理性的なストーカー事件
半社会人
理性的なストーカー事件
深夜。
狭い街路を、一人の女が歩いている。冬はとっくに過ぎ去ったはずなのだが、まだ夜にはひんやりとした冷気が肌を襲う。
彼女は白い息を吐いた。
この辺りには、街灯もほとんどない。あるにしても、時折思い出したように顔を覗かせては、はかない光を投げかけるだけである。
暗闇の中にあって、言い知れぬ恐怖からか、自然と彼女の足も早まった。長い髪が歩調に合わせて揺れている。
しかし、彼女が家路を急ぐのには、他に確固とした理由があった。
人の気配をほとんど感じない、夜の道。それに沿った家々は、軒並み寝静まっているようだった。
彼女は立ち止まり、耳を澄ませた。
「…………」
途端に、恐れていたものが耳に飛び込んできて、再び速足になる。
彼女が耳にしたのは、彼女が立ち止まると同時に、「誰かが」、後方で歩みを止めた音だった。
――つけられている――
色々な考えが脳裏をよぎる。やはり気のせいではなかったのだ。駅から自分をつけている人間がいる。何者かは知らないが、つかずはなれず、彼女の様子を観察しているのだ。
寒さからくるのではない震えが、彼女の全身を駆け巡った。
歩幅がどんどん大きくなる。髪の毛の揺れも激しくなった。頬を風で切るのが感じられる。
その何者かは、まだつけてきているようだった。
次の瞬間、彼女は勢いよく走り出した。全身を使って、家に向かって一目散に駆け出す。
それは女性としてはあまりに無様なかっこうだったが、間近にせまっている危険に比べれば、醜態を晒すことなど、安いものだ。
それに、今彼女を「見ている」のは、その「危険」そのものしかいないのだから。
「はあ……はあ……」
どれくらい走っていただろうか。もはや寒ささえ感じられなくなってきた頃、目的地が見え始めた。愛しい家族が待つ、安住の地だ。
彼女は玄関の扉を開けると、勢いよくそれを閉めた。
その衝撃で、家族を起こしてしまいかねなかったが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
インターホンが鳴らされたりするのではないか。
あるいは窓を破って入ってこられるのでは。
玄関のノブを握りながら、そのような不安が彼女の頭を占めていたが、しかしいつまで経っても、何かが起こる様子はない。
どうやら、無事らしかった。
彼女はほっとして息をついた。体の力が抜け、へなへなとその場に座り込む。
髪がかなり乱れていた。最悪だ。就寝前とはいえ、もう一度整えてやらなくてはなるまい。いや、その前にお風呂に入らなくては。
恐怖から脱け出して、そんなことを考えながら、しかし思考は、やがてついさっきの出来事へと収束していった。
必死に逃げ惑う中で、彼女は一瞬だけ後ろを振り返っていた。自分を追う者の正体を、突き止めようとしたのだ。
それは、彼女が知った顔だった。
「なんでーー彼が」
彼女の心は、恐怖から、悲しみの海に沈んでいった。
♯1
「何が大学生活だ!!」
俺は心の中で強く息巻いた。
「大学なんて、しょせん義務教育を終えて、高校生活だえけでは飽き足らず、そのモラトリアムを極限まで謳歌しようとしたクズの集まるところじゃないか。そんな低レベルな人間達と、俺が楽しく交われるはずがない!!」
それが俺が大学生活一日目にして、導きだしてしまった最悪の結論だった。
「どう、楽しんでる?」
そんな俺のマイナスに振りきった思考は、他人の声によって中断された。
この新歓を主催した上級生の内の一人―羽山である。
酒に強い方なのか、もう何杯も飲んでいるはずなのに、けろりとしていた。
彼はまったく周囲に馴染めずにいた俺の方に、体を一つ分寄せ、軽く肩を叩いてきた。
「まあ、こんな感じで楽しくやっているサークルなんだけどさ。みんないいやつだし、おすすめだと思うんだけどな」
その口調は混じり気なく、純粋に青春を謳歌している人間のそれであった。
「……あ、その……」
「…………」
俺がもごもごとはっきりした返事をしないので、彼はまた立ち上がり、別の新入生の方に向かっていった。その顔には、苦笑が浮かんでいる。
そんな表情をされても、こっちもどう反応していいのやら分からない。
そもそも、初めの時点からおかしかった。
退屈な入学式の後、待ち構えていた上級生の波に、さっそく揉まれた俺。
まあ、そこまではいいとしよう。
だが、俺としては、はなからどこにも入部する気がないのである。人間関係を構築するのが恐ろしく下手だし、そもそも基本である人と話すということからしてなり立たないやつなのだ。
他人のペースに合わせて何かをするくらいなら、一人で過ごしている方がよっぽどいいという矜持も持ち合わせている。アニメやらゲームやら、一人でも出来ることはたくさんあるのだ。
なのに。
生来のコミ障を発揮して、いかなる質問にもはっきりとした返答を下さずにいたところ、気がついたら、こんな何をやっているのかもよく分からないサークルの新歓にまで参加してしまっていた。当然、何かを期待してその場にいるわけではないから、先輩方の話に、はなから興味もない。
