第35話

「如何かしら?」


 講義が終わり、児童等が学師に一礼している処で計都ケートゥは幻灯を消すと、上人に感想を求めた。


「説いておる事については納得がいく。それが貴殿等の治世ならば善政と言えようが……」


 異なる種が偏見なく共生するのは難しい。

 それを覆すには、幼少からの刷り込みがかかせないだろう事は、上人にも解る。

 だが、講義の様子には、どうにも気になる不自然さがあった。


「何でも遠慮無く仰って下さいな」


 言いよどむ上人に、計都ケートゥが先を促す。


「あの子供等だが。よく躾けられており、とても民草の出とは思えぬのだ」


 上人は、児童を見て感じた違和感を述べた。

 師に相対する児童達の姿勢は、取ってつけた様な物では決してない。

 高野山支配下の寺でも、民草の口減らしとして、幼少の児童の出家をいわゆる”小僧”として受け入れる事は多いのだが、貧家の粗野な児童を躾けるのは一苦労なのだ。


「では、何だと思いますの?」

「もしや神宮の子弟であろうか。”龍神は刃向かう者を一族郎党、赤児一人も見逃さぬ”と巷では言われておるが……」

「いいえ。学んでいる子等はまさしく、神宮の圧政から私共が庇護した側に属していますわよ」


 幼少の者だけでも助命されたのだろうかと期待した上人だったが、それは脆くも砕かれてしまった。


「よく思い出して御覧なさいな。見覚えがある子等ではありません?」


 上人が先に伊勢を巡ったのは、四年程前の事だが、それについても計都ケートゥは調べ上げている事を伺わせた。

 上人は、補陀落ポータラカの力を改めて感じざるを得ない。

 ともあれ、以前に伊勢を訪れた際に立ち寄った町や村の子等という事なのだろうが、大人ならともかく、幼少の子の成長は早い。面影も変わってしまうだろう。

 上人は記憶を探ったが、全く思い当たらなかった。


「導師、失礼致します」


 襖が開き、入って来た学徒が計都ケートゥに耳打ちする。


「先程、学んでいた子等が、是非とも貴方に会って御挨拶したいそうですわよ」

「ほう?」


 どうやら、先方には覚えがある様だ。

 ともあれ、上人は計都ケートゥと共に、児童達が待っているという玄関先へと向かった。



*  *  *



 玄関先では、幻灯に映っていた児童達が集まっており、上人を見ると揃って深々と一礼した。


「上人様、お久しゅうございます!」

「う、うむ」


 揃っての挨拶に上人は一瞬戸惑ったが、すぐに合掌を返す。


「卑しまれていた私達の村を哀れみ、父祖の墓前にて読経して下さった御恩。決して忘れた事はございません」


 最年長らしき女児の言葉に、上人は心あたりを思い出した。


「貴殿等は、もしや、かわたの村の……」

「はい。私共は源平の乱に敗れた、落人の末裔。落ち延びた父祖の代から世を忍び、かわたに身をやつして、正統なみかどを御待ち申し上げておりました。念願が成就し、再び士分に戻る事が出来たのです」


 四年前に上人が伊勢を行脚した際、幾つかのかわた集落に立ち寄り、墓前ににて追善の読経を行った事がある。

 伊勢は神道の頂点たる神宮の社領だったのだが、穢れを忌む彼等は、賎民の弔いに関わろうとしなかったのである。

 上人は旅先で出会った賎民達の願いに応じ、彼等の父祖の冥福の為に供養を施したのだ。


「そういう事であったか……」


 ”和国のいずこかに、平家の落人村がある”という伝承は、上人も知っているが、ただの伝承であろうと思っていた。

 だが、矜持の高さで知られ「平家にあらずんば人にあらず」とまで吹聴していたとされる平家が、賎民になってまで追求の目をかわしていたとまでは思い至らなかった。

 確かに、先程に見た、学びに際する児童の姿勢は、士分の子弟と考えれば納得がいく。

 臥薪嘗胆の思いで耐え忍びながらも、捲土重来を子孫に託す為、研鑽を怠らなかったのだろう。


「上人殿。聞けば、神宮の愚か者共に虐げられていた同胞はらからに御助力下さったとの事。どうか、御迎えにあたっての非礼を、平に御容赦下さいませ」


 計都ケートゥの傍らに控えていた学徒達が、申し訳なさそうに上人へ謝罪の言葉を述べた。

 その瞳からは、既に憤怒の情は殆ど感じられない。決して消えた訳ではないが、よく抑えられている。


同胞はらから、であるか? 貴殿等も、もしや平家ゆかりの?」

「いえ。そういう意味合いではございません。私共もまた、国元では旃陀羅チャンダーラ※賎民 や首陀羅シュードラ※奴隷 として虐げられていたのを、身分を引きあげて頂き、学徒として登用された身なのです。故に、和国にて同様の境遇にある者は、私共の同胞はらからと考えているのです」


 上人は、学徒達が秘めていた物が何であったか、腑に落ちた様に感じた。天竺に於ける身分の差は、和国のそれとは比べ物にならぬと聞く。

 学徒達は常世でありながら、餓鬼道に等しい思いで生きてきたのだろう。境遇を脱した今も、自分達を見下し虐げる者達への敵意が、骨の随まで染み渡っているに違いない。

 賎民を不憫に思い追善供養を施した事を知った事で、学徒達は上人への心証を改めた様だ。

 行いが自らに還る。即ち因果応報を、上人は心中でかみしめた。


「ならば問おう、平家の幼き末裔よ。かつて治世を担っていた頃の所業を否とするのかね」

「はい。老若男女を問わず、一族の皆が、父祖の愚行を悔いております。士分とは、民を善導すべき者。己が栄華の為に民を虐げ貪る様な振る舞いは、許されざる事です」


 上人の問いに、年長の女児がよどみなく答える。

 傍らでそれを聞く学徒達も、満足そうに頷いていた。


(素性を隠し、周囲から蔑まれて代を重ねる内に、驕りへの強い戒めを自らに課したか)


「上人様。新しき世、皆が手を取り合って暮らせる”諸族協和”の世造りに加わる為に、はせ参じて下さったのですね! 有り難うございます!」


 児童達は皆、上人へ期待の眼差しを向けている。

 上人が横にいる計都ケートゥを見ると、その顔は意味ありげに微笑んでいた。


補陀落ポータラカへ従う様に促す為、庇護する子供等をも使うか…… 全く、容赦なく攻めて来る……)


 児童等との対面が、計都ケートゥの筋書きであろうと、上人は悟った。

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