第34話

「着きましたぞ、上人殿」

「う、うむ……」


 車中でいつの間にか眠り込んでいた上人は、白虎の声で目覚めた。

 潮の匂いがするのに気付いて窓から外を見ると、何隻もの大きな船が停まっていた。その多くは、一揆によって神宮が廃された後、熱田にもよく寄港する様になった明国様式の船…… いわゆる戎克ジャンクである。

 まだ夜は明けていないが、辺りにはあちこちにかがり火が焚かれ、鎧に身を固めた羅刹ラークシャサの兵達が巡回している。

 上人はここに見覚えがあった。皇国が占拠する前、神宮が伊勢を統治していた頃に幾度も訪れた事がある、桑名の港だ。


「ここからは、船に乗り換えて頂く」

「伊勢の外に行くのかね?」

「いや、伊勢に含まれる島だ。導師やその門下は、外部との往来をなるべく持たずに済む様、そこで暮らしておる」

「成る程……」


 俗世を離れた山寺の様な物か、と上人は思った。高野山にも通じる物がある。

 秘術を探求するならば、民の目に触れさせたくない事もあろう。ましてそれが、死者の蘇生も含まれるならば尚更だ。

 上人は車を降りると、船方らしき羅刹ラークシャサにいざなわれて戎克ジャンクへと乗り込んだ。



*  *  *



 目的の島に着いたのは、夜が明けた早朝だった。

 ここも、上人には見覚えがある場所だった。九鬼水軍の本拠地だった答志島だ。

 神宮もろともに滅ぼされたと聞いていたが、どうやら今は、計都ケートゥ達がこの島の主らしい。

 港では、計都ケートゥが自ら出迎えてきた。

 本来の六本腕の姿に、純白の絹布を体に巻き付けた様な異国の衣を纏っている。


「お待ちしていましたわ」


 上人は早速、港の真正面にある屋敷へと案内された。

 主を変える前のこの屋敷にも、上人は訪れた事がある。


「ここは確か、九鬼の本家でしたな」

「ええ。九鬼水軍に連なる者は皆、虜としましたわ。いずれ贄として食す事になるでしょうね」

「左様か……」


 九鬼家の主立った者とも面識のある上人は溜息を漏らすが、それ以上の追求をしなかった。

 戦の敗者をいかに扱うかは、勝者の裁量である。それは、和国のどこでも同じ、戦国の世の常だ。

 一族郎党を鏖殺する、あるいは奴婢として売り払う。それは別段、驚くに値しない。

 また、人間を食わねば生きられないあやかしの軍勢が、支配下の庶民に手を出さない為に、敗軍の虜を贄とするのは自然な発想である。

 神宮と盟約を結び民草から苛烈な税を取り立てていた九鬼水軍の者達が、その報いを受けた…… 伊勢の民草から見れば、全く因果応報であろう。

 圧政を知りつつも傍観者であった自分に、一体、何が言えるというのか。

 九鬼家を訪れた折には、せめて諫言の一つも出来たであろうに……

 上人の心中に、苦い物がこみ上げてきた。



*  *  *



「導師、御帰りなさいませ。そしてようこそ、真言密教を奉じる仏法僧の方」


 屋敷の前では、計都ケートゥと同じ衣の若い娘達が数名、合掌で出迎えてきた。

 人間の様だがいずれも肌が漆黒で、和国の民でない事は上人にも一目で解る。

 いずれも丁寧な物腰だが、表情を消している。さらにその瞳の奥に、激しい憤怒の情を秘めている事が上人には感じられた。


《僧と言えども男だから警戒しているのか。いや、恐らくはもっと根深い……》


 戦で焼け出された女子供も、似た様な瞳を持つ事がある。だが、この娘達のそれは、これまで上人が目にした物とは比較にならない程に深かった。

 上人は、そうなるに至った経緯に思いを巡らせるが、自らを案内する計都ケートゥへと意識を切り替えた。

 自分の相手はまず、この阿修羅アスラなのである。



*  *  *



 上人が通されたのは、港が見渡せる座敷だった。

 この部屋も、九鬼家が支配していた頃と殆ど変わらない。調度品も殆どそのまま使われているのが、上人には意外に感じられた。

 異邦の遠征軍であれば、自らの好みに合わせて染め上げそうな物だが、和国の様式が気に入ったのか、もしくは使える物は使っておくという無頓着か…… 或いは、遠征ゆえの物資の欠乏かと、上人は思考を巡らせる。


「実は、少々、お詫びしなければならない事がありますの」


 計都ケートゥは、上人が立ち会いを希望していた、童の幼馴染みの蘇生が、より完全な術式を探求する為に先延ばしになった事を告げた。


「そういう訳で、早くとも半年。遅ければ二、三年の後という事になってしまいますの」

「それは残念。だが、自然の摂理を曲げる方策の探求なれば、やむを得ぬ処であるな」


 上人は、補陀落ポータラカが決して万能ではない事を改めて認識した。

 確かに強大ではあろうが、人智の及ばぬ存在とまでは言えぬのだろう。


「代わりと言っては何ですけれども、御覧になりたい物、問いたい事ははございません?」

「ならば、この島…… 答志島では、そも、何が行われているのか?」

「秘術の探求だけでなく、次代を担う者の教導・修練も行っていますわ。むしろ、そちらが主たる物ですわね。かつて空海が建立したという、綜芸種智院しゅげいしゅちいんに近いとお考え下さいな」