必然、盛り下がる。
「…………」
俺はまだ残っていたタコのから揚げを箸でつまみながら、辺りを見回してみた。
大学近くの安い居酒屋にしては、収納スペースがいい。終始顔を伏せて黙々と食事をしていたから、今まで気がつかなかったが、これはかなりの大所帯である。
髪をおかしな色に染めている奴。自分のアピールに余念のないリア充。
二三人で固まって話しているものもいれば、さっきの先輩のように、各グループを周るものもいたり。
大きな固まりが出来ているところでは、新入生も交じって、何かのゲームをしている。
王様ゲームとかやっているのだろうか。
ゲームと言えばその程度の発想しか浮かばない自分が情けない。
……まあ、ともかく、コミ力が存分に試されそうな集まりである。
もちろん、全員が全員、そんな雰囲気についていけているわけではない。
主にテーブルの隅の方で食事をしていたり、スマートフォンをいじっているだけの人間もいる。
ノリについていける人間だげでは社会は成り立たないからね。仕方ないね。
と、あてもなくさまよっていた俺の視線が、一人の人物に釘付けになった。
新歓前の移動時に、俺の横になって、歩いていた男だった。
かなりの長髪で、前髪は目までかかっている。
彼は眉をしかめ、食事に手を付けることもせぬまま、読書にいそしんでいた。
「…………?」
なんだこいつ。
丁度俺の真向かいに当たる位置に、その男は腰かけていた。本にはカバーがつけられていて、何を読んでいるのかまでは分からない。
ぼっちの人間は他にもいるのだが、この男からは、そのどれとも違う、独特な空気を感じた。
明らかに異質な、畏怖すべき何か。
「よっ!!楽しんでるかい?」
俺がそうやって、前方の男を熱心に観察していると、また羽山が声をかけてきた。場を盛り上げようとしてくれているのは分かるのだが、誰ともからんでいない時点で、楽しんでいるかどうかくらいは察してほしい。
彼はにこやかな笑みを浮かべ、俺と会話をする為に、再び腰を下ろした。手近にあった刺身を、未使用だった割り箸でつかむと、いかにも上手そうに食べてみせる。
「……」
俺は特に何を言うわけではない。気まずい時間が流れる。周りが騒音で満たされているため、余計に悲痛だ。
「―――気になるかい?」
唐突に切り出された言葉に、すぐには反応できなかった。
やがて、それがどうやら俺に向けられているものらしいと分かり、声の方を見やる。
羽山は苦笑いともなんともつかないような表情をつくっていた。どこか悲しげな雰囲気を漂わせている。
今まで(少なくとも俺の前では)笑顔しか見せたことのなかった男であるだけに、いささか面食らった。しかし、こちらが口を開く前に、彼はしゃべりだす。
「彼のことを見ていたよね?」
そういって羽山が指で示したのは、俺の前方に鎮座する、例の男だった。
俺がまさにその通りといった表情を浮かべていたからだろう、羽山はふたたび苦笑した。
「彼は園崎っていうんだ。文学部の学生でね。一応、このサークルの一員だよ。」
羽山が、「一応」の部分を妙に強調したのが気にかかり、俺はそのことを尋ねようとした。
しかし、その声は、羽山とは別の人間によって、遮られてしまった。
今度は、もっと甲高い、ひどくやかましい声。
「園崎!!あなた、何で新歓に来てんのよ!!サークルは辞めたんじゃなかったの?」
その口調はあまりに辛辣で。
楽しげだった場の空気を変えるだけの効果をはらんでいた。
俺は嘆息した。これは面倒なことになりそうだ。
♯2
声の主は、園崎からはひどく離れた位置に座っていた女性だった。長い髪を後ろでひとくくりにしている。鼻筋が高く、目も細長で、いかにも気が強そうだ。容姿は整っている方だと思うが、俺ならあの手の女とはごいっしょしたくない。
出来るかどうかは別として。。
……その美人と言えなくもない甲高い声を発する女子の周りには、取り巻きであるかのように、何人か女子が固まって座っていた。みんなそこそこ美人なのだが、主人の顔をひきたてる召使いのように、化粧も、立ち振る舞いもどこか控えめだ。
彼女のさきほどの発言には、それでも召使い達も驚いたらしく、慌てて彼女を静止しようとしている。
だが、女王様は大分アルコールが回ってきていたらしい。普段どおりに理性が働かないのだろう。抑えてきたものが爆発する。
「あんたさあ、もう来ないでって、、あたし、言ったよね?後期の最後の集まりでさあ。なのに、何で、今この新歓に来ているわけ?え、まさか今期も活動するつもりなの?冗談でしょ。あんたの席なんて、用意していないんだけど」
「おめーの席ねぇから!!」と、高圧的に園崎に語りかける彼女。
誰も何も言わない。いや、言えない。今口を挟めば。怒れる女王の剣先が、こちらに向けられてしまう。
「彼女は前林さん。このサークルの代表を務めているんだ。」
