第38話

「しかし、これではそちらから他州へは手を出せぬな。闇雲に領地を広げた処で、兵も役人も足りぬであろう?」


 計都ケートゥの語る構想は壮大だが、瑕疵があるのではないかと上人は気付いた。

 現在の伊勢の民の殆どに信頼を置けぬならば、人材を募る事もままならないだろう。


「ええ。今の赤児が育ち、修練を積んで統治に加われる様になるまで…… およそ三十年は難しいですわね。それが過ぎた後、なおも乱世が続いているならば、皇国による平定に乗り出しましょう」


 計都ケートゥはそれを認めると共に、時が至れば和国平定に乗り出す事も示唆する。


「その前に、他州から戦を仕掛けられればどうするかね?」

「勿論、その様な愚か者は滅するのみですわ」

「では、三十年の間に、和国の天下統一が為されたならば?」

「……そうならない様に願いたいですわね。和国を統一した者が誰であれ、残る伊勢に牙を向けるのは必定ですもの」


 仮に天下が統一されれば、残る伊勢は目の上の瘤だ。和国の軍勢が総力を挙げて奪回に動くのは想像に難くない。

 そうなれば、皇国の逆襲によって和国中が焦土と化すだろう。それだけは、何としてでも防がねばならない。


「元より、貴殿等にしてみればこの地は異邦。天下を取った者に和国を任せ、退く事は考えられぬか」


 そも、補陀落ポータラカが和国に目を付けた理由は何か。彼等のいう”皇道楽土”は、ここで無ければならないのか。

 和国の民草の大半が計都ケートゥにとって”期待外れ”であったなら、無理にこの地に拘る必要もあるまいと上人は考えた。


「異邦ではありませんわ。和国は元より、皇国が擁する活仏の物ですもの」

「活仏?」

那伽摩訶羅闍ナーガマハラジャの養い子にして伴侶たる、一揆衆頭目。あれこそは、瞿曇ガウタマ 悉達多シッダールタに比肩する力を持つ活仏ですの」

「本邦を統べるべき者というならば、もしやそれは、皇統に連なる者であろうか?」


 立川流自身、かつて南北に割れた朝廷の内、南朝方を支持していた。敗れた結果、今の凋落に至っている。

 だが、天下統一を目指す勢力の一部は、現在の朝廷である北朝を廃し、南朝の残党から自らの意のままになる天皇を担ぎ出そうと目論む者もいると聞く。

 上人の知る限り、もはや南朝の末裔には、和国の頂に君臨する気概が失せて久しいというのに……

 補陀落ポータラカもまた、傀儡として立てるべく、南朝の血統を確保していたのかと、上人は考えた。

 だが、皇統を主張出来そうな南朝の末裔については、元の南朝方たる立川流として、おおよそ動向を掴んでいるつもりだったにも関わらず、上人には心辺りが無い。


「ええ。でも、貴方がもしやと思っているのは南朝の事ですわね? それとは違いますわ」

「ほう?」


 予想に反した計都ケートゥの言葉に、上人は思わず聞き返す。


「源平の乱の際、言仁帝…… 追号で言う安徳帝は、壇ノ浦で身罷る事無く、西方の海へ落ち延びていたのです。それを、小生が庇護しましたの」

「よもや、安徳帝の血筋を庇護しておったか!」


 安徳帝と聞いて、上人は思わず声を挙げた。

 南北朝が分裂するより以前の人物である。確かに、安徳帝の血統であれば、和国の帝位を主張する根拠となり得るだろう。


「血筋というより、当人ですわね。落ち延びる際、二位尼殿に石化を施された事で、朽ちる事無く時を超え、私共の国元へ漂着していたのを拾いましたの」


 二位尼とは、言仁の母方の祖母である、初代の平時子を指す。


「安徳帝が壇ノ浦から落ち延びていたという伝承は、和国にもある。だが、遙かに遠き天竺の地まで流れておったとは、にわかに信じ難い。証拠はあろうか?」

「言仁帝と共に失われたとされる、草薙剣の形代かたしろがありますわ」


 形代かたしろとは、簡単に言えば模造品の事である。和国帝位を示す三種の神器の内、草薙剣は熱田神宮に、八咫鏡は伊勢神宮に祀られ、宮中にあったのは形代だったのだ。 よって壇ノ浦で失われたとされ、今は言仁の手元にある草薙剣は「本物」ではない。

