隣のパーフェクトガール

春見悠

第1話 初めましての消しゴムと鼻クソ

関崎せきさきあおいはみんなの人気者。

とは、とてもじゃ言えないが、有名人であることは確か。

除け者扱いされている訳でも、存在を認識されていない訳でもない。

彼女は平凡であることに努めている。

しかし、どう見ても才色兼備に文武両道。

万能かつ天才といえば聞こえがいいし、実際その通りだと思う。


本人の話によると、小学校に入る頃には源氏物語をまるまる暗記してつらつらと諳んじていたという。

もちろん原文。

つまり古文で、当時書かれた文字を、だ。

彼女曰く、大島本と吉川本では文章も違うし、文字の癖も異なるという。

他にもバリエーションはあるが、元本となる紫式部が書いたものは、現存していないと言う。

そのなんちゃら本を高校一年生のあるとき、それぞれ見せてもらったが、そもそもなんて書いてあるか読めなかった。

彼女にそれを告げると、軽く笑った。それが普通よ、と言った。

「あれは専門家か専科学生か暇人以外には、そんな解読する機会ないよ。趣味なら翻刻されたものを読めばいいし」

なぜ彼女がそれを読んだのかは謎である。


小学校4年生になる頃には、もう微分積分を鮮やかに解いていたとのこと。

こちらも私はさっぱりで、私の苦手分野。

数学も国語も英語も化学も物理も…などなど彼女は小学校でとっくにわかって、知ってしまったことだった。

芸術方面や料理等はからっきしだが。


ある日、高校生という身分は窮屈で退屈なんじゃないかと聞いてみた。

「私が真面目かつ勉強熱心なら退屈でしょうね」

確かに。

あおいは別に真面目じゃない。

「逆に、不真面目かつ非行少女なら窮屈でしょうね」

それはあおいじゃなくても一緒かも。

「そうね。私は真面目でも不真面目でもない。あなたもそのどちらでもない。つまり、私とあなたは同じなのよ」

はい?

どういうことでっしゃろ?

「でっしゃろって……私は特に望まないもの。学者様にも専門知識を振るう士業もスポーツマンも無限の富も、世界を救う、とかもね」

…………。

「そう平凡。未来において何をすることになろうとも、現在では私は純情可憐な一人の乙女でありたいのよ」

なるほど、わからん。

とりあえず、私は純情可憐な乙女を自称したことも望んだこともない。

「いいのよ。比喩だから。気持ち良いものよ。才能を燻らせて、こんな筈じゃなかったと将来愚痴を漏らすのも」

いや、そんな屈折した人生歩みたくはない。


私には正直理解できない話だった。

勿体無いとか、そういうのじゃなくて、結局のところ関崎あおいは、何を言いたかったのか。

まぁ、彼女の言うことだし、あまり気にすることはなかった。


そんな彼女ではあるが、どういう訳か私との付き合いは、思い出話ができる程度にはそれなりに長い。



  ●



初めは高校一年生の入学したての頃だった。

確かに記憶の最初に出てくる彼女は真面目とは言い難かった。


クラスメイトの名前もそこそこ覚えてきたぐらい。

授業が始まり一月も経っていない。

まだ春が色めいている季節。


「ここ来週の小テストで出すからなー。覚えとけ」

カツカツと響くチョークの音。

黒板に書かれるは、数字の連なり。

ふむふむさっぱりだ。

入試の蓄積? そんなものはない。

とりあえずノートに写すのは、私が至極真面目な証拠。

そうでしょう?

わからないからといって匙を投げ出す程、面倒くさがりではない。

そういうこと。


隣の席ーーどことなく得体の知れない美人さん、関崎あおいは居眠り中。

右腕を真っ直ぐ伸ばして、左腕で囲いを作り、右腕に沿うように頭を乗っけている。

こちらに顔を向け、机でほっぺたが平たくなってよだれを垂らしている様は実に気持ちの良さそうな眠りっぷりだ。

きっと頰に跡が残ることでしょう。

一応まだ二時間目なんだけどな。

午睡には早いぞ関崎氏。


教師も優雅な睡眠タイムを見守るつもりはないらしい。

「関崎、この問題を解いてみろ」

教師がぶっきらぼうに眠り姫を指名。

当然彼女は絶賛睡眠中。

「どうした? 寝ているのか?」

見れば分かるだろうに。

これが官僚的面倒な手続きというやつなのだろう。


大袈裟に息を吐くと、教壇から降り、早歩きで彼女の脇へ。

つまり、私と彼女の間だ。少し椅子を引くと、寝顔が再び視界に入る。

教鞭を振るうのとはまた別の種類の注目が集まる。

それをわかってか、教師は焦り気味に肩をトントンと叩く。

「おい、起きろー。授業中だぞ」

反応ナシ。

姫は深く眠られていらっしゃる。

「良い加減起きろ、関崎ぃ」

教師だって立場とプライドがある。

引き下がったら、あ、そこで諦めちゃうの?私も寝よー。という風に生徒に舐められることもあり得る。

私だったら寝る。

だからもう引き下がれないのでしょう。

いやぁ、入学早々穏便じゃないねぇ。

だから、至極真面目な私はちょっとせっかちな先生の援護をすることにした。


具体的に述べますれば、鼻クソよろしく消しゴムのカスを丸め、スヤスヤ姫の顔面に弾き飛ばした。

もちろん誰にも見えないように。

すると、鼻クソよろしく消しゴムカス君は、関崎あおいの鼻の穴にホールイン。よし!