羽山が耳元でこっそり教えてくれる。いや、そんな情報を教えるくらいなら、さっさと彼女を止めてくれた方がいいのに。
というか、お前が代表じゃなかったのか。
険悪な雰囲気の中、色々つっこみたいところはあったが、しかし真に驚くべきは、園崎の、前林に対する反応だった。
彼は、自分に向けられた悪意を、まるでまったく関係のないことであるかのようにスルーしていた。
いや、もしかしたら本当に、気づいていなかったのかもしれない。
調子よく園崎に文句を垂れていた前林だが、当の本人がまったく話を聞いていないことにやがて気付いてしまった。
これまでにないくらい強烈な口調で呼びかける。
「ちょっと!!園崎!!話を聞きなさいよ!!」
「…………」
その呼びかけに反応したのか、はたまた偶々本を丁度いいところまで読み終えたのか、園崎は本を鞄にしまいこむと、そのまま顔をあげた。周囲の視線を集めていることに気づき、ちょっとぎょっとした様子を見せる。どうやら本当に何が起こっているのか、分かっていなかったらしい。
彼は弱ったな、という風に頭を振ると、真向かいに座っている羽山に、説明を求めるような視線をよこした。
羽山はそれに、未だ立ち上がったままの前林を指差すことで答えた。
そして、それで全てが通じたらしい。
園崎は得心したような顔つきになった。それでいて、ひどく面倒くさそうに頭を掻いた。幾度となく繰り返してきた光景といった風情である。
「園崎!!」
前林が声を張り上げる。
園崎は落ち着いた目線を彼女に向けた。憂いを帯びたその表情を見て、初めて俺は、この男の容姿も、また中々悪い方ではないことに気がついた。
「……何ですか?」
信じられないほど滑らかな口調だった。
その態度に、前林の怒りが余計に煽られたらしい。苦々しげに言葉を投げる。
「なんであんたが、ここにいるのかって聞いているのよ!!」
「いちゃいけませんか?」
「ええ、当然じゃない!!だってあなたーー」口元を醜悪にゆがめる「もう部員じゃないもの」
サークル内の幾人かは、直接声には出さずとも、概ね彼女の言葉に同調しているようだった。うなずいたり、奇怪なものを見る目つきで、園崎を吟味している。
他の大勢は何もできず、ただ彼らを黙って見守るばかりだった。
俺含むコミ障くんたちの反応は言うまでもない。
だが、この時に至ってやっと、羽山の例の責任感が首をもたげたらしい。彼は立ち上がると、前林を制するような声をかけた。
「希、そんな言い方はないんじゃないか?」
「あら、何か文句があるの?」
「あるさ。園崎は俺達サークルの仲間だ。仲間に対して、その言いぐさはないだろう」
「仲間じゃないわ。だって、こいつはサークルを辞めてるもの」
そうよね?という目線を園崎に寄越す前林。
「それに」と彼女は嫌悪の情を声に含ませる。「こいつが私にしたことを考えれば、とても仲間だなんていってられないわね」
羽山はそう言われて、途端に顔を背けた。
場の空気が、いっそう重々しいものに変わる。
……園崎がこの女に何かした?
羽山の態度を見ると、そう根拠のない話でもないらしい……
誰かが立ち上がる音がした。続いて、落ち着いた声があたりに響く。
「確かに。もう私は正式な部員ではありませんからね。そう言われても仕方ありません。」
園崎だった。いつのまにか鞄を肩にかけ、帰り支度を済ませている。
「園崎……」
「悪いな、卓。俺はここで帰らせてもうらうよ」
似合わない穏やかな笑みを浮かべ、園崎は羽山に呼びかける。
対する羽山は、唇を悔しそうに噛みしめた。
「……色々、すまなかったな」
それは羽山に向けた言葉だったのか。
それとも、サークルのメンバー全員に向けたものだったのか。
園崎は人の間を縫うように進むと、慌てて駆けつけてきた店員に自分の分のレシートを差し出し、会計を終えた。
途中、一度だけ物憂げな目線をこちらによこしたが、それはむしろ、満足気なものに俺には見えた。
彼は店を出ていった。
立ち上がったままの二人。
気まずい沈黙が流れる。
しかし、「園崎」という異分子を排除した今となつては、その沈黙も長くつづくものではない。やがて、誰かが言った、「まあ、前林も卓も座れよ。新入生もいるんだしさ」の言葉を合図にして、また例の活気が取り戻されていった。
各自が思い思いの人と集い、場を盛り上げる。
女王様は、自分の気に入らないものを排除できて、ご満悦のようだった。取り巻きの女子達と、楽しげに話している。
「…………」
俺の気分はますます沈みつつあった。
といっても、俺のようなモブキャラが、露骨にその不機嫌さを表現するわけにもいかないだろう。
また、騒音に紛れた、無個性な一人に戻ることにしよう。
そう思った矢先。俺は、さっきまで大立ち回りを演じたばかりの男が、横に座っていることに思いあたった。
いつもの元気はどこへやら。羽山はすっかり沈んだ表情をして、考えごとにふけっていた。
その脳裏に浮かんでいるのは、口惜しさか、憎しみか