 綜芸種智院しゅげいしゅちいんとは、高野山の祖たる弘法大師こと空海が、身分や貧富に関わりなく、あらゆる思想や学芸を総合的に学べる場として設立した教育施設である。

 和国としては画期的な物だったのだが、空海の死後は閉鎖され、その志は途絶えてしまっていた。

 その名を持ちだした事から、上人は、計都ケートゥが和国の事情にかなり通じている事を再認識する。


綜芸種智院しゅげいしゅちいんに近いという事は、貴賤を問わず学べるのであろうか?」

「勿論ですわ」

「それは素晴らしい!」


 先達たる空海がかつて為そうとした、何人にも学ぶ機会を与える場。

 それに近い物を築き上げた計都ケートゥに、上人は思わず感嘆の声を挙げた。


「民草が学問を身につける事を無駄、さらには身の程知らずとして忌避する様な考えを持つ輩は、古今東西を問わず多いのですけれども。貴方は違う様ですわね」


 上人は知らぬ間に一つ、計都ケートゥの試問を乗り越えていた。当時の和国では貴重な、この様な考え方が出来る開明的な知識層をこそ、計都ケートゥは求めていたのである。


「是非、学び舎の様子を拝見させて頂きたい」

「では、朝餉あさげを済ませたら、学びの様子を見ましょうか」


 白米に味噌汁、香の物。

 簡素ではあるが美味な朝餉あさげを済ませた後、計都ケートゥが指を弾くと、雨戸が閉められて室内が暗くなる。


「そちらの襖に、学び舎の様子を幻灯で映しますわね。声も聞こえますわよ」


 壁に掛けられていた銅鏡から、対面にある襖へと光が伸び、屋敷とは異なる場所を映し出した。

 およそ四十畳程の板間で、二十名程の児童が、並べられた卓について座学に臨んでいる光景である。齢はいずれも十歳前後と見受けられ、男女は半々だ。

 肌の色や顔つきから、補陀落ポータラカではなく、和国の児童と思われる。異性を同席で学ばせる学問所は、和国では極めて珍しい。

 そして、児童達と真向かいになって教卓についている学師は、羅刹ラークシャサの女性だった。実際の年齢は不明だが、人間の十七、八程に見える。長く伸ばした銀髪からは一対の角が覗き。蒼い肌に筋骨隆々とした堂々たる体躯。まさしく、民が恐れる鬼その物だが、その顔は穏やかである。


「今行われている講義の一つですわ。とくと御覧下さいませ」

「うむ、拝見させて頂こう」


 上人は、言われるままに幻灯によって映し出される様子を注視した。



*  *  *


 計都ケートゥと上人が幻灯を介して見守る学舎では、羅刹ラークシャサの学師による講義が進んでいる。


「”霊長”とは何か。その定義を述べなさい」

「言語を解し、知恵を持つ種を指します」


 学師に指された男児が、簡潔に答えた。


「正しい認識ですね。では、次に君。霊長を十種挙げてみましょう」

那伽ナーガ阿修羅アスラ羅刹ラークシャサ夜叉ヤクシャ、白虎、人狼、阿普薩拉斯アプサラス乾闥婆ガンダルヴァ億而富エルフ、妖狐です」


 次に当てられた女児もまた、淀みなく答える。

 

億而富エルフを除き、いずれも皇国にいる種ですね。では、他にはないですか? 次の人、もう十種挙げてごらんなさい」

「は、はい。牛頭、むじな、人熊、猫又、雪精、獅子、迦楼羅ガルーダ…… ええと……」


 馴染みのある種は既に挙げられてしまっているので、次に答える事になった男児は、七種答えた処で詰まってしまう。


「どうしました?」


 学師が問いかけると、男児は顔を紅潮させてさらに考える。


独拉根ドラゴン…… 鎮尼ジン…… 後は…… 済みません……」


 何とか絞り出した二種は、いずれも和国では全く知られておらず、補陀落ポータラカにもいない異国の種だ。

 もう一種という処で、男児は根を上げてしまった。


「あら、もうお仕舞いですか? 肝心の種が抜けているというのに」


 学師の言葉に、答えられなかった男児だけでなく、教室にいる全ての児童が、顔を見合わせたり、首を捻る等して疑問を示した。

 皇族たる那伽ナーガ阿修羅アスラは真っ先に挙げられた。その二種の他、”肝心の種”とは何だろうか。


「それは人間、即ち君達です。皇国に於いて、人間は数に於いてその過半を占める種なのですよ」


 誰も答えられない様子に、学師はいかにも残念そうに解を示す。


「し、しかし自分達、人間は…… 数ばかり多くて取るに足らぬ……」

「否!」


 最初の問いに答えた男児が戸惑いながら発した言葉を、学師は鋭い一言で遮った。


「確かに人間は、法力を振るう素養を持つ者はごく僅かで、寿命もせいぜい百年という脆弱な種です。ですがそれは、施術によってどうとでもなる事。皇国の臣たる良民には不老長寿と法力を与えるのが、那伽摩訶羅闍ナーガマハラジャの御意。故に、肉体の優劣は問題では無いのです」


 児童達は学師の言葉に聞き入っている。


「知恵を持ち言葉を操る事こそが”霊長”たる唯一の条件。皆さんと私は種こそ違いますが、こうして話が出来、共に暮らす事が出来ます。あまねく霊長が手を取り合う”諸族協和”を達成する為、皆さんは勉学に励み心身を鍛えているのです。宜しいですか?」

「是!」「是!」「是!」


学師の弁に、児童達は一斉に声を張り上げて応えた。

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