消しゴムカス君は眠り姫の鼻クソ王子様にクラスチェンジ。

彼の昇格のハナにブっこんだ瞬間、関崎あおいは盛大に咳き込み、起き上がった。

「おおどうした。大丈夫か?」

先生はもしかして具合の悪いかもしれない生徒を気遣う展開で、立場を失わず、眠り姫も消しゴムカス君の鼻穴チッスで無事起床。

さすが私。


「大丈夫です、先生。問題を解けばいいのですね?」

鼻を押さえながら、眠っていた事実はないように、解を綺麗な字で書いていく。

その如才のなさは、要領の良さと頭の良さをそれなりに知らしめた。


私の采配程ではないけれど。

「…………」

席に戻ってくるとき、妙に私を睨む涙目な関崎あおい。

椅子を引いて、腰を屈めたとき、私だけに聞こえるように囁いた。

「…………コロス」


ホワイドゥーユーウィスパートゥミーアバウトキリング?

殺害予告は初めてだ。

殺害されるのは一回きりだけど、殺害予告なら何度されても減るものではない。

ならこの場合の初めては良いことなのだ。





誰だ、初めてのことは良いことなのだとか言った奴は。

きっとロクな奴じゃない。

そうに決まっている。


「さて、私が言いたいことわかるよね?」

「心当たりがないよ。私何かした?」


消しゴムのカスなのに、なんとなく似ているから鼻クソにしてしまう鼻クソビッチが何を言っているのやら。

「しらばっくれても、良い事はないわよ。まずは白状してね」

全く、私の老婆心をなんだと思っている。


あろうことか、関崎あおいは人影のいない放課後の教室で私を押し倒したのであった。

抜かった。鞄を忘れて取りに来たのが命取りであった。


「わ、私の初めてはあげないからねっ」

「いらないわよ」

「そんな……外見に多少は自負がある私の初めての時価総額をご存知ないというの?」

「じゃあ売りましょう。人間か馬か豚のどれに売るのが良いかなぁ」


なんという発想をしてくれやがります。


「非人道的!悪魔!鼻クソビッチ!」

まだ鼻クソビッチの方が滋味があります。


「多々良さくら……あなたという人は!」

あ、私のフルネーム。

「フランクにさくらでうぇうぇふぉいいよぉ

喋ってる途中で馬乗りになってる関崎あおいが頰を引っ張ってきた。


「そんな事を言う多々良さくらには、これがお似合い」

そしてどこからともなく取り出されるは、消しゴムのカス君。

心なしかまだ表面はぬらぬらと湿っている。


ああ、お帰りなさい。


「返してあげる」

遠慮なくズボリと差し込まれるは、消しゴムのカスではなく、鼻クソ。

そうなんですよね?

ツーンと感じる痛みを覚えながらも、口で息を吸い込む。


「ふんっ!」

「ああ!?なんて事を」

ゴムクソは勢いよく飛び出し、べちょりと羨ましいバスト山にへばりついた。


なんて事を、はこっちの台詞である。

他人の粘膜と菌がついた存在を移そうとするなんて、非常識だ。


「私はビッチが食い荒らした、鼻クソに興味はない!」

敢然と立ち上がろうとするが、腰にガッチリ体重が掛けられ、芋虫みたいにもがいただけで終わる。

抵抗は無駄となり、体力は尽き、私は死んだヤリイカ程度に伸びる。


けどまぁ。ね。潮時である。イカですし。


「ごめんね。今取るよ」

手の平をさりげなくバスト山に当てながら、私が彼女の鼻にぶち込み、彼女が私の鼻にぶち込んだそれを取り除く。

悪は滅んだ。


「あと、寝てたの起こそうとしたんだよ。先生が肩叩いても起きなかったし、ああ、いやいや、ごめんなさい」

「あ? え? ええと……」

いきなりを辞めたので、呆気に取られながらも、関崎あおいは訝しげに眉を寄せつつも、うんうんと頷いた。

「わ、わかれば良いのよ。起こそうとしてくれたのね。やり方に問題があるようだけど」


彼女も半ばから覚めたらしく、憎まれ口を言いつつ、私の上から退く。


「まぁあれは偶然。偶然だよ。それに効果てきめんだったでしょ?」

「やめてよ。もっと平和的方法は無かったの?」

「じゃブチ切れ寸前の先生を放置する」

誰もいない教室で、怒り心頭マッシブ感アリアリの暴行を受けるエンドかな?

「それならいいじゃない。自己責任で、セクハラとかパワハラとか名目でっちあげて懲戒処分まで追い込めばいいじゃないの」

分かっていない関崎あおい。

それだとますます面倒になるじゃない。


ま、終わった事だしいいでしょう。

「これにて一件落着」


二人分の鼻クソの経歴を秘めた消しゴムのカスは、名前も知らない男子学生の椅子の上にポーンと飛んでいった。




関崎あおいと会い、初めて話した時のことだった。


彼女の天才性はまだ潜めていると言わざるを得ないけど、天才性に往々にして付随する変人性は充分にお分かりいただけることでしょう。


ああ、それにしても、なんて善良な私なのでしょう。

やはり、そこが目立ってしまい仕方がありませんね。

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