俺は嘆息する。ああ、やっぱり今日はついていないな。
大学生活一日目だというのに。
「……あの、前林さんと園崎さんの間に、何があったのか、聞かせてもらっても大丈夫ですか?」
気がつけば、俺はそう口にしていた。
♯3
俺の言葉が予想外だったのか、羽山はあっけにとられた表情を浮かべた。そして、どうやら俺が本気らしいことを見て取ると、今度は逡巡する様子を見せ始める。
「……うん、でもなあー。出来ればサークル内だけで治めておきたかったんだけど」
その視線は、俺ではなく前林の方に向けれられていた。
俺は柄でもないことを口にする。
「大丈夫ですよ。誰にも話したりしませんから。それに、どうせなら人に話しを聞いてもらった方が、気分的にも楽になると思いますけど」
「……楽にねえ」
まだ迷いを見せる羽山。だが、ここまでいけばもうひと押しだろう。
「俺もいきなりの新歓でこういう事態になるとは思っていなかったので。……できれば、教えていただきたいんですけど」
(この俺に不快な思いをさせた代償として)
俺の平穏な一日を奪った罰だ。それ相応のことはしてもらわなくては困る。
責任感の強いこの男は、その言葉に後を押されたらしい。静かにうなずくと、少し深呼吸してから、意を決したように口を開いた。
「もともとの発端はね……彼がー園崎が、希をストーキングしたことだったんだ」
♯4
周りはもうすっかり元のうるささを取り戻していた。そんな中、本来その喧噪の中心にいるべき人物が、俺のようなコミュ障を体現したような人間といっしょになって話していることに、なんだか奇妙なものを感じる。
ほんとに、何から何まで異例づくめの日だな、今日は。
「ストーカー?ですか?……」
俺は思わずそう呟いていた。
ストーカー。正しい定義はよく知らないが、それが対象に対する愛情から、またはそれが変質した憎悪等の感情から、ストーキング行為に走ってしまった人物と考えていれば、概ね間違いではないだろう。
ストーカーにも心理学的に考えれば色々種類があるんだろうが、まあ、一介の学部生には分かりようがない。
「そう、ストーカーだ」
羽山も重々しい口調で繰り返す。
俺は先ほど前林に淡々と対応していた園崎の姿を思い浮かべた。
確かにあの女は(性格に少々難があるとはいえ)魅力的な女性かもしれない。それは認めよう。まがりなりにもサークルの代表をつとめているのだから、それなりの人望もあるに違いない。
しかし俺が園崎という男から受けた印象は、そういった事物とは極力関わらないようにしている人間というものだった。それは別に性欲の有無云々といった話ではなく、単にそういった大胆な行動が出来ないタイプというか……どういう性欲を秘めているにせよ、それを爆発させるなら内に閉じた形を選ぶだろう。
簡単に言えば、犯罪含めたあらゆる行動が出来そうにない陰キャラということだ。
「このサークルだけどね、俺と園崎が立ち上げたものだったんだ」
物思いにふけっていた俺は、羽山の声で我に返った。彼はどこか昔を懐かしむように目を細め、コップの水を呷る。
「今はみんなで集まって駄弁るだけのサークルになっちゃってるけどね。もともとは、もっとー真面目な活動もしてんたんだよ」
「真面目な活動?」
「そうーもとは文芸サークルだったんだ、ここ」
そう語る羽山の口調は憂いを帯びていた。
「…文芸サークル?」
これは予想外だった。
ならもう少しそれらしい名前をつければいいのに。
園崎とこの男の間にも特に共通点などなさそうなので、彼らが友人ということだけでも十分意外ではあるが。
そもそも、このリア充から文学というイメージが湧いてこない。
それにしても。口ぶりといい顔つきといい、サークル活動を全身で楽しんでいるように見えていたこの男だが、実際は不満が溜まっていたのだろうか。
「…意外だったかい?」
まるで俺の心を見透かしているかのように羽山が言う。
俺はあわてて言葉を接いだ。
「いや、そんなことは…」
「僕も本くらいは読むよ。一応大学生だからね」
彼は別に怒ってはいないようだった。むしろいつものことだとでもいうように、割り切った顔をしている。
「大学に入ってから、なにか新しいことを始めようと思ってね。本が好きだったから、園崎と組んで、一緒にこのサークルを立ち上げたんだ。」
羽山の沈んでいた気持ちも、過去のことを話すうちにやらわいできたらしい。目じりを下げ、天井を見上げながら話すその姿は、こちらに伝わってくるほどの楽しげな雰囲気を発している。
彼は笑顔で言った。
「面白かった。予算を徴収してーそれも部費だけじゃたりないからバイトをしたりしてさ。印刷所に依頼して刷ってもらうんだけど、テキスト表示が上手くいかなかったり。そうやって四苦八苦しながら本を作り上げてーーー。初めて感想をもらった時は、本当にうれしかった。」
青春。
それは人によって違う形を取るもので。
ならこの男にとっての青春は、現在よりもむしろ、過去の中にあったのかもしれない。
「どんな本を?」
