35・菜穂香との赤ちゃんほしくない?



「へ? 響歌さん、いまなんて言いました?」

「嫌です」

「は?」


 きょとんとしている。


「私は車で後から行くわ。響歌は先に倒しておいて」

「変身して空飛んでいったほうが早いじゃない。それに、回復魔法は、響歌しか使えないんだよ。空から一気にパンっ!てやっつけたほうが早いっしょ」

「私は、菜穂香のように恥知らずじゃないから、この年で魔法少女なんかになれません」

「いやいやいや、んなこといっている場合じゃないでしょっ!」

「大丈夫。菜穂香だけで倒せるわ」

「でも、だって、響歌と一緒じゃなきゃやだよっ!」

「三十近い年で、あの格好になるなんて、とてもじゃないけどできないわ」

「まだ二十代じゃん! 近くもないよ、三年あんだし! 若いってばっ! 似合うよっ! 響歌美人だから、どんな服を着ても輝いているし! あたし、いまの響歌の魔法少女、見てみたい!」

「私も、ひびねぇの魔法少女、みたい。とっても、美人なんやろなあ」

「光の国は封印されている。以前のように、みんなの記憶を消すことができないの。私たちの存在を世間に知られてしまうわ。そうなるとどうなるか分かってる?」

「えっと、いっぱいの人に見られちゃう?」

「その通り! ものすごく恥ずかしいことじゃない!」


 響歌さんの最大の敵は世間の目だった。


「あ、あたしだって見られるんだし、お互いさまだよっ! それに、恥ずかしくないし、響歌、ものすごく似合っていて、この美人は誰だって、世界中の話題になるよ!」

「菜穂香はいいのよ。菜穂香だもん」

「なんだよそれっ!」


 いくら説得しようが無駄のようだ。頑として変身したがらない。


「響歌」


 姉が諦めて、大きなため息をついたとき、美桜が声をかけた。


「何を言おうとも、私は変身しませんからね」

「菜穂香との赤ちゃんほしくない?」

「え?」

「方法、教えるわ」

「いくわよ菜穂香!」

「え? え? えええええっ!」


 腕を取ると、窓をあけて、ベランダから飛び降りた。

 姉の悲鳴とともに、地面に落ちていく。

 光があがった。

 変身したのだろう。

 落ちたところから、姉と響歌さんが手を取り合って空高く飛んでいった。

 見えなくなった。

 あっという間で、よく確認できなかったが、魔法少女姿の響歌さんは、青い髪を頭部に束ね、フリルスカートの白を強調したドレス姿だった。露出は姉よりも少ない。


「本当に可能なのか?」

「なにが?」

「響歌さんが姉の子を生むという、男の存在価値を失う魔法だ」


 ポンと、美桜は俺の肩に手をおいた。


「がんばりなさい」

「なにが?」


「血は同じでしょ。あなたが赤沢先生に変身して、子作りを励めばいいわ」

「すばらしい方法だが、行為の前に姉貴に殺されるわ」


 騙したということか。

 響歌さんを動かすには有効な手だが、後が怖そうだ。

 空の向こうが光った。一瞬だったが、天界から女神が舞い降りたような光の柱が見えた。


「倒したようね」


 青ずんだ空に戻ってから、美桜は言った。


「さっさとやっつけにいけば良かったな」

「響歌が指示を出して、犬のゾンビたちを盾で包囲させたからできたことよ。フランジェルカの力は絶大よ。無計画に攻撃したら、人間を巻き込んでいた可能性がある。彼女は準備ができるまで待っていたってわけ」

