箱の中の君

深夜太陽男【シンヤラーメン】

第1話

    □


 気づけば狭い空間の中で揺れていた。光はほぼ入ってこない状態である。体を動かそうと思ったがそれはできなかった。前後左右上下、自分の体を挟むように壁があるからだ。少しの隙間しかない。音も聞こえてこない。たまに何かの振動で自分がいる空間が揺れる。

 何かの箱に閉じ込められているのだろうか。自分は死んだので棺桶に入れられどこかへ移送されているのか。確かめる術はない。

 そもそも自分にとって死ぬとはなんなのかを思考してみる。

 自分の役割、価値を失うこと。

 ある特定の分野においての情報を自分は多く所有していた。他のものにはなかなかないので自分は重宝されていた。情報を保存し伝達していくことが自分の個性なのだろう。

 しかし自分が消失した場合その情報も同時に失われてしまう。誰かの記憶、というのは非常に脆く危うげな改変と忘却の恐れのある情報の記録方法だ。自分と同じ情報を所有するものも計画的に増やされ、最近では電子媒体に情報も保存できるのだと言う。情報は所有するものではなく共有するものへ変化していった。

 そこで自分は価値を失ったのだろうか。そもそも自分が計画的に増やされた一部ではないのか。答えを確かめることはできない。

 どれくらい思考していたかはわからないがだいぶ時間がたったようだった。やがて自分を閉じ込めている空間が今までにないくらい大きく揺れた。そしてしばらくの静寂の後、壁から光が差した。


     □


 私の仕事はとても単純である。別の部署から回されてきた言語を規則通りに並び替えたり、計算したり、別の言語へ翻訳したりするだけだ。そしてまた別の部署へその言語を流す。その言語の中身は様々な指示があるらしく、実行部隊たちはそれらに忠実に動くらしい。らしいというのは私自身翻訳する前にも後にもこの言語がどんな意味を持っているのかはわからないし、別の部署のものに会ったことなどないからだ。規則通りにやっていれば言語の理解も必要なければ別の部署のものに会う必要もない。

 面倒くさいシステムである。クライアントからの要求をそのまま実行部隊に流せればいいものなのだが、なにせクライアントも実行部隊も次から次へ変わっていくからだ。正確にはクライアントからの注文が多種多様すぎるのだ。仕事内容は毎回違うものであるし、前と同じ仕事かと思えば時代の流れに合わせて結果をまとめなければならなかったりする。そのためずっと同じ部署では対処しきれないのだ。別のものに変われば私も言語変換のために新しい規則を覚える。日に日にその規則の数は増えてきていて、私もそろそろ限界を感じているのだがこれが仕事なのでやるしかない。

 規則通りにやっていれば全然問題のない仕事なのだが、時間に関しては非常に不規則だ。クライアントがいつ仕事の注文をしてくるかもわからないし、仕事の途中だというのに突然仕事を終わらせられることもある。一週間何もないときもあれば一ヶ月フル稼働させられたときもあった。無茶な仕事ばかりくると実行部隊が追いつかなくなったり、施設が耐えられずに熱くなりすぎて強制的に終了する。半分寝ているような状態でずっと待機させられたりもする。ぐっすり眠っているところを起こされるよりは楽ではあるのだが。

 この施設にいつまでいられるかはわからない。私のような仕事は十年ほど続けられればいいほうだと噂で聞いた。別の部署のものが交換されていくように私自身の役職もいつかは変えさせられるだろう。私が一日以上翻訳にかかる仕事ももっと速く処理できる新人がいるらしい。他のものも交代していく中でその新人と相性のいいものが多くなっているみたいだ。私の翻訳結果を受け付けないケースもたまにある。私には理解しきれない翻訳規則もたまに見かけるのだ。

 箱の中のこの施設、閉塞感を重圧に感じながら私は今日も仕事をする。


     □


 俺はこの状況を理解するのにだいぶ時間がかかった。まず冷たい床から起き上がり、ここが気温の低い場所だとわかる。空気が張り詰めるように冷たいが水が凍るほどではないだろう。視界は良いとは言えないがそこそこ見渡せる。薄暗いが天井も壁も床も白一色であった。出口のような構造は見えない。低い機械的な音がかすかに聞こえる。

 そして自分と同じようにあたりを見回しているものがちらほら見えた。他は横たわったまま動かないものばかりだ。そんなに広くはない空間なのでそれがどのような状態かはすぐにわかった。