「人によってバラバラかな。俺は純文学というか、まあ気取ったようなものしか書けないんだけど。園崎はーそうだなあーミステリとか書いてたね]
「ミステリ?」
思わず反応してしまった。
羽山はにっこりとほほ笑む。
「ミステリ好きなの?」
「え、ええ、まあ。――あの、どんなの書いてたんですか?」
「うーん俺はあんまりミステリ読まないから何とも言えないけど。チェスタトンが好きとか言ってたから、まあ、それと似たような感じの作品だったと思うよ」
チェスタトン。古典ミステリを読み始めたなら避けては通れない、奇想と逆説の魔術師だ。
それからは、しばらく本筋を離れて読書談義に花を咲かしてしまった。意外だ。俺がこんな風に人と話せるとは。それもこんな全くタイプの違う人間と…
しかしいつまでもこんな風に話しているわけにもいかない。
「―――なら、何がきっかけで、今のようなサークルに変わってしまったんですか?」
ひと通り話終わった後、俺は何気なく質問する。
とたんに、羽山の表情が再び曇った。そして、意識しているのかそれとも無意識かー前林の方に視線を向ける。
彼女はもうさっきのことは忘れているのか、調子よくべらべらと自慢話をしていた。
「それはーーー」
羽山は口を開く。が、決心がゆらいだのか、言い淀んでしまった。
再び沈黙。
しかし今度は長く続かなかった。
「僕が教えてあげるよ。」
静寂を破ったのは、俺の左隣に座っていた人物だった。髪は短めで、茶色に軽く染めている。さっきまで別のグループで会話に興じていたのが、どうやら俺達の会話を聞きつけたらしい。
「前林のせいだよーーーー彼女のせいで、このサークルの空気が変わってしまったんだ」
その表情は、苦渋に満ちていた。
♯5
「もともとこのサークルは少人数でやってたんだけどさーまあ、そんな遊ぶだけのサークルじゃないし、むしろ少ない方が良かったんだけど。でも、創設当初から一つ問題を抱えていたんだ。僕も卓も、ずいぶんこれには悩んだよ」
「もしかしてー予算の問題ですか?」
「そう、よくわかったね」彼はうなずいて「少人数だし、集められる予算もたかが知れている。でも、僕も園崎も、割とプロ根性というか、半端なものはだしたくないという思いがあってね。そこいらの素人がやるよりよっぽどお金がかかっちゃんたんだよ」
「佐藤、それはー」
「いいじゃないか。もしこの子が入部することになれば、どのみち知ることなんだ」
なぜ入部が決定事項になっているのか。。
しかし羽山は諦めた様に肩をすくめ、それからは俺と同様に聞き役に回った。
佐藤は満足したようにうなずくと、再び語りだした。
「さて、それでも二年の初めまで、僕たちはなんとかかんとか帳尻を合わせてやってきたんだけど、終にうまくいかなくなった。
簡単に言えば、これ以上冊子を出すことが難しくなったんだ。必死で解決策を模索して、実際に試してみたりもしたけど、どれもうまくいかなかった。」
「それでーーー」
「そう、そこで前林が出てくるんだよ。」
佐藤は薄く微笑んだ。
「彼女はー平たく言えば資産家の娘でね。僕らより一つ年が下の、わがままなお嬢様だった。このサークルの現状を知ると、自分が入部したら、冊子を出すための費用を出してやってもいいと言ったんだ。ただし、『彼女を代表にすること』を条件に、ね。」
彼の表情が若干暗くなる。
「僕たちはもちろん反対した。いくらお金を出してくれるといっても、今まで本を書くどころかろくに読んだこともないような人間に、自分達のトップを務めさせるわけにはいかないだろ?
でもーーー羽山だけは違った。」
「俺はーーー。」
羽山が抗議の声を上げようとしたが、佐藤はそれを目で制した。
「――羽山の考えは違った。『前林も何の考えもなしにサークルの部長になろうとしているわけじゃない。彼女は彼女なりにちゃんとトップの役割を果たしてくれるはずだ』っていってね。――自分がその部長だったのに、お金が必要だから、羽山はプライドを捨てたんだ。」
瞳に非難の色をたたえて、佐藤はかつての部長を見つめた。
羽山は悔しそうに唇をかんだ。
「そしてどうなったか?僕たちの予想した通りだったよ。確かに最初の内は、そんなに悪くもなかった。彼女の資金のおかげで満足のいく冊子もだせたからね。それにトップとはいっても、彼女は右も左も分からない状態だったから、僕たちが上手く指導して、わりと好きなようにやれたんだ。
…でも、やがて限界が来た。」
そこで佐藤は言葉を一回切って、ため息をついた。
それから顔をあげ、再び、今度はより一層悲哀を帯びた口調に変わる。
「結局、ただ彼女は珍しいことをしたいだけだったんだよ。『お嬢様なのに、こんな泥臭いことやってるあたしかわいい!!』みたいなさ。。金持ちの道楽、気まぐれさ。飽きたらそれで『お終い』になる。
でも、今回は彼女自身がまがりなりにも代表を務めているからね、立場上、そんなほいほい辞めるわけにもいかなかった。」
Q:自分は変えらない。ならどうするか?
