第47話

 上人が石津へと戻った翌日。美州領主は遣いを出し、彼を稲葉山城まで召していた。


「伊勢は如何であったかな」


 美州領主は広間にて、主立った側近が脇に控える中、正装を纏った上人に尋ねる。

 上人は、伊勢の民衆が餓える事無く平穏に暮らしている事や、神宮の神職や衛士、そしてそれにおもねっていた商家等は悉く捕らえられ、贄とされる運命にある事等を語った。

 一通りの解説が終わると、美州領主は本題を切り出した。


「さて、御足労願ったのは他でもない。美州として如何に龍神と相対するべきか、合議がまとまったのでな。上人殿にも御助力願いたいのだ」

「伺おう」

「先の法要での布施を兼ね、石津一帯を、寺領として上人殿に寄進させて頂きたい。無論、統治も御任せする」

「これは剛気な申し出であるが。如何なる思惑でありますかな?」


 高野山の内でも立場の弱い立川流としては、石津を拠点と出来れば申し分ない。だが、伊勢との交易地であり、大きな利益を生み出している石津の支配権を差し出すというのはどういう訳か。


「美州が戦国の世で生き残る為、伊勢と縁を深めるのは必定。だが他州の目もある故、石津を緩衝の地としたいのだ」

「ふむ。さすれば美州としては、はばかる事無く交易が出来ましょうな。伊勢の塩や魚介は、海を持たぬ美州にとって必須」


 裏で繋がりを深めるにせよ、表向きは朝敵たる龍神と距離を置いた形にしたいというのが、美州の意向だった。


「加えて、上人殿としても益があろう。龍神を〝封じておる〟という事になる」


 実際には、補陀落ポータラカの軍勢と相対すれば、上人の率いる立川流の術者のみでは到底、対抗出来ない。

 だが、外の目から見れば、立川流が石津に拠点を構えれば、伊勢に対する睨みをきかせる為と映る。

 また、龍神という対処困難な相手を、どうにか立川流が〝押さえ込んでいる〟状況であれば、高野山の本流からも迂闊に干渉は出来ないだろう。


「如何か?」


 美州領主の申し入れに、上人は少し考え込んだ。

 近い内、龍神の側から密使を美州に出し、その様な要求をするつもりである事は、計都ケートゥから示唆されている。それを美州側から差し出してくるとは、全く好都合だ。

 この際、美州支配の予定を前倒し出来ないかと、上人は目論んだ。


(美州殿には申し訳ないが、この際、足下を見させてもらおう)


「お受けしても良いが、今一つ条件を加えさせて頂きたい」

「申されよ」

「宗派を問わず、美州領内の仏道寺院を、拙僧が説伏して門下に加える事をお認め頂きたい」


 説伏とはこの場合、他宗派の者に教理問答を仕掛け、自宗に転向させる事である。上人はそれを認めよというのだ。

 当然に宗派間の紛議となる為、領主としては座視しがたい。

 また、領内の宗派が一色に染まるというのは、領主にとって危険な要素でもあった。民に対する支配がゆらぐ事にもなりかねない。

 上人の申し入れに周囲がざわめき始めたのを、美州領主は手で制し、再び室内は静寂を取り戻す。

 

「領家としては手を貸せぬ。だが、あくまで上人殿が自ら行うのであれば、世俗としてはそれに口をはさむまい」


 美州としては、何としてでも石津を伊勢との緩衝地としたいのである。美州領主は、黙認の言質を上人に与え、密約を交わす事とした。


「結構ですな。なれば、石津の件、承ろう」

「有り難い」


 上人は重々しい表情をしながらも、内心でほくそ笑んだ。

 この会見により、石津一帯は事実上、上人を通じて補陀落ポータラカの勢力圏に収まる事となる。

 また、美州内の仏道寺院を通じ、領民が徐々に掌握されていく事も確定的となった。

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