 ただし、源氏が政権を握った後に改めて宮中に収められた形代と違い、言仁の持つそれは、熱田神宮に祀られている本物に準じた力を備えている。


「ふむ……」


 上人は目を閉じ、如何にすべきかに思いを巡らせた。

 実物を知らぬ以上「草薙剣」を見せられても、それを以て真なる安徳帝の証と判じる事は出来ない。

 判断が難しい安徳帝の真贋よりも、帝位に相応しい人物か否かの方が重要と思われる。

 活仏と称する位に法力の強い人物である事は確かだろう。

 扱い易い傀儡として育て上げられたか、和国の帝位に相応しき教養と意思を自ら備えているのか……


「是非一度、貴殿等の擁する「安徳帝」に拝謁を願いたい。その上で、立川流としての決を下したいのだ」

「……そうですわね……」


 上人が申し入れると、計都ケートゥは一言漏らした後、沈黙したまま答えない。

 流石に、即断しかねている様だった。

 四半刻程の沈黙が続く中、唐突に、固く閉められていた筈の扉が開く。

 入って来たのは、年の頃十六前後の、中性的な顔立ちをした青年である。

 絹の直垂を纏い、いかにも身分が高そうな出で立ちだ。

 いかにも儚げで、元服したばかりの公家の男子といった印象を感じさせる。

 肌の色から見て、補陀落ポータラカではなく、和国の出であろう。

 ならば彼もまた、伊勢でかわたに身をやつしていたという、補陀落ポータラカが解放した平家の末裔だろうか。

 

「この度は計都ケートゥ師が、大変に失礼な事を致しました」


 青年は上人に、深々と頭を下げて謝罪した。


「貴殿は?」

「申し遅れました。一揆衆の頭目を務めております、言仁と申します」

「今し方、計都ケートゥ殿に貴殿との目通りを願ってから、随分と早いが」

「初耳です。師とは、その様な話になっていたのですか?」

「知らぬと申されるか?」


 言仁の言葉に、上人は首を傾げる。


「別の件で、島には今着いたばかりでした。よもや上人殿がこの様な処遇を受けているとは知らず、出迎えた兵に聞いて港からここまで駆けつけた次第です」

「ふむ……」


 言仁の口調から、上人はそれを真実と判断した。どうも、上人への対応について、補陀落ポータラカの内部でも行き違いがあったらしい。


「聞こえておいでですね、師よ。この場は私に!」

「……活仏よ、仰せのままに」


 言仁が顔を上げ、外見に似合わぬ強い口調で叫ぶ。丁寧ではあるが、目下の者に命じる様だ。

 対して、返ってきた計都ケートゥの答えは、主君に対する臣下のそれの様に聞こえた。


(ほう…… これは……)


 そのやり取りから、上人には二人の力関係が垣間見えた。

 安徳帝とされる青年は、計都ケートゥを師と仰いではいるが、ただ意のままに従っている訳ではない様だ。

 また、計都ケートゥの側も、少なくとも形式的には、彼を主君の伴侶として立てているらしい。


「貴殿の素性については、計都ケートゥ殿から伺っているが、未だ半信半疑。真贋を判じない事には、答えを出せぬ」

「そうでしょうね。身分の証としては草薙剣が桑名にあるのですが……」

「拙僧が見ても、力の強い霊剣である以上の事は解らぬでな。その様な物、補陀落ポータラカなれば新たに作れぬでもあるまい?」

「確かに……」


 証拠の品を示された処で、言仁が本物であるという決め手にならない

 平家の者達があっさりと言仁を認めたのは、石化して落ち延びた事が代々伝わっていた為為である。

 

「故に、貴殿の力を見極めさせて頂きたい。”活仏”と称するに値する力を持つならば、皇統であろうと無かろうと、和国の玉座を求めるに相応しいであろう」

「……良いでしょう」

「失礼する」


 上人は、言仁の資質を見極めようと、真正面から向き合った。

 確かに、人間としては考えられない程に強い霊力の循環が感じられる。

 上人自身を含め、ここまで強い法力をもった人間に出会った事はない。計都ケートゥが”活仏”と称するのも頷ける。

 だが、法力の強さは、精神の修養と必ずしも一致する物ではない。魂の器量は瞳を観察する事で測れるのだが、視線を合わせた言仁のそれは、凡庸な常人の物と変わらない様に見える。

 だが、上人がさらに眼を凝らして奥をのぞき込むと、秘されていた本性が暴かれた。

 瞳の奥から見える言仁の心は、若年にも関わらず、慈母の様に深く穏やかで全てを包み込む様なまどろみを感じさせる。

 心地良さに我を忘れそうになった刹那、上人は言仁の眼力に気が付いた。


「よもや…… み、魅眼! しまった!」


 眼を閉じ視線を遮ろうとするが、既に遅い。

 正気を失った上人は、法悦とした表情を浮かべてその場に立ち尽くした。

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