A:答え。世界を変えましょう。
「だから、彼女は合理的な方法を採った。自分好みの世界に、今ある場所を変えたんだ。かくして、ただ集まって騒ぐだけの、駄サークルの完成というわけ。」
そう言って、彼は両手を大きく広げてみせた。
相変わらず喧噪は消えない。それどころか、先ほどの空気を打ち消そうとしているのか、余計に盛り上がろうと努力しているようにすら見える。
もはや本を出すことすらしなくなった、盛り上がりたいだけの集団。個人個人に思うところはあるのだろうが、それはかつての様子からは考えられないほどの堕落だった。
坂口安吾もこれでは喜びはすまい。
「まあ、彼女に強い意見を言えず、決局居残ってる僕たちも僕たちなんだけどね。彼女は人望だけはあったから、色々な人間と出会えたのは確かだし。誰が悪いとかは、一概には言えないよ。」
しかしその声は一段と暗く、決して現実に妥協しきれているわけではないことを表していた。
♯6
一見楽しそうに見えても、実のところはどう考えているかなど分からないもの。
俺が一部始終を聞き、まず最初に抱いた感想はそれだった。
しかし、これではまだ肝心なところが説明されていない。
「あのーーーストーカーのことは?」
「ああ、それはねー」
「それは俺から説明するよ。」
佐藤が俺の質問に答えようと口を開きかけたところで、黙っていた羽山が先に口を出した。
「実際のところ、これはストーカーといっても、そうたいしたことじゃない……と、俺達は考えている。……少なくとも、そう捉えるようにしている。ここだけの話、彼女に対する溜飲を下げることにもなったからね。」
「…具体的に、どんなことをしたんですか?」
羽山は、何かを思い出そうとしているかのように上を見上げる。
「そうだなあ…。一搬的なストーカーをイメージしてくれていいと思うよ。家までつけたり、無言電話をしたり。」
「……」
「…まあ、引くよね」
そりゃそうだ。
だが、どうやらこの二人は、園崎がストーキングをしていたという事実を知ってはいても、それを理由に園崎を嫌っていたりはしていないらしい。
となると、単に『溜飲を下げられた』ということ以外にも、何かわけがあるのだろう。
まあ、大体察しはつくが。
「……『彼女のことが好き』だから、ストーカーをしていたわけじゃない……と、僕らは考えている。」
「…嫌がらせってことですか」
ストーカーも、何も全員がストーキングの対象を好いているわけではない。
むしろ憎悪からストーキングに走る人間もいるのである。
暴力団の常套手段だと聞いたこともあるくらいだ。
おそらく、園崎も、勝手なことを繰り返す前林に怒りを覚え、あるいは部を去ってもらおうとしてストーカという嫌がらせ行為に走ったのだろう。
「…いつごろからそれは始まっていたんですか?」
「それがね、ちょっと妙なところではあるんだ。」
羽山が眉をひそめる。
「彼女がーこういっていいのかどうかはわからないがー暴走行為に走り出したのは、大体入部から『二か月』ほど経ってからなんだ。でも、実を言えば、園崎が彼女に対するストーキングを始めたのは、彼女の入部から、『一週間』も経っていない時なんだよ。」
二か月と一週間。
それでは時間的に大きなズレがある。
「……最初は、あいつも彼女のことを、本当に好きだったのかもしれん」佐藤も意見を言う。「彼女は見た目だけなら、そこいらの芸能人よりかわいいからな。だから、『その点』に関しては、正直園崎の弁護の仕様がない。……だが、その後に関して言えば、つまり、いつまで経っても彼女が心を開いてはくれないと判明した後、その代わりに、彼女の『暴走行為』が始まった後なら……。いつのまにか、自分達の居場所を勝手にいじりだした、自分が好きな人。」
……その先は、俺にも容易に予想が出来る。
「そこで、彼女に向けていた感情が、いつの間にか怒りに変わっていたんじゃないかな。本当にストーキング行為がひどくーーというか、『露骨』になりだしたのは、ちょうどそのころからだったしな。」
「園崎さんは、そんな女性に困っているような方だったんですか?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
ちょっとつまった声を出す佐藤。
羽山がそんな彼に、助け船を出す。
「でも、園崎がストーキングをしていたのは事実だし、希が最初の頃は、妙に園崎に対して、聞き分けが良かったのは確かだ。……色目を使っていたとも言えるかもしれない。」
「それがアダになって、ストーキングをされた前林。彼女なりの復讐のために、サークルを勝手に動かしはじめたのかも……」
「で、それを阻止するために、ますます園崎もストーキング行為にのめりこんで……」
「まあ、泥沼ってやつさ。」
そういって二人は薄く笑い合った。そこには諦めにも雰囲気が漂っている。
「とまあこういうわけで、僕達も彼の扱いには困っていたんだ。どういつもりでそんなことをしたのか聞いても答えてくれないしね。」
羽山が思い出したように俺に話しかける。
「そして」と佐藤が付け加える。
「真意はどうあれ、一部員がサークルのトップにストーキングをしていたのは確かだ。…前林はかんかんに怒ってね。結局、園崎を退部に追い込んだんだよ。」
そういうことか。
なら今回の出来事はその延長ということになる。
俺は前林の方を見やる。
彼女はちょうどゲームかなにかが終わったのか、取り巻きを含め、わきあいあいとしていた。俺と同じ一年生も、すっかりなじんだ様子である。やはり人を取りまとめる能力は持っているらしい。
自分で作った、楽しい世界。
自分をストーキングしていた男が、悪びれもせずに新入生の歓迎会に現れれば、怒りもするだろう。
「そういうことですか…」
しかし、まだ腑に落ちた感じがしない。
符号していないとでも言えばいいのだろうか。
完全に納得しきるには足りない何かがあって、俺の活動を妨げているような、そんな感覚。
園崎は前林を好きだった?
