第32話

 学徒達は童を心配そうに見守っているが、和修吉ヴァースキの鋭い視線に阻まれ、声を掛けられないでいる。

 和修吉ヴァースキによる試問に、水を差す事は許されないのだ。

 童は四半刻 ※約二十五分 程うつむいたまま考え込んでいたが、不意に顔を上げると、意を決した様に和修吉ヴァースキへと向き直った。


「意は定まったかね?」

「姉ちゃんの事、すぐに決めないと手遅れになるんですか?」


 童が覚悟を決めて決断したかと思いきや、優柔不断と思える問いを返された和修吉ヴァースキは、思わず溜息を漏らした。


(いずれの道をとるにせよ、熟慮の末に強い意思を示すかと思っていたが、あてが外れたか?)


「否。このままでも数年は保つが、それでは只の先送りに過ぎぬであろう?」

「いえ。一門の皆様なら今は駄目でも、時さえかければ、もっといいやり方を編み出せるんじゃないかと思うのです」

「ふむ、そう来たか。あの娘と胎の仔、双方を救う手法を探求せよと? 皇国の英知を司る我等一門をもってしても叶わぬと申したばかりの事を?」


 和修吉ヴァースキは、童の続く言葉を聞いて、わざと責め立てる様にきつい口調を浴びせる。


那伽摩訶羅闍ナーガマハラジャの御名にかけて、最善を尽くして頂けるんじゃなかったんですか!? それとも一門ってえのは、その程度の?」


 童は眼に涙を浮かべ、必死に和修吉ヴァースキへと迫る。幼馴染み、そして胎の児の双方を救う為には、ここで何としてでも首を縦に振らせねばならない。


「く…… くく…… くくくく……」

「う゛ぁ、和修吉ヴァースキ師?」「おかしくなられた!」


 童の形相に、和修吉ヴァースキはこらえ切れぬとばかりに嗤いを漏らし始めた。

 普段は見せる事のない異様に、学徒達は驚き焦る。一門の重鎮から不興を被ったとあっては、如何に童が言仁のお気に入りであっても、只で済むとは思えない。

 だが、程なく静まった和修吉ヴァースキは、片手を挙げて、狼狽える学徒達を制した。


「ああ、済まぬ。あまりに上出来なのでな、ついつい嗤ってしまった」


 和修吉ヴァースキは穏やかな顔で、童に向き直った。


「相手から得た言質を盾に無理筋を通すのは、御政道の定石だ。故に、此度の汝の言は大いに善し。侍従として、よく心得ておきたまえよ」

「で、では!」

「うむ」


 期待に瞳を輝かせる童に、和修吉ヴァースキも頷く。


普蘭プーラン、聞いていただろう。出来るか?」


 和修吉ヴァースキの呼びかけに、隣室を隔てる襖が開く。

 医術を学ぶ学徒の内でも上位に位置する普蘭プーランは、黄泉返りの診療と施術を補佐する為、急遽、答志島から呼び寄せられていたのである。


「しばらくの時、そして相応の財貨と丸太を費やさせて頂ければ、施術の探求について充分に見込みはございます」

「うむ。見事に成れば、学師の称号が得られよう。銭も丸太も、要るだけ使いたまえ。勘定方には、主上の御意として話を通す」

「が、学師とは!」「ついに、普蘭プーラン姉が……」


 ”学師”の一言に、室内の学徒達はどよめいた。

 一門の学徒は大半が人間だが、名誉的に認められた言仁を除いては、学師に昇格した者が皆無なのである。

 騒ぐ周囲とは対照的に、強く望んでいた昇格の機会を前にしても、普蘭プーランは至って平静だった。


「有り難き事です。しかし、お引き受けする前に、侍従見習殿に確かめておかねばならぬ事がございます」

「な、何でしょう?」


 漆黒の肌を持つ才媛の言葉に、童は思わず唾を飲み込む。

 

「既にお聞きお呼びでしょうが、学徒の内、私共の様な人間は、そのほぼ全てが賎民、あるいは奴婢 ※奴隷 の身でした。導師に認められて身分を引きあげて頂き、今の席にあります」

「はい。一門にはそういう方が多いという事は、長姉様から習いました」


 童の答えを受けて、傍らに座している長姉も普蘭プーランへ頷き、その通りであると示す。


「結構ですね。故に、その様な出自を見下す様な輩を、我等は決して許しません」

「伊勢では、生まれは問われんのですよね? なら、そんな事は気にせんで、皆で仲良う暮らせばええと思っとりますけど。それではいかんのですか?」

「残念ながら、それが出来る者は和国に多くはないのです」


 普蘭プーランは言葉を切り、童をまっすぐに見つめた。


「勿論、貴方が心正しき事は承知していますが、あの娘自身はどうなのでしょう? 我等が救い、栄えある皇国臣民として受け入れるに値するのでしょうか?」


 虫けら同様に虐げられた半生を送り、この世の奈落を知る者のみが持つ哀しげな瞳が、童の心をえぐる。

 正直、幼馴染みが賎民についてどう考えていたのか、童は全く知らない。

 確かに、きこりである自分達の村と賎民との接点は殆ど無かったが、幼馴染みは自分より歳上な分、多少なりと世を知っているだろう。

 貧しい暮らしの中、自らを慰める為に、より立場の弱い者を蔑む心を持っていたとしても、全くおかしくはないのだ。

 ここで軽々しく”大丈夫だ”等と言ってしまい、後でそうではないという事になれば……


「……わ、解りません……」


 童は弱々しく、そう答えるしかなかった。

 普蘭プーランにとっては、予測した内で最良の答えであった。ここで軽率な返答を返されたら、学師の座を不意にしてでも、矜持にかけて今回の話を断るつもりだったのである。


「正直ですね。では、もし貴方の大切な方が蘇った後、賎民の出自を見下し、蔑む様な真似をしたら、貴方はどうなさいます?」

「……そん時は…… 俺が姉ちゃんを斬って、始末をつけます!」

「ちょ、一寸、それで本当にいいの?」


 学徒の一人が童に再考を促そうとしたが、長姉はそれを押しとどめた。

 神属である自分達と、普蘭プーラン達人間の学徒とでは、賎民への蔑視に対する憎悪の度合いは比べるべくもない。

 ここで迂闊な事を言えば、一門の内で、人狼と人間の学徒の間で、反目の芽が生じかねないのである。


「出来れば丸太にしたい処ですが。まあ、慈悲として一思いに楽にする事は認めましょう。それで宜しいですね?」

「は、はい!」

「さすれば約定が成った旨、那伽摩訶羅闍ナーガマハラジャに代わり、ここに宣する。然るに双方、誠をもってこれを果たせ」


 合意が成立した事を受け、和修吉ヴァースキも皇族として、その証となる旨を告げた。


「承知いたしました。侍従見習殿、皇族たる和修吉ヴァースキ師の証によって交わした約定は、国法に等しき物となります。違えようとすれば、極刑は免れません。くれぐれもお忘れなき様」

「わ、解りました……」


 これで、姉ちゃんと腹の子は助かる。

 だが、もし万が一、助かった後で姉ちゃんが、賎民、要は”かわた”を見下す様な事を言ったら、この手で姉ちゃんを殺さなきゃならない。

 普蘭プーランは姉ちゃんを試そうと、かまをかける等して、そういう言葉を引き出そうとして来るのではないか。

 この場ではああ言わざるを得なかった物の、先の事を考え、童の心は重かった。

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