第51話

 通常、神属の贄として食する贄人の屠殺は首を刎ねる。

 だが今回は、〝黄泉返り〟を再現した上で、さらに通常の状態へと蘇生させる為の試しである。頭部を切り離すのは論外だ。

 ならば、どの様な手法が最も相応しいのだろうか。

 二人は悩むが、桑妮雅ソニアの方は徐々に瞼が下がり、立ったまま居眠りを始めてしまった。

 次姉はそれに構わずしばし考え込み、考えがまとまった処で口を開いた。


「阿片で酩酊状態にさせた上で、殺害の現場である崖から飛び降りさせるのが宜しいかと」

「ふむ。意図は何か?」

「死に至り、〝黄泉返り〟となった経緯の再現です」

「成る程。では桑妮雅ソニア、お前ならばどうするか?」


 和修吉ヴァースキは頷き、残る桑妮雅ソニアに回答を促す。

 立ったまま口を開け、まどろみの中にいた桑妮雅ソニアだが、呼ばれた刹那、しっかりと目を見開いて答えた。


「別にそんな事しなくても、濡れた布を口にかぶせておけば、息が詰まって死ぬんじゃないですかぁ?」

「貴女ねえ! 真面目に答えなさいな!」


 安易な答えに次姉が怒鳴りつけるが、桑妮雅ソニアは意に介さない。


「だってさあ、どんな風に〆ても、五体満足な屍なら〝黄泉返り〟に出来るんでしょ? ね、和修吉ヴァースキ師?」

「是」


 和修吉ヴァースキは一言で肯定したが、その眼は愉快げに笑っている。


「なら、細かい事に拘るだけ面倒だよ。それに、崖から落として、もし頭が砕けちゃったら〝黄泉返り〟に出来ないじゃん」

「是。故に、此度は桑妮雅ソニアが正しい」


 桑妮雅ソニアの解を是とした和修吉ヴァースキに、次姉は戸惑う。


「しかし…… それでは、件の娘がどの様に〝黄泉返り〟となったのかの解明が出来ないのでは?」

「詳しく調べたくもあるがな。だが、此度の目的に照らせば、細かい再現は手間の無駄だ」

「目的……ですか?」

「それ。私達はさ、嫁が生き返って、あの子が喜ぶ顔が見られればいいんだってば。そうすれば普蘭プーラン姉も任を果たして学師になれるし、私達にも箔がつくし、皆が幸せじゃん」


 桑妮雅ソニアの言葉に、次姉は衝撃を受けた。

 まず考えねばならないのは、次代の胤たる童の安寧。〝黄泉返り〟の蘇生は、その為に行うのだ。それを考えれば、事象の再現に拘る必要は無い。

 軽挙が目立つ桑妮雅ソニアだが、今回の試みの目的をきちんと踏まえている。

 それに比べて自分は、学問上の興味に気を取られてしまっていた……


「自戒を含めて言うのだが、学究の徒は何でもとかく、箱の隅までつつこうとするのが癖だ。しかし、何を何の為に行うのか、これを明確にしておかねばならぬ」

「はい、和修吉ヴァースキ師……」

「智も技も、ただ蓄えれば良い物ではない。世を豊かにするべく、使う為にある。覚えておきたまえよ」


 和修吉ヴァースキに諭され、次姉は深くうな垂れてしまった。



 朝餉あさげを終え、二人は和修吉ヴァースキが見守る中、術式に取りかかった。

 まず、石化されている贄人を生身に戻す。

 意識が無いままだが、贄人は静かに呼吸を始めた。


「じゃ、濡れた布で、息をつまらせて〆るね」

「待ちなさい」


 贄人の命を絶とうとした桑妮雅ソニアだが、次姉はそれを制止した。


「その前に、金縛りをかけなければいけません」

「何で?」

「贄人には知恵が無いと言っても、生きているのですから。息が出来なければ目を覚まし、布を手で払う位の事はします」

「そっか。まあ畜生だからって、黙って殺される訳は無いもんね。PARALISI!」


 桑妮雅ソニアは金縛りの法術をかけた。横たわったままの贄人には変化が無い様に見えるが、これで寝返り一つ打てなくなった筈だ。


「これでいいよね?」

「ええ」


 次姉が頷くと、桑妮雅ソニアは濡れた布を贄人の顔にかぶせる。

 贄人は身動きしないままに息を詰まらせ、少し後に胸の鼓動は止まった。


「では、術式を施します」


 屍と化した贄人の躯に、次姉は梵字の呪文を書き込んで行く。使っている墨は、言仁の腎水 ※精液 を調合した特製だ。強い霊力がこもっており、術式を維持しやすくする効果を持つ。

