第48話

 答志島から戻った言仁は、仮宮で待つ弗栗多ヴリトラの元へと向かった。


「母上、ただいま戻りました」

「久々に、門姉共との戯れはどうだったかや?」


 弗栗多ヴリトラは、久々に見る言仁に、慈母の顔で応じる。


「はい。皆、元気そうで。久しぶりに甘えて参りました」

「うむ。胤を仕込んだのは普蘭プーランだけかや?」


 一門に属する学徒の内、人間の女子は、言仁の胤を宿し、阿羅漢アルハットの資質を持つ子孫を殖やす事も役割である。


「いえ。他にも三十名程……」

「それだけかや? 坊の胤は無尽であろう? 学徒全てを孕ませる位、造作もないであろうに」


 言仁と学徒達の交合は、通常の男女のそれとは趣が異なる。

 一対一で言仁と交われるのは、筆頭格である普蘭プーランのみというのが、学徒の間での不文律である。そういう事にしておかねば、奪い合いになって収拾がつかなくなる為だ。

 では他の者達はどうするのかというと、一度に十人、二十人といった大勢の餓えた学徒が、代わる代わる言仁にまたがって思うがままに肉体を貪り、胤を絞るのである。

 言仁の節くれ立ちねじ曲がった異形の陽根は、そそり立ったまま萎える事は無く、門姉達の求めるままに幾度でも胤を放ち続けるのだ。


「そうですが、一度に皆を孕ませてしまっては、一門の活動に差し障りが出てしまいます。それに、養育を担う平家の事も考えませんと」

「そうじゃな。じゃが、偏りがあってはならぬからの。今回我慢させた者共にも、機を見て順番に胤をつけてやるのじゃぞ」

「解っております」


 嫉妬から来るいさかいが学徒の間で生じない様、弗栗多ヴリトラは言仁に念をおした。


「ところで、黄泉返りの娘を蘇生させる件。どうなっておるかや?」

「贄人を使った試しを数度行った上で着手する手筈を、普蘭プーラン姉、そして補佐としてついた人狼の門姉方と整えて参りました」


 童の幼馴染みを蘇生させるにあたっての助力を普蘭プーランから乞われたのが、言仁が答志島に赴いた用件である。

 それについて問われると、言仁は淀みなく答えた。


「旨くいきそうかや?」

「大丈夫でしょう。ただ…… 蘇生が成った後の事で、心配事が……」

「何じゃ?」


 言いにくそうに口を濁した言仁だが、弗栗多ヴリトラに問われて言葉を続けた。


和修吉ヴァースキ師立ち会いの下で、かの娘が賎民を見下す心を示した際には、手ずから切り捨てると、母上の御名にかけて普蘭プーラン姉と約定してしまったというのです……」

「その件は既に、妾の耳にも届いておるがの。普蘭プーランに限らず、学徒共の心情を考えれば、安易に反故には出来ぬぞ。妾の名代として約定の証に立った和修吉ヴァースキも、快くは思うまい」


 那伽摩訶羅闍ナーガマハラジャの名にかけて結ばれた約定を無効にするには、弗栗多ヴリトラが詔を出せば良い。

 だが、普蘭プーラン、そして和修吉ヴァースキの面目を潰す事にもなる。


「あれが気に病んでいるのです。その心労を解いてやる訳には参りませんか?」

普蘭プーランの挑発に乗せられたとはいえ、すめらの侍従たる者、約定を軽んじてはならぬ。それをわきまえさせるのもしつけの内じゃろうに、坊は甘いのう」


 那伽摩訶羅闍ナーガマハラジャの名にかけて約定を結ぶというのは、滅多な事では行われない。童も侍従の列に加わる以上、それを心がけなくてはならないのだ。


「では、蘇生したかの娘が、賎民を見下す様であれば、約定通りに首を刎ねさせよと?」

「当然じゃ。かような者を皇国に置く事は出来ぬであろう?」

「そんな……」


 懸念をあっさり切り捨てた弗栗多ヴリトラの一言に、言仁は思わず顔を引きつらせる。


「あるいは、件の娘の性根が曲がっておったとしても、強引に正す手はあろう。それを施すならば、不問にしたとて普蘭プーランも納得するじゃろうな」

「どの様な手段ですか?」

「簡単じゃ。坊の魅眼を使えば良いではないか」


 言仁の眼力を受けた者は心を奪われてしまう。その上で、賎民を卑しんではならぬと刷り込めば良いのだ。

 だが言仁はこれまで、他者を魅了し心を操るその力を忌み嫌い、決して使おうとしなかった。

 先日、計都ケートゥの目論見により、上人に対して意図せずその力を使ってしまい、怒りをみせたばかりである。


「しかし、あれは……」

「力に溺れてはならぬがの。正しく使う事をなぜ恐れるのかや? 国の頂に立つみかどがそんな事でどうするのじゃ」

「……」


 弗栗多ウリトラの叱責にも、言仁はうつむいたままだ。


「まあ、良い。まずは蘇生させる事が先決じゃからな。件の娘が、童と同じく心が清ければそれでよし。曲がっておれば、坊の眼力で正すか、童に斬らせるかじゃ。どうすれば良いか、考えておくのじゃぞ?」

