菜穂香だったけど、響歌がこんなにもあたしのことを好きなんだと、嬉しかった。

 だから、その気持ちをキスで答えた。

 まあ、あのときに見た響歌の妄想は凄すぎて……ちょっとというか、かなり引いたけど。

 自分も響歌のことが好きであることに感謝した。

 響歌がいるから菜穂香は戦える。

 菜穂香がいるから響歌は戦うことができる。

 そう信じている。

 握る手を強めた。菜穂香の想いが伝わったのか、響歌も手を強めてくれる。

 不思議だった。

 こうやって響歌と手をつないでいると力が沸いてくる。

 勇気をくれる。

 どんな困難でもへっちゃらで、絶望から立ち上がれる。

 性格は正反対で、価値観は違っているけど、想いはいつもひとつ。

 あたしたちはふたりで一つ。

 だからこそ、今日まで生き残ってこれたんだ。

 響歌のほうをみると、同じことを考えていたと言う風に、にっこりと微笑んでいる。

 ほっそりとした端正な顔立ちは、少女時代のあどけなさが残っている。二十歳でも通用するほど若々しい。

 右頬のところにある、πを横にしたようなマーク――精霊がいうには、魔法少女の属性を現したものらしい――がファッションのように良く似合っている。

 ずるいと思った。

 この年で魔法少女なんてもの凄く恥ずかしいと嫌がっていたけど、決してそんなことはない。もの凄く似合っている。「姉貴、年考えろ」とバカにした鏡明も――思い出すだけでもムカムカする――響歌の魔法少女を見たら、


「とても似合っています。俺と結婚してください」


 とデレっとしそうだ。とはいえ、鏡明は昔っから、


「あーあ、響歌さんが姉ちゃんだったらなあ」「姉ちゃんと違って、響歌さんは綺麗だなあ」「響歌さんを俺の嫁にする!」


 って、響歌にデレデレしていたし。

 つーか、十年たった今でもそういう所は変わっていなかった。

 鏡明。

 三年ぶりに再会した実の弟。

 いつも菜穂香の後ろにいて、ブーブー文句垂れていた生意気なガキだけど、曲がったことが大嫌いで、正義感は人一番強かった。本人は気づいてなかったが、菜穂香の精神的な支えだ。

 極道の道を進んだこと以外は、昔のままだ。なんも変わってない。鏡明と話していて、懐かしさのあまり、泣きそうになったことが何度かある。波長が同じで、あたしたちは姉弟であると実感させられた。でも、どんな理由があったかは知らないけど、ヤクザになったのは許さない。

 魔法少女の仲間に、ヤクザの娘がいたので、そういう世界に対して抵抗があるわけではないけど、家族がなるのはそれと話が別だ。勘当した自分の判断は間違ってないし、切った縁を戻すつもりはなかった。

 鏡明は真っ当な人間でいて欲しかった。

 社会的に問題のない仕事について、好きな人と結婚をして、子供ができて、ごく普通を絵に描いたような、幸せな家庭を築いてほしかった。

 それもかなわぬ夢。

 姉の菜穂香のしつけが悪かったのか、見事に道を踏み外してしまった。

 最後の希望である澄佳も……。

 

――死んでしまった。


 娘同然の最愛の妹。守ることができなかった。

 けれど、生き返って、ゾンビとしてピンピンとしている。色々と調べてみたけど、肌の色が青黒っぽくなり、ちょっと体重が重くなったぐらいで――女の子にとって致命的だけど――普段の澄佳と変わりがなかった。

