第39話

「いけない!」


 言仁は、恍惚として立ち尽くしたままの上人の魅了を解こうとしたが、術が発動しない。


(封呪!)


 いつの間にか、言仁の法術が封じられていたのだ。彼にこの様な事が出来る者は、皇国にはただ二人しかいない。

 

「御苦労様でしたわね」


 背後からの声に振り向くと、いつの間にか計都ケートゥが立っていた。


「油断はならないと、常日頃から言っているでしょう? 封呪は放っておけば、一刻 ※二時間 も経てば解けますわよ」


 計都ケートゥは時折、警戒を怠るなという戒めとして、門下の者へ、封呪を不意打ちでかける事がある。

 それを受けてしまった者は未熟として、封呪が解けるまでの間、他の学徒達が折檻を加えても良いというのが一門の慣習だ。

 流石に、封呪されてしまったからといって、言仁に手を出す者はいないのだが。


「しかし、上人殿が! 魅了を! 早く解いて下さい!」

「あらあら、魅眼ですわね。でも、丁度良いではありませんの」


 計都ケートゥが言い放った一言に、言仁はこれが仕組まれた流れだと悟った。


「もしや、上人殿がこうなる事を解って、わざと私を引き合わせた……」

「勿論ですわ。元々、転ばせる為にこれを弱らせていたのですけれども。貴方が島へ来ると聞いたものですから」


 計都ケートゥは平然と、言仁の疑念を認めた。


「何と言う事を! 私がこの忌まわしい力を好まぬ事は、師も御承知でしょう!」


 言仁は、自らの眼に備わっている魅了の力を使わぬ様に心がけている。

 周囲の者が皆、傀儡の様に意のままになってしまうのでは、孤独と同じ事だからだ。

 皇配としての権力によって命を下すのとは訳が違う。


「必要でしたもの」


 言仁が怒気を師に向けるのは珍しい事だが、計都ケートゥはあっさりと受け流した。


「それに貴方も、魅眼は封じていたのでしょう? だからこそ、力を探らせる事をこれに許したのですわね。それを無理にこじ開けたのは、これの側ですわよ」

「確かに……」


 計都ケートゥの指摘に、言仁も冷静さを取り戻して頷く。

 瞳を覗いて力量を測ろうとしても、並の術者であれば、言仁の魅眼を発動させてしまう事は無い。ただ、途方も無い力がある事が解るだけだ。

 上人は、言仁の深淵を覗こうとして、心を囚われたのである。


「これは、貴方には大きく及びませんけれども、人間にしては稀な力がありますわね。才覚は奥妲アウダに比肩する程ですわ。並の神属では、一対一では力負けしますわよ」

「そうですね。阿瑪拉アマラ師や配下の人狼兵共が遅れをとってしまったのも、納得出来ます」


 計都ケートゥの見立てによれば上人の資質は、一門の擁する阿羅漢アルハットの学徒の内でも、特に才覚の高い天才児・奥妲アウダと匹敵するという。

 もし、幼少の頃から補陀落ポータラカで学んでいたならば、油断すれば阿修羅アスラ那伽ナーガすら脅かす力量を備えていただろう逸材だ。


「上人殿が、私の魅眼の力に囚われる様に仕向けたのは、逆らう事を恐れてですか? 咎を冒したならばともかくも、恩義ある方ですよ?」

「恩義とは、人狼の童の件ですわね。それがあればこそ、小生は重く用いたいと考えているのですわ」

「ならば何故です?」


 上人を高く評価しているならば、数日にわたって幽閉したあげく、言仁の力で魅了して心を奪ってしまったのは筋が通らない。


「和国遠征に際し、小生が立ちはだかる主な敵として考えていたのは、幕府や諸州の大名では無く、仏道諸派の勢力ですわ」

「仏法僧の一部は、法術を使う阿羅漢アルハットですからね」

「ええ。その中でも高野山は、最も恐るべき相手ですもの」

「ならば、高野山の主流から外れた立川流であれば、皇国としては同盟を組むには良い相手では?」

「皇国の信用を得た上で寝返り、貴方や弗栗多ヴリトラの首を手土産に、凱旋しようと企てるかも知れませんわよ?」

「なればこそ、まずは信を醸成する事が肝要かと私は考えます! 高野山よりも厚く遇し、民を慈しむ姿勢を見せれば上人殿もきっと……」

「これとて仏法僧ですもの。仏道を捨て、皇国に付く覚悟が出来ますかしら?」

「それは……」


 言仁の期待を、計都ケートゥは甘いとして退ける。

 主流に反するとは言えども、上人は地位を築き上げた仏法僧だ。

 これまで信奉していた物の敵に与するのは、流石に躊躇するのではないか。


「皇国の民を預かる身として、貴方はどう考えますの?」


 計都ケートゥは皇配としての冷徹な決断を促したが、言仁はなおも抗弁した。

 