「解りました、母上……」


 消え入る様な声で苦しそうに答える言仁に、弗栗多ヴリトラは深い溜息を漏らした。



*  *  *



 言仁は書院にこもり、弗栗多ヴリトラとの問答について考え込んでいた。

 約定の撤回は難しいだろう。

 為すべき事は示された通りである事も、頭では解っていた。

 だが、魅眼を自ら使ってしまえば、その後も、周囲はその行使を求める様になるかも知れない。

 言仁は、それがたまらなく恐ろしかったのである。

 その力を使い続ける内、気に入らぬ者、逆らう者を次々と操る様になり、気がつけば周囲に傀儡しかいなくなってしまうのではないか……


みかど、こちらにいらっしゃいましたか。宜しいでしょうか?」

「ああ、君か…… 入りたまえ」


 襖を隔てて、童の声がした。言仁は表情を穏やかに戻し、静かで落ち着いた声で招き入れる。

 襖が開き、若い白狼が姿を表した。

 

「答志島から御戻りと聞いて、御挨拶に伺いました」

「今日は狼の姿か。何かあったのかな?」


 普段、童は一門の詰め所で、人狼の学徒達から座学や、立ち居振る舞いの躾を受けている。その為、日常は人の姿でいる事が殆どだ。

 珍しくも本性を出している事に、言仁は首をかしげた。


「今日は鍛錬を兼ねて、近衛の方々と獣の姿で狩りに出かけていたのです。その足で来ましたので、衣を纏っていませんでした」

「狩り?」

「はい。百姓の村から、猪が田畑を荒らして困るという申し立てが上がっていて」


 伊勢の農村からは、刀剣や槍、弓矢といった武具が全て接収されている。害獣の駆除も自分達では許されず、庄屋を通じて軍へ願い出る事になっていた。

 宮刑 ※去勢 に処してけじめをつけさせたとはいえ、賎民解放の勅令に背いた伊勢の民を、弗栗多ヴリトラは全く信頼していない為である。

 例外は、賎民虐待に加わっていないとされた一部の者のみで、そういった良民は言仁の私有地である荘園に住まいを移して優遇されている。


「近衛というと英迪拉インディラが声をかけたのかな?」

「はい。兵でなくとも、宮中に仕える身ならば鍛えねばならぬとおっしゃって。筆頭殿と、他に非番の方が二名程」


 童の処遇について、言仁の側近は例外なく、侍従に相応しく育成する様、己の立場から心がけている。

 特に英迪拉インディラの場合、童の後見である阿瑪拉アマラとの間で、どちらが言仁の乳母になるかを巡って争った過去があるだけに、かなり気を遣っていた。


「ふむ。狩りはどうだったかな?」

「先に近衛筆頭殿が手本を見せて下さいました。最後の二頭は俺が先陣をまかされて、喉笛を食いちぎって仕留めました」

「それは大した物だよ!」

「あ、有り難うございます!」


 言仁は、人狼としての本性に慣れつつある童に喜び、頭を撫でて褒めた。

 童も、尾を振ってまんざらではない様子である。狼というよりは忠犬の様だ。

 兵になって戦をするのは嫌だと言って侍従の職を選んだ彼だが、獣を狩り屠る事については、全く抵抗が無かった。

 きこりとして生活していた頃でも、腹の足しに鳥獣を狩る事はあったからだ。

 また、人間にとって、猪は返り討ちにされる事もある危険な相手だが、人狼や白虎にしてみれば手頃な獲物である。


「獲物の内、二頭は仮宮の厨房に納めたんで、召し上がって下さい」

「いいね、猪鍋にでもさせようか。明国風に叉焼チャーシューでもいいかな」


 童が狩ってきた成果が食卓にのぼると聞いて、言仁の顔がほころぶ。


「この後は座学があるんで、これで失礼します」

「そうか、では頑張っておいで」


 童が辞した後、言仁は再び、卓に向かって思索に向かう。

 慕ってくれる童の苦しむ顔を見たくはない。

 賎民を蔑視する者に対する、普蘭プーランを始めとした、一門の学徒達の激しい憎悪も解る。彼女達を傷つけたくもない。

 自分は、双方の安寧を護らねばならぬ。


「備わった力を使うべき時に拒むなら、私は帝位にあるまじき、愚かな臆病者。そういう事か……」


 言仁は、先刻に弗栗多ヴリトラから言われた事を思い返すのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る