第33話

「では、我は普蘭プーランと共に、汝の伴侶たるべき娘を連れて答志島へ引きあげる。しばしの別れを惜しんでおきたまえ」

「はい……」

「侍従見習殿。こちらへ」


 童は普蘭プーランに促され、座敷の奥に寝かされている幼馴染みの枕元へと座る。

 幼馴染みは全裸のまま、敷布団に横たわっていた。

 土気色の肌には全身に呪文が書かれ、息もしていない。まさしく死人その物だが、表情は穏やかな物となっていた。


「姉ちゃんと腹の子を…… 宜しく御願いします……」

「御任せ下さい」


 普蘭プーランは頷くが、童の表情は硬いままだ。

 もし幼馴染みが蘇生後に、賎民を蔑視する言動を示そう物なら…… 嬉々として、彼女は童に約定を果たす様に迫るだろう。


普蘭プーランの下には、学徒を五名つける。汝が良く知っている者だ」

「というと…… 島に戻っている姉様方ですか?」

「うむ」


 童が伊勢へ来た当初、この詰所には十名もの人狼の学徒がいた。だが、本来の職が手薄になってしまう為、半数は童の面識を得た後、すぐに答志島に戻っていたのである。

 自分の近しい同族が幼馴染みに付くと聞き、やや気が楽になった処で、童はふと気が付いた。


「あ、そ、そうだ。和修吉ヴァースキ師」

「何かね?」

「村のもんの亡骸、どうなってますか?」

「荼毘や埋葬はまだだ。此度の諸々が片付いてから葬れる様、さし当たり、腐らぬ様に法術を施し、あちらに張った天幕に安置したままとなっておる。あの一帯は、強い結界を張って人間が入れぬ様にしてあるので心配無用だ」


 事態がめぐるましく動く中、童の村の者達に対する弔いは未だ行われていなかった。

 上人による簡素な読経は行われていた物の、きちんとした形で行いたいのは、遺族として当然であろうと和修吉ヴァースキは考えた。


「姉ちゃんと違って、どうにもならんのですか……」

「あれ等の蘇生は、流石に無理だ。脳が砕けておらねば殭屍キョンシーには出来ようが、それは望まぬだろう?」

「それは出来るのですか?」


 和修吉ヴァースキが確認の為に言った言葉に、童は眼を輝かせた。


「良いのか? 殭屍キョンシーは意思のない生ける人形だ」


 驚いた和修吉ヴァースキは、重ねて念を押す。

 殭屍キョンシーは、ただ死者の肉体を利用した”道具”に過ぎないのだ。


「もし、女衆で、姉ちゃんみたいに孕んでおるもんがおったら、腹の子だけでも助けられんもんかと思って」

「ほう……」


 和修吉ヴァースキは、童の意図を聞いて感心した。

 幼馴染みの事ばかりでなく、他にも助けられる者がいないかと考え、他の女にも胎に子がいるかも知れないと気がついたのだ。

 全く見上げた心遣いである。


阿瑪拉アマラの検分だと、妊婦は確か四名いた筈だな。胎の子だけならば、既存の術でも救えるであろう」

「是非、御願いします!」

「良かろう」

「有り難うございます!」


 童は和修吉ヴァースキに、深々と頭を下げた。

 

「貴方はどこまでも前向きで、そして優しい。御夫君様がお気に召すのも、よく解ります」

「は、はい」


 普蘭プーランからも静かな口調で褒められ、童もようやく彼女への緊張を解きかけたが、次の一言で再び、心に冷や水を浴びせられる。


「御夫君様がお悲しみにならない様、くれぐれも精進なさいね」


 口調は穏やかだが、その眼からは、言仁を悲しませる様ならば許さないという強い威圧が放たれていた。


「勿論です」


 童の側も、気迫に呑まれない様に力強く言い切る。

 幼馴染みの命を預ける以上は感謝をすれども、決して軽侮されてはならないのだ。


「期待していますよ」


 普蘭プーランは童の態度に、計都ケートゥ譲りの意味ありげな微笑を浮かべ、それに応えた。

 二人のやり取りを、傍らの和修吉ヴァースキは満足そうに見守っている。

 人狼の学徒達もまた、普蘭プーランの責めに屈しなかった童に安堵していた。



*  *  *



 翌日の石津。

 今回の騒動で死した代官やその配下、そしてその郷里の村の住人達を弔うべく、上人と高野聖達は、件の村へと向かった。後には、遺骨を積んだ馬の列が続く。

 事の経緯を知らぬ馬丁を使う訳には行かない為、新たに代官所へ詰める事になった侍達が、荷を背負わせた各々の愛馬を牽いていた。

 山道を登り村へと着くと、所々が壊されたりしている物の、村内はすっかり片付けられており、殺戮が行われた後とは思えなかった。


「狼共が片付けていったとみえますな」

「憎き相手であったとは言え、和議が成った上は、遺恨を残さぬ為にも後始末をして行ったという事であろう」


 遺骸が散らばり蠅がたかっている様を想像していた侍達は、皇国の意外な律儀さに感心していた。

 庄屋の屋敷へ入ってみると、中には所狭しと多くの包みが置かれている。

 上人がその内の一つを開けてみると、中から出てきたのは遺骨だった。ただ、頭蓋がない。他の包みも同様だった。


「まさに和議の約定通り。贄として頭部を得た後、荼毘に付しておる。伊勢は確かに、信に値しましょうな」

「上人殿はそう見立てられるか……」


 約定を守っている皇国を信用出来そうだと話す上人だが、侍の一人は疑わしげな顔をしていた。

 だが、皇国と敵対すれば確実に破滅が待っている。彼等と共存するより他に、生き残る道がない事は、この場の誰もが承知していた。


「では、こちらも約定通りに弔いを始めよう」


 葬儀といっても、罪人のそれである以上、簡素に読経を行うのみである。

 経を唱え終えた後、上人は高野聖達と共に、遺骨を砕いて村内に撒いた。

 やがて土に吸われ、還っていく事だろう。


「この様な形でも、葬る事が出来るだけ、幾分かましと言う物か……」


 皇国を疑った侍は、遺骨が撒かれる様を眺めながら、誰に言うでもなくつぶやいた。



*  *  *



 一行が葬儀を終え、石津へ着いた頃にはすっかり日が暮れていた。

 侍達と別れて寺へと戻った上人と高野聖達が、一汁一菜の簡素な夕餉ゆうげを済ませた処で、外から来訪を告げる声がした。

 上人達には聞き覚えのある、若い女の声だ。


「来た様だな」


 上人が戸を開けてみると、一昨日に訪れた白虎だった。


「夜分に済まぬが、伊勢の遣いとして上人殿を御迎えに参った。数日は御逗留頂く事になろうかと思われる故、その様に御支度頂きたい」

「心得た」


 上人は身支度を調え、白虎が牽いてきた車へと乗り込んだ。

 立川流にとって、既に退路はない。補陀落ポータラカという強大な後ろ盾を得る機会を逃してはならないのだ。


「では、しばらく後を頼む」

「上人様、どうか御無事で」


 不安げに見送る高野聖達に、上人は穏やかな顔で後事を託して発った。

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