その愛情を体現したストーキングが、いつの間にか、サークルを弄られた怒りによるものに変わっていた?
そして、園崎の追放。
俺が考え込みだしたので、羽山と佐藤は、嫌なことを忘れようと、再び歓談しに戻った。
前林は相変わらず多人数に囲まれ享楽的な時を過ごしている。
新たな料理が運ばれて。きた
店員がそれをテーブルに並べ終わらないうちに歓声をあげ、せっつくように食べ始める者。
または申し訳程度に小皿にと、後は今迄通り話に戻る者。
どちらにしろ、活気が止む気配はない。
この違和感は……
「そうか…『逆』なんだ」
しばらくの思考の後、俺は人知れずつぶやいていた。
♯7
だが傍にいた二人には聞こえていたらしい。
羽山が興味深そうに尋ねる。
「逆って……何のことだい?」
佐藤も羽山と同様、不思議そうに尋ねる。
「まさか…園崎のことじゃないよね」
「はい。そのストーカーのことです。」
俺は落ち着いた声で答えた。
途端に空気が、冷え冷えとしたものに変わる。
佐藤の目つきがきつくなった。眉間に青筋を立てる。
「そんな言い方はないんじゃないか…」
「確かに事実ではあるけど、園崎なりに考えがあったんだろうし…結果的に僕達の恨みを多少晴らすことになったから、彼に対する贔屓目はあるんだろうけど……」
「それでも、そんな言い方は好きじゃない。」
二人が俺を責め立てる。
だが、俺はそんな彼らの様子には構わない。
落ち着いて、変わりに一つ質問をする。
「先輩方にお聞きしたいんですが。ストーカーってひどく矛盾した行動だとは思いませんか。」
突然のことに、二人はいささか驚いたようだった。
だが、やがて調子を取り戻すと、真意をはかりかねるといった表情を浮かべながら答える。
「どういうことかよく分からないな。矛盾とは?何がいいたい?」
「そのままの意味ですよ。一般的なイメージでかまいません。園崎さんがそうだといってるんじゃありませんから」
羽山があごに手を当て、考え込むようなポーズを取る。
それから、怪訝な表情を浮かべながらも、佐藤よりは、落ち着いた感じで口を開いた。
「『感情』と『行動』の矛盾ーこういいたいのかな?」
「そうです。」
俺はうなずいた。
「ストーカーのやっていることって、全然論理的じゃないんですよね。まあ、人間の行動すべてを論理的に説明できるわけではありませんけど。」
佐藤がいらついたように言う。
「まだ分からないな」彼はかぶりを振って「そもそもなにが矛盾しているというんだ」
「いいですか?」俺は児童に説明をする、教師のような口調で話す。
「一般的なストーカーというのは、やはり、対象を好いているものなんです。なら告白なりなんなりすればいいと思うんですがーしかし彼らのその愛情の発露の手段は、よりにもよって、『ストーキング』なんですよ。」
「僕が言いたいのはこういうことです」
俺は二人の反応をうかがいながら続ける。
「対象に『愛情』を抱いているはずの人物が、その『愛情』を表現するための手段として、その対象に対して、絶対に対象に対して『好かれるはずのない』、『ストーキング』行為をしているんです。…………これって、おかしいでしょう?」
俺は勝気な表情を浮かべる前林を、視界の端にとらえる。
「だって『普通』、『ストーカーを好きになる人物なんていない』んですから。……つまり、ストーキングというのは、『愛情』あるいは『好意』を表現する手段としては、完全に『ずれ』てます。『好きになってほしい』のに、むしろ『嫌われてしまう』ストーキングをしているんですよ。というよりも、『嫌われる』為にやってるようにしか見えないのに、その実本人は『愛されるため』、『愛情の表現』としてやっているという、矛盾」
俺はそこで、一端呼吸をするために話を止める。
「まあ、そこに、彼らの特異性があるわけですが」
佐藤は、あっけにとられたようにこちらを見つめている。
羽山は彼とは対照的に、どこか納得したように話を聞いていたが、俺が黙った瞬間を見定めて、口を開いた。
「すると君は、園崎の行為をー」
「そうです」
俺はこくりとうなずいた。
「彼は、『嫌われるために』、ストーキングしていたんですよ」
♯8
「そんな、そんなことが…」
「佐藤さん、別に驚くようなことじゃないでしょう。それこそ、『嫌がらせ』のためにストーカーをやっているっていうことの、もう一方の面を説明しただけなんですから。『嫌がらせ』をするっていうのは、要は対象に『嫌われる』っていうことと、同義じゃありません?」
二人の反応は対象的だった。羽山は全てに納得したようにうなずいているが、佐藤はまだ混乱しているのか、さかんに「いや、そんな……」と繰り返している。
「お聞きしたいんですが、彼女がこのサークルに入ろうとしたきっかけは何だったんですか?」
「さあ、それはよく分からないが……」そう言いながら、羽山は後ろをちらりと見る。「希に聞いても、答えてくれないだろうしなあ」
「確実ではありませんが」
俺はまだ何かぶつぶつ言っている佐藤を横目に語った。
「多分、園崎さんのことが気になっていたー平たく言えば、好きだったんだと思いますよ。」