「……計都ケートゥ師や、他の学師の方々の智力を以てしても、上人殿へ皇道楽土の思想を説き、理によって”こちら側”へ染め上げる事は叶わぬのですか? それこそが本道でしょうに……」


 すがる様な瞳で正論を訴える言仁に、計都ケートゥは深い溜息を漏らして苦笑した。


「宜しいですわ」

「有り難うございます!」

「但し、条件がありますの」

「何でしょう?」

「魅了を解く前に、高野山の内情を包み隠さず話して頂きませんとね。素のままでは、隠し立てする事もあるでしょうし」

「師よ、何か御懸念でも?」

「ええ。小生が懸念している物が万が一、まだ高野山に潜んでいるのなら、皇国の、いえ、貴方にとっても脅威ですもの」

「ああ…… もしかして、あれの事ですか」


 計都ケートゥの懸念について、言仁には思い当たる物があった。


「確かに、高野山の”奥の院”で、未だ行を続けているという事にはなっていますね。しかし、七百年も前の人物です。伝承に過ぎぬのでは?」

「あれが諸州を行脚して、あやかしを退治したり、法術で民に助力したと言う話がかなり伝わっている様ですの。しかも個々の逸話が起きたとされる時期に、二百年以上の幅があるのですわ」

「二百年、ですか……」


 言仁もそれを聞き首を捻る。通常の人間ならば、とうに寿命が尽きている期間だ。


「あれが阿羅漢アルハットである以上、若さを保ち存命という事は大いにあり得ますわ」


 人間の内、法力を生まれ持った阿羅漢アルハットは、神属の乳か精液を摂取し続ける事で、不老長寿を保つ事が出来る。

 あまり知られていない知識の為、それを実践している阿羅漢アルハットは和国にはほぼ皆無と思われた。現に、これまで和国で見た術者は、例外なく普通に齢を重ねている。

 だが、計都ケートゥが警戒する物が、その知識を得て実践していないとも限らないのだ。


「茨木や大江党の者共は何と?」

「あれの逸話は風聞で知るのみで、直に相対した事が無い為に確証は持てぬとの事ですわ」


 和国在来の羅刹ラークシャサである大江党なら、詳しい事を知っているのではないかと言仁は考えたのだが、既に計都ケートゥは尋ねていた様だ。

 確証はないが、あり得ないとまでは言えないという処であろうか。


「私の様に、石化して時を超えているという事もありそうですね」

「ええ。石化の術は和国では絶えてしまっている様ですけれども、かつてはそれを使う者がいましたもの」


 言仁自身、三百五十余年程も過去の生まれである。幼児のまま石化され、補陀落ポータラカに漂着していたのを解かれたのは、二十年足らず前の事だ。

 石化の法術は、不老長寿と違い、使いこなせる術者が和国にいてもおかしくない。実際、言仁の実の祖母である、初代の時子は使えたのだ。

 件の人物ならば、自身にそれを施す事も出来たかも知れない。

 その可能性も考慮すれば、計都ケートゥが危惧する人物が、長い時を経て生き長らえている事は充分にありそうだと、言仁にも思えてきた。


「あれが…… 弘法大師こと空海が、今も生きながらえているのか、それとも滅しているか。それを確かめるには、それを知り得る高野山の高僧の一人である、あれに聞くのが一番と思いましたの」

「もし、生きているならば?」

「もし空海が存命で、皇国に膝を折らぬとあらば…… 滅する他ありませんわね」


 和国に真言密教を広め高野山を開いた、弘法大師 空海。和国の行く先々で、法術によって民を救い続けたという空海は、彼自身が広く信仰の対象になっている程だ。

 敵対すれば、補陀落ポータラカによる和国支配にとって、大きな障害となるのは間違いないだろう。


補陀落ポータラカの頂くべき活仏は、小生が手塩にかけて大切に育てた、貴方一人のみですもの」


 計都ケートゥは、言仁の頭を撫でながら微笑みかける。

 優しい口調だが、その瞳は冷たく光を放っており、言仁へ覚悟を決める様に迫っていた。


「ともかくも、疑念の件について上人殿に問いませんと……」


 額から流れる汗を袖で拭いつつ、言仁は呆けたままの上人へと向き直った。

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