「なんだよこれ、死体置き場か?」

 考えたことがそのまま口から漏れた。一番近くにいたものがその言葉に反応してか体をびくっと震わせた。うまく思考できていないのか狼狽している様子だ。

 自分が今までどこにいて、どのようにしてこんなところに連れてこられたかはまるで思い出せない。ただこんな殺風景で肌寒いところではないところにいたのは確かだ。体がこの状況を拒んでいる。

 見れば横たわっているものは死体だけではなかった。この状況を悟ったのか虚ろな目をしているものがいたのだ。俺たちよりも長くここにいるというのはなんとなくわかった。

「ここはどこだよ」

 言葉を投げてみるが反応はない。

「おい、お前だよ」

「……考えるのはよせ。静かに時を待て」

「は?」

「そのうち壁が開く」

「助かるのか?」

「いや、それが最後かもしれない」

 中身のない会話だ。何も情報が得られなかった。

 そのとき、大きな音と振動を感じた。室内が明るくなる。背後の壁一面が開き外の空気が入り込んできた。その光景で全てを思い出した。なるほど、これは最後かもしれない。この箱はあくまで俺たちを保存していく装置にすぎなかったのだ。


     ■


 どうやら寝ていたらしい。僕はインターホンの音で意識を現実に戻した。頼んでいた荷物が届いたのだなと瞬間的に思い出した。

 荷物を受け取り部屋に戻る。段ボールの箱を開ければお目当ての書籍が一冊入っていた。今の時代ほとんどの情報はインターネットで手に入ると思っていたがさすがに全てというわけにはいかないみたいだ。細かいところや図説、専門家の記録はまだまだハードカバーに依存しなければならない。しかし万年引きこもり体質の僕は本屋に行くのも鬱陶しくなってきた最近、すべて宅配で済ませるようになった。軽く中身を確認して仕事机の上に置いた。

 パソコンはスリープ状態になっていた。起動していたソフトのいくつかを確認したが作業途中のものはちゃんと上書き保存されていた。こいつを忘れて納期ギリギリまで仕事に追われたことが何度もある。パソコンがガリガリと耳障りな音を鳴らしているので一旦電源を落とすことにした。つい数年前に購入したという感覚ではいるのだがこの機体も業界では古い分類になってしまうのだろう。僕の仕事は主に文章を書いたりでたまに絵や映像を手がけることもある。文章を書くくらいならまだまだ大丈夫なのだが絵や映像は扱うデータも再生するソフトも日に日に変わっていくものだから古いものを使っているとあっという間に追いつけなくなる。納品先が指定するデータ形式も常に新しいものばかりなのでこちらもそれに合わせざるを得ない。しかし収入と高額なソフトにアップグレードするのを比べると悩ましいものだ。いくら中身を更新したりパーツを拡張しても常に最新の状態とはほど遠い。おまけに新しいオペレーティングシステムが最近発売されたということで周りはどんどんそちらに乗り換えていくだろう。たぶん自分が今使っているソフトでは対応しきれないものも出てくるかもしれない。そろそろ真剣にパソコン本体を買い換えるべきか検討する必要がありそうだ。

 寝起きのせいか空腹を感じた。最後に飯を食べたのはいつだったかうまく思い出せない。冷蔵庫を開ければいくつかの食材が転がっていた。知り合いからもらった野菜がいくつか見えた。育てていたものが多く収穫できたからと言っていくつかくれたのだ。しかし自分はあまり料理はしないほうなのでこの野菜たちをちゃんと調理できるか自信がない。そもそも冷蔵庫で保存する必要があるかどうかもわからなかった。さっさと空腹を満たして仕事の続きをしようと思いカップラーメンを食べることにした。

 お湯が沸くまではソファーに腰掛けて脳内を整理した。納期はいつだっけとカレンダーを見るが今日が何日かも思い出せなかった。何日前に外に出たかも覚えていない。ずっと在宅でできる仕事なのだ。必要に思ったものも届けてもらえるシステムで本当に外出する機会が減ってしまった。電気も消さず窓のカーテンも締め切っているため昼夜の感覚すらない。仕事をし、寝て起きて、たまに食事や排便をし、また仕事をする。ひたすらその繰り返しの毎日でもしかしたら自分は百年以上前からこの箱のような部屋の中に閉じ込められこんな作業を続けているんじゃないかと、そんな錯覚に襲われたりもする。

 お湯の沸く音で妄想をとりやめる。箱の中であれなんであれ、自分に決められた役割をただ全うするだけなのだ。そこに自由を感じるか否かは個人の気分でしかない。

 僕はカップラーメンのストックがないことにそこで初めて気がついた。さて、冷蔵庫の野菜は生でも食べられるだろうか。

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