これには羽山も驚いたようで、目を丸くした。だが、少し考えて、思い出したように教えてくれる。
「そう言えば、彼女は最初の頃、それとなくそんなことを匂わせていたような気もする……」
「でしょう?」
俺はうなずいた。
「い、いや、ちょっと待て!!」
佐藤がショックから脱したのか、会話に割り込んできた。それでも、まだ顔は青く、若干息も荒い。
「園崎がそのー『嫌われる』為にストーカーをやっていたというところまではいいとしよう。でも、なんでそれで、前林が園崎を好きっていうことになるんだ」
「本人に確認を取れればいいんですがね」俺は苦笑した。「まあ、そういうわけにもいかなそうですし。
……そうですね、なぜそう予想したかと言えば、『嫌われる』ためにやったということは、つまり『好意』を向けられていたということでもあるわけです。もっと簡単に言えば、『好かれている』からという以外に、彼が『嫌われるため』のストーキングをする理由がない。」
俺はそこで一息ついた。
「……まあ、その『好意』の対象がサークルなのか、園崎さん『個人』なのかという話にもなるわけですが、『個人』的には、園崎さん『個人』に好意が向いていたんだと思いますね」
「なぜそんなことが言えるんだ?」
「彼が非常に早いーー彼女のサークル加入から一週間という段階で、行動に移しているからです」
俺は淡々と答える。
「たかだか一週間で、サークルそのものに愛着をいだいたと考えるよりは、誰か一『個人』に対して愛情を抱いているんだと思ったほうが、合理的でしょう?……そして、『嫌われる』ための手段としてストーキングをするというのは、憎悪の対象が、集団よりはその個人に向きやすいからでもあります。」
分かりますか?と視線をよこしてみるも、どうも佐藤は頭が鈍い人種なのか、未だ腑に落ちない様子。
「……簡単に言えば、もし本当に前林さんが園崎さんのことが好きで、なおかつ園崎さんの方はサークルを乱しかねない彼女を心良く思っていなかったとしましょう。すると、彼女がそのサークルに留まる理由は、要は『園崎さんが居るから』ー彼のことを『好いている』からーですから、その好意が無くなれば、彼女がサークルに固執する理由もなくなり、平和は保たれるわけです。」
「だから」
俺は額に汗を浮かべた佐藤を見据えて言う。
「彼はストーキングという行為に打ってでた。」
もちろんこれはかなりリスキーなやり方だ。
警察の対応はザルであるとはいえ、たかだた一個人を追い出す方法としては、社会的に失うものが大きすぎる。。
まあ、それくらいのリスクを犯さないと、夢見がちなお嬢様の幻想をぶち壊せないと思ったのかもしれないが。
「いや、やっぱりおかしいぞ!!」佐藤はぶんぶんと首を振る。こちらを見つめるその目には、やはり不審の色が見て取れた。
「もしそれが真実だとすれば、なぜ彼女は……前林は、サークルを去らなかったんだ。それに、『好きな』相手であるはずの園崎まで、追放しているんだぞ」
「追放したのは、ただ単に『嫌い』になったからでしょう。ある意味、これで園崎さんの狙いは当たったことになります。」
そして、俺は皮肉っぽく付け加える。
「なんで前林さんがサークルを去らなかったのかと言えば、そうですね。……彼女なりに、大切な物が出来たからじゃないですか?」
俺は大勢の人間に囲まれ、談笑している前林を見た。
園崎が去る前に行った謝罪は、いったい誰に向けて、何に対してなされたものだったのだろうか。
サークルを元に戻せなくて悪かった?
ストーキングをしていて悪かった?
勝手に彼女という人間を規定して悪かった?
ちゃんとしたぶつかり方をしなくて悪かった?
あるいはその全部だろうか。
「逆説ですよ。自分が『嫌われる為』にストーカーをするというのは。でも、やっぱり正しいやり方ではない。もっとちゃんとやるべきだったんです。」
人間の心というのは分からないものだ。
表面からでは、見えないことはたくさんある。
例え理解できないことを他人がやっていても、まずは、もっとそいつの話を聞いてあげるべきだろう。
案外前林がいいリーダーをしているように、園崎がちゃんと彼女にぶつかれば、あるいは、違った未来が見えていたのかもしれない。
俺が話を終えると、羽山は、悲しげでありながら、どこか満足気な表情を浮かべた。
一方、まだ佐藤は釈然としないようだ。まあ、あくまで俺の妄想に過ぎないからな。
「…………」
のどの渇きを感じた。俺はコップに水を注ぎ、それを一気に飲む。
ふう。今日はしゃべりすぎた。なんという一日だろう。不本意なことだらけで、まったく上手くいかない。
……にしても、このリア充の集まりにしか見えないところが、文芸部だったとは。
もしかしたら、今日初めて聞いた僥倖かもしれないな。
「すいません、質問があるんですが」
俺は悪くない心持ちでいながら、また口を開いた。
了
理性的なストーカー事件 半社会人 @novelman
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