2・なんでヤクザになんかなったのよバカ
姉を思ったのは第六感が働いたからだろうか。
事務所に向かう途中、携帯が振動した。組の兄弟だろうと発信者を確認せずに出てみたら、懐かしい声が聞こえてきた。
「あんた澄佳をどこやったわけ!」
三年ぶりに聞くおっかない女の怒鳴り声。懐かしさに、笑みがこぼれていく。
「姉貴、久しぶりだな。元気してたか?」
「うっさい、うちにはヤクザになった弟なんかいません、べーっ!」
相変わらずだ。
三年前どころか、昔から何も変わっていない。だが、懐かしんでもいられない。絶縁中の弟に電話をかけてきたんだ。なにか非常事態が起きたのだろう。
「澄佳がどうした?」
「どこやったのよ! 返しなさい!」
「話が見えない」
澄佳は、十歳離れた妹だ。
「澄佳は、三年前に会ったっきりだ」
「嘘つくな。あんたたち、仲良かったもんね! 頻繁に会っているのは知っているのよ!」
姉との縁は切れても、澄佳は俺を捨てなかった。内緒で、月に二回ほど連絡を取り合っている。「お姉ちゃんにはバレてない」と澄佳は自信満々に言っていたが、姉は気付いていながら、黙認していたのだろう。
「澄佳、いなくなったのか?」
笑い事じゃなさそうだ。
「しらばっくれないで!」
必死なのは分かるが、きゃんきゃん叫ぶから耳が痛くなってくる。
「本当に知らない。最後に会ったのは二週間前だ」
「メールは?」
「してない」
「だから、嘘つくな」
「本当だ。手紙ならやっている」
メールだと見られる可能性があるから、手紙でやりとりしていた。澄佳が中学生となり、寮生活をするようになっても、手紙の方が味わいがあるから、変えることはしなかった。妹との文通は俺の楽しみだ。お守りのように持ち歩いているし、ボロボロになるまで読んでいる。
「最後に来たのは?」
何日だったかと、空を見上げながら考える。
「五日前だったかな? 大したことは書かれてないぞ。前に会ったお礼があって、お姉貴や友達の美桜ちゃんのこととか、ああ、好きな男についても書かれてあったな」
「ふーん、そいつのこと話してたんだ」
澄佳の好きな男がいるのは、姉も知っているようだ。
「名は知らない。気になる男がいるから、告白しようか迷っている、ぐらいしか書かれてなかった。まさか、そいつと駆け落ちしたんじゃないだろうな?」
「それはないわ。樋村は今日学校に来ていたし」確認済みのようだ。「もしそうなら、とっくにぶっ殺してるわよ」
「そのときは俺にも協力させてくれ。澄佳は、いついなくなった?」
「昨日。あんた本当に、なにも知らないわけ?」
「俺のところにいるなら、真っ先に姉貴に連絡してるさ。心配させたくないからな」
「ヤクザの癖にお優しいことで」
「家族には優しいのさ」
「あんたなんか赤の他人よ」
「姉貴、愛してるぜ」
「死ね」
俺は笑った。
「それで、澄佳がいなくなったのは?」
「夕方5時ぐらい。私が、陸上部の活動を終えてから、黒魔術研究室に行ったときね。迎えにいったら、澄佳と小麦の姿がなかったの」
「小麦? 友達も一緒なのか?」
「そうよ、小麦美桜って子なんだけどね。部室に鞄を残したまま、どこにもいなくなっちゃったの」
「誘拐?」
「分からない。でも、澄佳は黙ってどっかに行く子じゃないし」
「小麦美桜ちゃんの方は?」
少し間があった。
「黙っていく子ね。担任だけど、あの子のことは良く分からないの。私に敵意剥き出しだし、いつも挑発してくるのよね。澄佳にはべったべたなくせに」
「彼女が連れて行ったという可能性はありそうだな」
それなら、見知らぬ男にさらわれたよりかはマシだ。
「なんのため?」
「俺が分かるかよ。美桜ちゃんについては、手紙でしか知らない。澄佳がいなくなったのだって、たった今知ったんだ」
「ヤクザのくせに役立たずね」
「ヤクザは探偵じゃないんでね」
バイバイと、電話を切ろうとしたので、俺は止めた。
「俺も手伝う。断ると言っても、手伝うからな。縁が切れようが、家族であるのは代わりない。俺だって、澄佳のことが心配だ」
電話口から声が聞こえなくなった。微かに息が聞こえる。切れたわけではなかった。
「どうした?」
「
姉が俺の名を呼んだのは久しぶりだ。
「どうした姉ちゃん?」
だから俺も、昔のように姉ちゃんと呼んだ。
「元気してた?」
「さっきまではな。今は澄佳のことが心配で、元気とはいえない。でも、なんとか生きているよ」
「……あたしを心配させないで」
「ごめん」
「なんでヤクザになんかなったのよバカ」
電話が切れた。バカと言ったときの姉貴は、泣き声だった。
「ごめん」
聞こえてない送話口に向けて、もう一度謝った。
――鏡明はあたしが守る!
再び、記憶のなかの姉貴が浮かび上がってくる。
十四歳。
澄佳と同じ年のころの姉だ。炎のように真っ赤な髪に、肌の露出の多い白と黒のドレスを着て、手にはナイフのような武器を握っていた。
姉が、髪を赤く染めて、派手なコスチュームを着て、凶器を振り回すという、気の狂ったことをしたことがあっただろうか? ないはずだ。なのに姉と連想すれば、いつもその光景が浮かんでくる。
――鏡明はあたしが守る!
真っ先に浮かぶのが、姉の顔ではなく背中だった。
それは俺が、姉の前でも横でもなく、いつも後ろにいて、守られた存在であったからだろう。
不思議なものだ。
いくら考えても、俺はなにから守られてたのかさっぱり分からない。
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