9・いでよ、コテンパーン!


 ロビー内は、黒紫色の霧という、毒を連想させられる嫌な色で覆われていた。

 拳銃を両手で構え、五感を敏感に働かせて、音を立てずに進んでいく。

 段々と視野が広がってきた。

 細めていた目を大きくして、辺りを見回す。

 フロントカウンターに人がいた。カウンターの上に頭を倒し、長い髪を下におろしている。


「生きているか?」


 一応聞いてみた。

 反応はない。手で触れたら、噛みつかれる恐れがあったので、日本刀で顔を動かしてみる。

 三十代ほどの女。

 目と口を大きく開け、驚愕の表情のまま固まっていた。左側の頭蓋骨が割れている。脳がドロッと出てきた。

 死んでゾンビとなり、もう一度死んだ。そんな所だろう。


「のうみぞぅぅぅぅっ!」


 突然、獣の叫びが聞こえた。声がする方向に銃を向ける。

 待合い用のテーブルで、男と女が絡み合っていた。興奮しきった男の雄叫び。喘ぎ声を機械音にしたような女の悲鳴。

 

「のうみそぉぉぉぉぉ! のうみそぉぉぉぉぉーっ!」

「ああああああ、のうみそぉぉぉーーっ! あたしののうみそぉぉぉーーっ!」


 乳繰り合っているのではない。男のボロボロの歯には、女の腹から引っ張り出した内臓が引っかかっている。女は、男の腕を焼きトウモロコシのように食らいついている。

 互いの肉を食い合っているおぞましい光景だ。胃の中にあったおむすびをもどしそうになる。

 新鮮な肉の匂いを感知したようだ。二人が同時にこちらを見た。

 共に四十代ほど。人間であったときは、夫婦だったのかもしれない。


「のうみそだぁぁーーっ! のうみそだぁぁーーっ!」

「くわせてちょうだぁぁぁぁぁぁーーいっ!」


 互いの臓器が絡み合ったまま、襲いかかってくる。バランスが取れずに、すっころんで大理石の床に頭をぶつけた。


「たらふく食えよ」


 バン! バン!

 二人の脳みそに銃弾をプレゼントした。ピクリともしなくなったが、弾切れになるまで撃ち続ける。


「目指すは七階だったか?」


 弾倉を外し、実包を詰める。

 銃弾は、篠崎の屋敷からかっぱらってきた。45口径の弾は三十個ほど。ゾンビとの戦いで使ったのだろう。弾は至る所に落ちていた。

 おやっさんの形見となったニューナンブM60リボルバーもズボンに忍ばせているが、そっちは四発しかない。


「のうみそだぁぁぁぁーっ!」

「人間だぁ、脳みそがあるぞぅ、くわせろーーっ」

「ノーミソたべたいいいいい」


 銃声を聞きつけたのか、生きた人間のにおいをかいだからか、ロビー奥のレストランから、わらわらとゾンビがやってきた。

 ホテルマン、コック、宿泊客。サラリーマンの中年男性が多い。

 腐敗した体で、俺の脳みそを食うべく、ノロノロと歩いてくる。


「ちっ、いくら弾があっても足りないぜ」


 戦えばの話だ。ゾンビの動きは遅い。律儀に一人ずつ殺すよりも、逃げたほうが早いし、安全だ。


「ひっひっひ、そうはさせません」

「誰だ?」


 エレベーターの隣。

 ストッパーが付いて開けっ放しとなった非常用階段のドアから、腰のひん曲がった、杖をついた老人が歩いてくる。ゾンビよりも僅かに速いといった足の速度だった。


「人、という訳じゃなさそうだな」


 ゾンビたちの前に来ると、片方の手を横にかざした。それを合図に、ゾンビたちの動きが止まった。


「のうみそぉぉぉ」

「くわせろぉぉぉ」


 その場で、左右の肩を上げ下げした、ちぐはぐな踊りをする。


「赤沢くんの考えることは、手に取るように分かりますよ。逃がしはしません。屋敷で怖い目を見たのに、ここにも現れようとは。血は争えませんな」

「篠崎か?」

「かつては」

「イヤラシマンと言ったっけな」

「イッヤーソンです。良く名前を間違えられますが、そのように呼ばれたのは初めてです」

「人の体を操れるっつーのは本当らしいな。俺なら喜んで若い女を選ぶぞ。あんたが姫さまと呼んでいた少女なんか最高じゃないか。なんで身動きがろくにできない年寄りなんだ?」