 麝香じゃこうをさらに濃くした様な、かぐわしくも強烈な匂いを放っている為、普通の人間ならば正気を失って恍惚に陥ってしまうだろう。

 次姉が書いた呪文を、桑妮雅ソニアが針を用い、刺青として彫り込む。呪文が消えない様にする為の措置だ。

 贄人の躯に全身くまなく、精緻な呪文の刺青を施し終えたのは、昼下がり頃だった。



「終わったねえ。これで、彫った呪文を発動させれば〝黄泉返り〟になって、同時にゆっくり蘇生していくんだっけ?」

「その筈です」


 額の汗を袖でぬぐいながら桑妮雅ソニアが尋ねると、神経を集中させ続けて疲労困憊した次姉は、ただ一言で応じた。


「その前に、二つ措置を忘れておる」


 和修吉ヴァースキの指摘に、二人は思わず顔を見合わせる。

 まだ何か足らないのだろうか。


「まずは拘束だ。金縛りは、死した時点で解けているからな。〝黄泉返り〟は夢うつつのままに徘徊するから、拘束は必須である」

「術をかけ直すという事でしょうか?」

「否。〝黄泉返り〟には金縛りの効力が薄い。故に、これを用いる」


 和修吉ヴァースキが指を弾くと、側に控えていた龍牙兵の一体が、天幕に備え付けの鎖を持ち出し、贄人の手足を寝台にくくりつけた。


「こうして縛るのが確実だ」

「その程度で大丈夫でしょうか?」


 不安そうな次姉に、和修吉ヴァースキは解説を加える。

「今回のこれの屠畜でもそうだが、単純な手法の方が、より堅実な事は多々ある。〝黄泉返り〟が危険なのは、狂気の思念を周囲に放射する為だ。膂力については、生前と変わらぬ故に問題ない」

「思念! それでは私達にも、相応の備えが要りますね」


 危険性を指摘されて、次姉はもう一つの必要な措置が何なのか思い当たった。


「私達の脳を護る為、結界を張らねば!」

「そう、それが今一つの措置だ。〝黄泉返り〟が放つであろう思念に脳を冒されぬ様、強く張っておきたまえよ」


 次姉と桑妮雅ソニアは、各々が携帯している法術具を使い、脳を護る様に特化した結界を張った。結界は強く張ると、自らによる法術の行使も困難になってしまうのだが、効果を限定しておけばその影響を抑える事が出来る。


「これが術式を作動させる鍵だ」


 和修吉ヴァースキが次姉に手渡したのは、陽根をかたどった張型だった。これ自体が精巧な法術具であり、蘇生の進行に合わせて術式を制御する役割を持つ。


「形状から見て、女陰に挿せば作動するのですか」

「是。単に術式を作動させるだけでなく、それを制御し促進する効果もあってな。目論見通りなら、およそ一月で蘇生が完了する見込みだ」

「一月、ですか? それは早いですね!」


 次姉は驚嘆の声を挙げた。

 贄人に施した元の術式では、蘇生の完了まで、半年程度の見込みである。それが一気に短縮されるのだ。


普蘭プーランが新たに考案した物を預かって来た。我が考査した限り、理論の上では問題ない」

「それでこそ普蘭プーラン姉です!」

「でも、大丈夫かな?」


 次姉は感心するばかりだが、桑妮雅ソニアは不安げな顔をする。


「その為の試しだ。まずは使ってみなくては解らぬからな。目論見がうまく行かずに丸太が一本潰れたところで、何も惜しくは無い」


 和修吉ヴァースキは事も無げに答えた。知恵を持たぬ白痴として生み出された贄人は、皇国にとって只の家畜、あるいは材木と同じだ。

 財物としての価値は確かにあるが、命を尊ばれる事は無い。

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