「元から変身する気だったんじゃないか」

「赤沢先生がね。響歌はそのつもりなかった」


 それを美桜が焚きつけたってわけか。


「問題は、ここまではイッヤーソンの思惑通りということよ」

「そうなのか?」

「あんな目立つ場所に犬のゾンビを襲わせたのよ。魔法少女さん来てくださいと、アピールしているようなものじゃない」


 美桜は、ベランダから外を見下ろした。


「ねらいは私たちなのかしら」


 マンション付近の道路。

 何人かの男が不器用な動きでうろうろしていた。ノーミソという声が聞こえる。人間じゃなくてゾンビだ。

 いつから徘徊していたのだろうか。姉貴と響歌さんを遠くにやった隙に、俺たちを襲おうとする魂胆なのか。

 被害が増えるから、ほったらかしにはできない。


「倒してくる。二人はここにいろ」


 玄関の傘立てに、数本の傘と一緒に入っている日本刀を取った。


「私たちも行くわ」

「危険だ。ここにいろ」

「バカね。空から襲ってきたらどうするつもり? あなたの後ろで守られていたほうが安全なのよ」


 確かにそうだ。

 外で戦っている間に、八階のマンションにいる澄佳が襲われたとしたら、助けに戻ろうにも時間がかかって、間に合わない。

 二人を守りながら戦ったほうが、安全とはいえないが、安心だ。


「ならば付いてこい。武器になるものはないか?」

「ヤクザという武器ならあるわ」

「俺は物じゃない」

「澄佳は、体がバラバラになろうと脳を破壊されない限り再生可能。私は逃げることにかけては得意だから心配いらない」

「たまには倒すという仕事をしてくれ」

「虫も殺せない可愛くて心優しい女の子に、無茶な注文しないで」

「よくいうぜ。なら、俺から離れるなよ」


 一階のエントランスホールにくる。セキュリティー完備された高価なマンションだ。オートロック式のガラス張りドアが厳重に閉まっていて、ゾンビは入れずにいる。


「何かあったら大声をかけろよ」


 美桜に、ホールで待機するよう命じた。

「ここで、あなたがやられる姿を見物しているわ」

「お兄ちゃん、がんばれー」

「ああ」


 皮肉のない澄佳の純粋なエールが嬉しかった。

 日本刀を手にし、自動ドアの前に立つ。開いた。何歩か歩いた。後ろのドアが閉まるのを確認してから、ゾンビのところへと静かに歩いていった。

 ゾンビは三人だった。

 舗装された道路を、うろうろと行き来している。

 相変わらず、足は遅い。ロボットのような、カクカクとした動きだ。

 周囲を確認すると、黒のセダンが一台止まっていた。中は無人。エンジンはかかってなかった。ほかに目につくものはない。犬のゾンビが隠れている様子もない。

 近づいても、大丈夫そうだ。

 慎重に歩いていった。

 5メートルほどの距離に来るが、俺に気付いた様子はない。思考を失っているのだろう、「のーみそ、のーみそ」とブツブツうなっているのみ。

 両手で日本刀を強く握る。狙いをさだめ、ゾンビの脳みそを斬ろうとした。

 そのときだった。


「ヤクザ! こいつらはゾンビじゃない! 人間よ!」


 美桜の叫びが聞えた。

 その途端、ゾンビが動いた。素早かった。俺の懐に飛び込んでくると、拳骨をボディーにぶつけてきた。

 よける暇はなかった。

 内蔵に衝撃をくらい、数センチ飛んだ。


「げほっ!」


 前屈みになり、唾液を吐き出す。何度もむせる。足がガクガクとした。

 ガクンと立てなくなり、膝が崩れる。

 その瞬間、何かが顔を襲い、視界を失った。

 真っ暗だ。なにも見えない。黒いビニールのようなものをかぶせられてしまった。

 引きはがせない。抵抗するも、絞殺するように首を絞められている。

 急に力が弱まった。背中を押され、体を倒される。地面にうずくまった俺を、数人がかりで蹴りつける。

 俺は自分の身を守るため、体を丸めた。


「ヤクザっ! 放しなさい! なんなのよあんたたちはっ!」

「お兄ちゃん!」


 澄佳と美桜の悲鳴がした。二人とも捕まったようだ。


「キサマ! 二人になにかしたらただじゃおかなっ!」

「うるせえっ!」


 澄佳たちを助けるべく、上体を起こそうとするも、頭に衝撃を食らい、俺は意識を失った。

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