 本人は、あんまり気にしてない様子なので、悲しむことも、怒ることもできなくて複雑な気分。

 菜穂香が魔法少女で、弟がヤクザで、妹がゾンビ。

 どんな家族よいったい。


「普通の恋愛してほしかったなあ」


 澄佳を巻き込みたくなかった。

 なにも知らないで欲しかった。

 なのに、最悪の形で澄佳の人生は壊れてしまった。菜穂香にとっての大きな後悔。

 その感情をどこにぶつけたらいいのやら。


「澄佳?」


 さすが響歌。

 独り言なのに、菜穂香がどんな意味で言ったのか理解している。


「影ながら、樋村との恋の応援してたし」


 樋村陽介ひむら ようすけ。一学年上のサッカー部のキャプテン。ルックスがよく、爽やかで誠実な人柄から、男女関係なく人気があるし、先生たちからの評判もいい。

 響歌を通して、樋村のことが好きなのを聞いているし、最近いい感じになってきているので、告白しようか迷っていることも知っている。

 中学時代に菜穂香が憧れていた男性と似たタイプなので、血は争えんと思ったものだ。そういや鏡明にとって、響歌がそういう憧れの先輩タイプなんだよね。

 赤沢家姉弟の異性の好みはみな同じであるようだ。


「できると思うよ。ゾンビであろうと、澄佳はとっても可愛いもの」

「その相手が、ガディスの娘になるんじゃないかと、あたしは不安なのよ」

 小麦は、ガチで澄佳にラブだった。

 澄佳のほうは、樋村という好きな男がいるのだし、友達としての好きでしかないのだろう。

 だから大丈夫……とは言い切れない。


――これで両思いだよ。


 似たような状況に立って、同性の女性を選んでしまい、気がつけばぞっこん、今や響歌なしの生活なんてありえなくなっている、赤沢菜穂香という姉がいるんだし。

 菜穂香の大きな溜息に、響歌はクスっと笑う。


「大丈夫よ。美桜は、澄佳を大切にするわ」

「いやいや、あたしが言ってるのは!」


 違うと言い返そうとしたが、温厚な響歌の顔が引き締まった。


「いくわよ」

「え? あ、うん」


 目的地に着いたようだ。

 広い十字路の周りを、自衛隊や警察官が防弾用の大きな盾でバリケートを作って、ゾンビの犬たちを取り囲んでいる。犬たちは、先に行くことも、重装備の人間を食べることもできず、その周りをうろうろとしている。


「攻撃します。危ないですから、盾をしっかりと構えといてください」


 響歌が、魔法力を使って三田村さんにテレパシーを送った。


「菜穂香」


 目線が合った。


「うん」


 頷いた。つながった手が熱くなった。拳の中が煌煌と輝いていった。優しい気持ちになれる光だ。

 こうやって、つなぎあうことでお互いの力を何倍、何十倍、何百倍と大きくすることができる。

 ガディス、破滅の種との戦いのとき、なにがあっても手を放さなかった。お互いの手と手を取り合うことで、勇気と希望を失うことがなく、生き残ることができた。

 そう、あたしたちは勝利したんじゃない。


――生き延びたんだ。


 拳を高々とあげた。大きな光。太陽がもう一つ出来上がったかのようだ。犬たちがいる中心部に狙いを定め、菜穂香と響歌は一気に下降した。


「ホーリーゲール!」


 昔に考えた必殺技名を叫びながら。

 拳が地面を貫いた。

 ズン!とアスファルトの地面が粉々になり、大きな窪みが出来上がる。光が放出されると同時に爆風が起こった。音はない。静かな輝きに、心地よい風。

 加減したつもりだったが、それでも予想以上の威力があった。力が強すぎて、コントロールしきれなくなっているのを感じた。

 犬のゾンビたちが、パタパタと倒れていき、天に召されるように浄化されていった。周囲の人たちも光を浴びるけど、回復魔法だから傷が治るぐらいの影響だ。

 光が消えて、静寂が残った。

 ゾンビたちを取り囲んでいた人たちの、あっけとした顔が見えた。

 ゾンビが一匹残っていた。体の半分を失っていて、前足をもがいている。

 響歌が手をかざした。

 パン!

 残った一匹も姿が消えた。

 それが合図のように、辺りはざわめいた。


「なんだあれは?」

「実在したのか?」

「なんで今まで忘れていたんだ」


 魔法少女を知らない人、

 噂程度に聞いていた人、

 記憶を消されていた人、

 反応はさまざまだった。

 菜穂香たちを見たことで、消された記憶を取り戻しつつあるようだ。

 涙ぐんだり、懐かしんだり、祈ったり、敬礼する人もいる。

 魔法少女と関わることで、この国を守る仕事に就いた人達が多いのだろうか。

 知らなかった人よりも多いぐらいだ。

 そのものたちは皆、二人の魔法少女に敬意を払っていた。

 人間離れした力を目の当たりにしたのだ。自分たちを見て恐れると思っただけに、予想外の反応に驚かされる。


「エリーゼ様がおっしゃっていた。記憶を消すことができても、感情は消すことができないって」


 鏡明もそうなのだろうか。

 あの時の感情が支配していることで、人生を大きく変えてしまったのだろうか。

 記憶を消したのは間違いだった?

 でも、あの時は、それ以外に方法がなかった。


「ご苦労様でした」


 三田村が、手を叩きながら、菜穂香たちの元にくる。変身させたくなったのだろう。十年ぶりの魔法少女の姿に、懐かしむと同時に、申し訳なさそうにしていた。


「二人とも、お美しくなられましたな」

「おせじはいいわ」


 変わらぬ笑みから、おせじじゃないと伝えている。


「他には? 新たなゾンビは現れてない?」

「それはありませんが」三田村はスマイルを消した。「インターネット上に、犯人らしき人物からの犯行声明の動画がアップロードされています。検証中ですが、愉快犯という感じはしません。見てみますか?」


 聞かれるまでもなかった。

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