「姫さまはピチピチの健康体ですからな。乗っ取るには、精神力を極限まで弱らせなければいけないのですよ」

「篠崎黒龍はどうだったんだ?」

「ガンで蝕まれておりました故、楽に入ることができました」

「そいつはラッキーだったな」


 あの篠崎はゾンビでなかったということか。


「ご老体は、ゾンビに近い位置におりますので、とても居心地が宜しゅうございますよ。死にかけは、私の好物であります」

「ろくに動けないだろ。楽に死なせてやるよ」


 発砲する。

 銃声と衝撃とともに、銃口から火を放った。

 年降りの顔に当たったはずだ。

 なのに、篠崎の時と同じく、相手はケロリとしている。


「化け物め」

「ひっひっひ、姫さまから色々と聞かれたようですね」


 上前歯が二本だけある口で笑った。


「姫さまはなにものだ?」

「姫様は姫様でございますよ。私のような貧しい身分ではお目に掛かることもできない、とても高貴なお方でございます」

「にしては、敵対してるじゃないか」

「意見の食い違いがございまして」

「会ってもいただろ」

「私ごときとお会いになるとは、大変光栄の至りであります」

「食えない奴だ」

「そうです、私は食えません。食いたいのは赤沢くんの方ですよ」

「上手いこといったつもりか」


 イッヤーソンの手が横に伸び、肩の位置まで上がった。合図すれば、ゾンビが一斉に襲ってくるのだろう。


「どうです、私の部下になりませんか? そうすればゾンビに食われなくて済みますよ」

「お断りだ」


 日本刀を構え、奴に目掛けて素早く突き打ちした。

 避けられた。

 続けざまにもう一刀。

 それも避けた。老体が嘘のような動きだ。


「のーみそだぁぁぁっ!」


 ゾンビの手が見えた。上体を反らし、それを斬る。

 腕が飛んだ。

 さらに斬る。

 首が飛んだ。

 周囲にいるゾンビたちがひるんだ。

 俺は体を後ろに回し、上体を下げると、イッヤーソンの懐を狙った。


「おっと」


 杖に当たり、刀を弾いた。

 イッヤーソンはその杖を振り、俺の右肩にぶつけた。


「くっ、杖は武器だったのかよ」


 肩がじんじんと痛む。スーツを脱げば、打撲傷が浮かび上がってきているだろう。だが、ゾンビに噛まれてないだけマシだ。


「形がなっておりませんな。殆ど力任せじゃないですか」

「今日まで実戦経験ゼロだからな。当然だ」

「初めてならば、思わぬ素材というべきでしょうな」

「初めてで歓迎するのは女だけだ」


 俺のセリフが気に入ったのか、大口あけて笑った。


「では、経験をさらに増やしてさしあげましょう」


 ゾンビが来るのかと身構える。


「赤沢くんも、ゾンビをやっつける作業に飽き飽きとなさっていることでしょうし、いい刺激をプレゼントしてさしあげます」

「なにをする気だ?」


 イッヤーソンは杖を持ち上げた。


「いでよ、コテンパーン!」


 杖のグリップが黒々と光った。

 輪っかが広がっていき、一体のゾンビの体の中へと入っていった。それに導かれるように、他のゾンビたちが、光を吸収したゾンビを中心にして次々と重なり合った。粘着剤に捕まったゴキブリのようにじたばた五体を動かしながら、もつれていき、ゾンビの肉塊ができあがっていく。

 丸い塊だったものに、足が生え、手が生え、胴体の半分近くはある巨大な顔ができあがった。

 何本かの毛が生えているだけの、でこぼことした頭、サッカーボールほどに大きい目、穴だけが開いている鼻、口はアゴが外れたように開きっぱなしだった。

 頭頂部が、ロビーの高さに到達した。

 頭突きで天井の壁を壊す。

 シャンデリアが落下し、コンクリートの破片がボロボロと落ちていく。上階にあった室内植物の植木鉢が大理石に叩きつけられ、割れていった。二階でうろついていたゾンビがその上に落ちてくる。

 そいつも、巨大化するゾンビに吸い込まれていった。

 二メートル以上ある大きな頭に、体が支えきれなくなった。

 ハンマーを振り下ろすように床へと落ちていく。大地震のように、地面が振動し、俺の体が軽く飛んだ。


「のぅみそぐぁあぜろぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 雄叫びをあげる。

 腐った肉のにおいが襲った。食った物を全て吐き出したくなる強烈な臭いだ。

 それで、ショックのあまり立ち尽くしていた俺は、現実に戻ることができた。


「なんだ、これ?」

 やっと発することができた言葉がそれだった。


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